いつもは、平凡で変哲のない日々が、穏やかに過ぎていくだけの私の暮らしですが・・・・。
ここしばらくは、珍しく心に刻まれるような温かな出来事が色々ありました。
敬老の日、中秋の名月、お彼岸のお墓参り、赤の他人の高齢者(96歳)の方との楽しいおしゃべり、大学時代の親友との電話による嬉しい語らい。
いずれも、私の静かなひとり暮らしに、明るい色を添えてくれる出来事でした。
ですから、それを時系列に一つ一つ綴っていきますね。
と言いながら、いつも不安になることがあります。
私の文章力と貧弱な語彙でもってしては、その情景をありありと上手に描けそうにないなあ~、と。
常にその思いが、ブログ綴りのストレスになっています。
文章を書くのが大好き、と言う人が私は羨ましくてなりません。
私もそうだったら、ブログライフが、今の数倍楽しくなるでしょうに。
高齢の身の今の私は、認知症予防のために綴っている。
そんな感じがしないでもなくて・・・。
今日も拙い文で何とか書き上げます。
宜しければ、最後まで目を通していただけると嬉しいです。
敬老の日に自治会から届けられたお祝いのお菓子
今年も敬老の日が訪れました。
とは言ってみたものの、私自身は、自分がこの日にふさわしいおばあさんとは余り思っていません。
見た目は年齢より若く見られることが多いけれど、体力は年相応なのですけれどね。
でも気持ちは恐らくまだ50代。
いつもそんな思いで暮らしています。
素敵な暮らしをしたい、お洒落をしなければ、友人を我が家にいつかまたお招きしたい、雑学でいいからいろいろなことを学ぶ好奇心は失いたくない等々。
新聞は必ず読んでいる私。
読書も毎日愉しんでいます。
そういった意欲と向上心は、77歳になっても5~60十代の頃とまるで変っていないつもりです。
惰性でなんとなくだらだらと暮らすのは好きではありませんから。
「退屈」と言った言葉は、私の暮らしでは死語です。
長女からあ届いたお菓子折りには、秋色の素敵なのし紙がかけられていました。
今年、自分が敬老の日にふさわしい人だと認識させられたのは、画像を載せたお祝いのお菓子を、町内会のブロック長さんから手渡された時。
そして、長女からもお菓子が送られてきました。
届くとすぐお礼の電話を。
するとMちゃんが言いました。
ママが好みそうなお菓子が入っていたから、それを選んだの、と。
恐らくお月さまと百人一首の柄らしき干菓子の事ではないかしら。
確かに風情のあるその柄に、しばらく見入ってしまいまった私です。
すぐ仏前にもお供えしました。
母は、初孫のMちゃんをそれはそれは可愛がったものでした。
恐らく、自分の命より大切だったのでは。
そんな感じで、孫達からもとても好かれたおばあちゃまでした。
そして翌日は、8年ぶりとかの満月の中秋の名月。
風流心がない私は、特別なことは何もしませんでしたが・・・。
次回では母と孫たちのお月見の懐かしい想い出写真をご紹介させていただきますね。
お彼岸に当たり、郷里の夫の菩提寺に、お布施を同封したお手紙をいつも通りにお送りしました。
その時は鳩居堂の便箋を私は使用します。
PVポイントのみ参加しています.
貴重なお時間を割いてまでお読みいただき、本当にありがとうございました。