夫が他界し、遺族年金収入のみの暮らしになってからは、以前と同等レベルの暮らしはできなくなりました。
覚悟していたことですが、前から、割と堅実な暮らしをモットーにしてきた私です。
ですから、そのギャップに、思ったほど悩まないで、淡々と、今も暮らすことができています。
とは言っても、家計簿記帳は怠らず、節約生活を一生懸命心がけている私。
時々、節約疲れしてしまいますけれどね。
まだ私のような状況に身を置いたことがない方達は、遺族年金の収入の内訳を、ご存じない方もいらっしゃるでしょう。
参考までに、簡単に説明させていただきますね。
まず企業年金は、夫の年齢が75歳になった時に無くなりました。
夫が勤めた会社の場合です。
夫の死後、ほぼ半年後のこと。
夫の場合、企業年金は、他の収入より多かったため、この影響は多大なものでした。
夫の国民年金もなくなります。
夫の厚生年金の四分の三と私の国民年金が私の遺族年金にあたります。
私も誤解していましたが、夫の年金収入全額の四分の三ではありません
それ以外に加給年金、といったものがあります。
ここまでは自営業でない限り、皆さん同じではないでしょうか。
更に私は、夫のアメリカ年金と被爆者保健手当てが数万ずつ、毎月いただけ、とても助かっています
この二つの収入が、私の今の暮らしの余裕費にになっている、と言っても過言ではありません。
純粋な遺族年金だけでは、かなり厳しい生活を余儀なくされたことでしょう。
これは余談になりますが、他に、豪ドル建ての終身保険の利益が、毎年20万くらい入ります。
今より円安の時に購入したので、元本は少し割れていますが。
私が死んだとき、まだ円高だったら、買値より円安になるまで、ずっと売らないで、ドル貯金をしていなさい、と次女には言っています。
年金は後払い、ということ、皆様はご存じですか。
私は、夫が亡くなるまで知りませんでした。
前月の支出金にそれが当てられます。
夫が亡くなる数年前、外壁の塗装と空調の全て入れ替え、二階のカーテンの取り換え等をしておいて本当に良かったです。
そのころは、夫が亡くなるなんて、想像もしていない時のことです。
百万単位の家の補修をいろいろ手掛けたのも、「今のうちにしなさい」との神様のお告げだったのかもしれません。
今の私でしたら貯金を大きく切り崩さないと対応できませんから。
今も、ドル建て保険の利息や生活費の余裕費の残高を、貯金するように心がけています。
墓参のための帰省費用、衣類の購入、その他の臨時出費を、この余裕費で賄っています。
前々回の記事で、余裕費が先月やっと黒字になったと申し上げましたが、このことです。
一年の貯蓄目標額も決めていて、昨年までは、やっとの思いで実現できました。
でも恐らく、涙ぐましい努力で毎月の収入から貯えたものは、今後、住宅関連の維持費で消えていくのではないか、と思っています。
そう思うと何だか空しいですが、仕方ありません。
最近、床下換気扇が動かなくなり、購入したダスキンに問い合わせたところ、二十万以上かかると言われ、とてもショックでしたが。
何と、命拾い。(表現がオーバーですね。笑)
また動き出しました。
築三十三年の我が家。
そろそろ、問題が生じる頃。
何も起きませんように、と祈りながら、手入れに専念しています。
但し、風水害や地震の被害は、住宅総合保険で対応できるようにしているので、全く心配はしていません。
年払いで、18万円くらいですが、新築時からの契約ですから、恵まれた補償にもかかわらず、割安なのかもしれません。
とは言っても、私の今の収入では、大きな固定支出になります。
でもこれは欠かせません。
この恩恵を、どんなに受けてきたか計り知れませんから。
本当に有難い保険だと思っています。
これまでにも、幾度か触れてきましたが、私は投資において、バブル崩壊時、リーマンショック時の数年間で、大損失を被っています。
実は、リーマンショックのしばらく前に、将来の副収入にしようと思い、マンションをいったん購入しましたが。
その後、私は人生の道の選択を誤り、とんでもない愚行を重ねることに。
この続きは次回に回させていただきます。
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ありがとうございました。
花のように泉のように