昨日の続きです。
救急車が、けたたましい、けれどどこか物悲しい響きのサイレンを鳴らしながら、我が家にやってきました。
私はこれまでの人生で、すでに幾度、救急車のお世話になった事でしょう。
夫はむろん、私も、私の両親も。
幸いにも、娘たちは一度も、この車に乗せられた事はありませんが。
孫のK君は幼い時、一度だけありました。
義父母さまの蓼科のお山の上の別荘での出来事です。
急峻な山の曲がりくねった坂道を、真夜中に疾走する救急車を想像するだけで、背筋が寒くなる思いがしたものです。
五年以上前の事。
夫が肝臓の大手術をする前日に、私はこの話を聞かされ、驚きと共に、両方の心配で胸が張り裂けそうになりました。
その時は旦那さまに申し訳ないけれど、Yさんの手術以上に、K君の事を心配したものです。
幸いにも大事にならず、その後は、その出来事が嘘のように元気になりましたけれどね。
救急車の想い出へと、またまたお話が脱線してしまいました。
夫の事に戻します。
我が家へと次第に近づいてくるこの音を、緊張した面持ちと慌しさの中で聞きました。
近所をお騒がせする恥ずかしさで、なんとも複雑な思いがする救急車ですが、お世話になるしか、他に打つ手がなく、いつも本当にありがたく思っています。
この車に乗るたびに思うことは、振動が激しく、乗り心地が非常に悪い事。
付き添いが腰かけるシートの上の天井は幾分傾斜気味で低くなっているため、私はいつも首を痛めます。
この度の件で乗車したときは、首を疲れさせないように、体の向きを工夫したりと。
低い天井には物々しい医療器具が吊り下げられていますが、私にはすっかり見慣れた光景になってしまいました。
いつもは1時間半くらい掛る病院に、およそ30分くらいで到着したでしょうか。
そのまま入院となった旦那さまですが、私たちがその場を後にしたのは、真夜中の二時過ぎ。
「私たち」の表現は、今はじめてですね。
実は長女のMちゃんが、最初から付き添い、同行してくれたのです。
友人と楽しく過ごし、その後、お買い物を済ませ帰宅直後の突発的な出来事に、私の体はすっかり参っていました。
夜遅く旦那さまに同行し、病院で医師の質問や指示にテキパキ対応する自信は全く持てなくて。
長女に助けてもらってよかった。
退社後、家の車で飛んで我が家に出向いてくれたMちゃんです。
車で救急車の後を追うようにして、病院に同行してくれました。
病院に到達後は、長女にすっかり頼り切り、私は、今にも倒れてしまいそうな体を支えるのが精いっぱい。
一度、エレベーターの前でふらつき、看護師さんに、「大丈夫ですか」と声をかけられました。
旦那さまはむろん、そのまま入院です。
自宅から病院に電話をかけたときは、明日まで様子を見ては等と言われました。
そのため、一時は救急車を呼ぶことをためらいましたが、意を決し行動に移して本当に良かったです。
後から担当医がおっしゃいました。
「とても適切な判断でした。
病院に来なければ、手遅れになっていたかもしれません」と。
私は、その言葉で、強く思ったことがあります。
病人が自宅で緊急の事態になった時、その対応の適切な判断が一番できるのは、いつもそばで見ている家族ではないかと。
しかし実際は、病人の気持ちを尊重し過ぎたり(病院い行くのをとても嫌がった夫です)、看護師さんや医師への遠慮もあったりで、言いたいことも言えず引き下がってしまうこともありますよね。
このことでの苦い思い出はいろいろあるのですが、、またいつかお話させて下さいね。
次女から色々な記念日にもらった、小物入れとハンカチ。
以前にもご紹介したことがありますね~
外出時には、必ずバッグに。
それだけで、お出かけが楽しい気分になり、元気が出てくる私です。
その日病院を後にしたのは、真夜中の二時を回っていました。
その後疲れ果てていたのでしょう。
二階の寝室に戻る気力もなく、ファミリールームの隣の和室で熟睡。
翌朝、日が高く昇った頃、隣の部屋で誰かが働く気配と音で、目が覚めました。
次女が、部屋の後片付けや、お洗濯、私の朝食の準備を進めてくれていました。
その後、出勤。
長女も、真夜中の帰宅ながら、朝早く会社へ。
優しい娘たちの協力に、改めて感謝一杯の私でした。
ご覧下さいまして有難うございました。
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花のように泉のように