今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

出逢いを大切に

2011-10-09 07:38:07 | 日常

一昨日の朝のことです。

ベージュのパンツにお気に入りの白いVネックの薄手の長目のセーターをTシャツの上にまとい、ネックレスも首にかけ、秋空の下、弾んだ軽やかな足取りで、ごみ出しにでました。
お天気が余りにさわやかなので、真夏や真冬と違い、普段でも多少おしゃれに気を使う心の余裕が出ます。

それはともかく、勝手口の前でお花の手入れをなさっておられた真向いの奥様Iさんと目が合い、ご挨拶を。。
Iさんが、「お久しぶりですね~最近お会いしませんね~」と。
私も同じような感想を述べました。

真向いのお宅の方でさえ、こんな具合ですから、ご近所の他の方達とも、普段、お話しする機会はめったにありません。
幸いにも、私達の住いの道なりの先は階段になっているため、車の往来もほとんどない、閑静な住宅地です。

久しぶりとはいえ、夫が救急車で搬送された翌日以来ののんびりしたおしゃべりのひと時。
心から信頼を寄せる方ですから、その折、夫の病気の詳細もお伝えしてあります。
Iさんのお宅でも、我が家とさして変わらないほど、ご家族がいろいろな病に見舞われ、入退院を繰り返されたと伺い、同情を禁じ得ませんでした。

「今年は、良いことがなくて、大変な年でしたね~」と、お互いに、今だからこそ、笑顔で話し、共に苦労を労い合いました。

「またいつものように、どこかでお食事でもしませんか」と、私がお誘いしたところ、
「Hさんが、今、計画を立てて下さっているようよ。その内お電話があると思うわ。」と言われ、待ち遠しい気持ちに早速なりました。

Hさんは、私達より一回りお若い方で、海外留学の経験もあられ、英語が堪能な良妻賢母でいらっしゃいます。
私には、とても頼りになる存在。
Iさん同様、御近所の友人として、私の心の支えであり、今後もますます親交を深めたい方達でいらっしゃいます。
もうひと方おられ、その方は一昨年、同じ町の違う地域に転居されたました。

いつもこの四人のメンバーで、年に二回位集まリ、楽しい語らいの時を持つようにしています。
価値観が一番似た者同士の気の置けない友人達。
お会いすると、日常の事、政治、文化何でもありの楽しい話題で盛り上がり、いつも瞬く間に時が流れます。
そして、御近所ながら、おしゃべりする機会は余りないので、名残惜しんででお別れとなります。

近隣の方々が、すべて同じ価値観とは限りません。
世間の常識では理解できないような発言も時にあり、辛い事もたまに起こります。
そのような時も、私達の心は一つ。
いつも同じ思いでつながっている理解者同士。
ここに転居して以来、二十数年来のお付き合いにもかかわらず、、一度も信頼感が損なわれることなく、益々良い関係が築けている事を心から嬉しく思います。

生活の場が、数か所の社宅、海外と変わるたびに、忘れ得ぬ親友ができた私ながら、必ずしも、その方達を大切にしてこなかったことは、後悔の極みです。
でもみなさん、本当に心優しい良い方達ばかり。
お会いすれば、とたんに身内のような親愛の情に包まれることでしょう。
その上、介護が割と早く終わった私と違い、今その真っ最中の方がいかに多くていらっしゃるか。
ですから個人的にお目にかかることは、最近とみに減っていますが、定期的な集まりですと、みなさん万難を排して集います。

次女が中学受験の時、喫茶店で見も知らぬ数人の親御さん達が、共にお茶をしながら、娘達の試験が終了するのを待ちました。
それがきっかけとなり、親睦を深める会ができ、年に一度必ずお会いするようになりました。

会には、娘の学校名を多少もじった可愛い名称までつけられています。
私も、喫茶店に居合わせましたから、その会の発起人の一人です。

次第に人数が増え、一時は30名近くになりましたが、さすがに二十数年続きますと、家庭のご事情から脱会された方もいらっしゃり、今は20名くらいでしょうか。

菅内閣の時、副大臣だった方の奥様や、元大蔵次官の奥様などもおられ、お二方の個性は一段と輝いていました。

ここ数年はお姿が見られませんが、政治家の奥様は、初めてご主人が立候補された時からのお付き合いです。
平凡な主婦から政治家の妻になる覚悟のほどをしみじみと語れれた時のことが、私の心に今なお、焼き付いて離れません。

「川の流れに身を任せて、主人に付いていくしかありません」と。

昨今何かと話題になる次官ですが、当時大蔵次官の奥様でいらした友人は、実に凛としたお姿と細やかなお気遣いが印象的な方した。
お二方さま共に、見習いたいことがたくさんあられる、大変魅力的な方々。
私の心の内で輝き続ける存在です。

ぜひ又いつかお目にかかりたく願っています。

ところがです。
この会の案内状が、いまだに手元に届きません。
さすがにちょっと、気がかりになってきました。

いつも、集う時季は、ほとんど五月の連休明けときまっていました。
昨年は私ともうお人方の二名で幹事をお引き受けしたものですが。

一度クリスマスシーズンに銀座のレストランに集い、楽しいおしゃべりの後、御木本ビル前の華やかなツリ―に見惚れ、イルミネーションの輝きに、しばし心を奪われ、過ごした良き思い出があります。
そのころに日程を組んでおられるのかもしれない、と思うこの頃です。

この集いも、誠に似た者同士のお付き合い。
いつも柔らかな優しい雰囲気に包まれ、心から打ち解けて、積もるお話に花が咲きます。

二十数年来のお付き合いですので、話題も年相応に、年々徐々に変わり・・・・・・
人生が染める色模様の変化ががそのまま会話に顕著に表れ、実に味わい深い語らいとなります。

最近は、介護、健康のことがもっぱら多くなった私達。
今年は、どんな話題で花が咲くことでしょう。

娘達に手を引かれ、90代になっても集まりましょうね、と言っています。

首を長くして皆さんとの再会を楽しみにしている私ですが・・・・・・
もしかすると、明日案内状が手元に届くかもしれません。
この会のことを綴っていると、そんな予感もしてきます。

瀬戸内はるみさんが朝日新聞に数年間に渡って連載された奇縁まんだらがついに終わりました。
愛読された方が多いのではないでしょうか。
私のその一人でした。

最近の新聞記事で、それにまつわる感慨を述べられた記事が載っていました。

次のように書かれています。

八十四年も生きてきた私は、生きるとは出逢いであると信じるようになっていた。人との出逢い、風景との出逢い、音楽と、美術品と、こまごましたアクセサリーたちと、さまざまな動物たちと……との出逢いも、私の生きる栄養となり、心身を育んでくれた。中でも人との出逢いこそが私の生の証であり、何にも勝る誇りであった。

体力に自信がなく、出不精な私の暮らしは、出逢いが余りに乏しく、この文章を拝見し、反省至極です。
今からでも遅くはありません。

もう新しい出逢いを開拓する気力はありませんが、今まで出会った友人との親交を深める努力をしなければ、としみじみ思います。

人に限らず、ささやかな新鮮な出逢いには、溢れるほど恵まれた今の世の中。
それをもっともっと享受しなければ、もったいないですね~

残り少ない余生。
出逢いを求め、彩り豊かな人生が過ごせるよう、ささやかな努力を続けてまいりましょう。。

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いつもお訪ねくださり、温かな応援まで頂き、本当に有難うございます。
今後とも、宜しくお願い致します。

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