今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

痛みを乗り越え、病と闘う夫 

2015-10-05 07:22:49 | 病気

夏の名残は跡形もなく消え、すっかり秋の趣となりました。

日本の四季の移ろいに、我が国の風土の情趣を思い、この国に生まれて良かったとの感慨に、私はよく浸ります。

そんな季節が巡る中、私の暮らしは変わりなく、夫の介護に明け暮れています。

季節感に浸る心の余裕も失ってしまうほどの日々ですが・・・・・・。

どんなに大変でも、夫にこの移ろう季節を肌で感じながら、幾年も生き抜いてほしいと、願って止みません。

 

 

癌を患い、痛みが出始めたころからの夫の性格の変わりようには、私は戸惑う事ばかり。

時に傷ついて、落ち込むこともあります。

元気な頃は、夫が腹を立てたり、いらいらする姿を私は見たことがほとんどありませんでした。

皆無といっても、大げさではないほど。

60代後半頃から、老いの現象か、多少短気になりましたけれどね。

娘たちは、父に叱られた記憶はないでしょう。

私も、文句を言われたり注意を受けたことは、ほとんどありませんでした。

 

とは言っても、特別優しい人でもなかったです。

若い時から、家族に気遣いの言葉をかけたり、冗談を言って家族の団らんを盛り上げたりたりするような人ではありませんでしたから。

でも不思議。

会社では、気の利いたジョークを飛ばせる、遊び心がある人で通っていたようです。

 

 

そして、頭脳明晰、教養も豊か。

私の知識なんて、夫の足元にも及びません。

けれど、暮らしの知識や知恵にはまったく疎いところがある、旦那さまですけれどね。

そして、大変な読書家。

読書にまつわる面白いエピソードが、最近ありました。

介護タクシーで我が家に戻った時、運転手さんが、書斎兼寝室まで夫を介添えしてくれました。

そして部屋に入るなり、

「ご主人は、作家さんですか?」

と。

私も夫も、笑ってしまいました。

書斎は狭いため、膨大な量の本を古本屋に二束三文で売り、処分してきた旦那さまです。

大した量でははありませんのにね~

 

我が家では、いつも寡黙だったYさんですが。

娘たちが成長し嫁ぎ、お婿さんが我が家の一員になってからは、次第にお喋りに。

家族が全員そろった時は、大人の会話を心から愉しんでいる風でした。

長女のお婿さんが言うには、夫の話題はユニークで、興味をとてもそそられるとか。

でもやはり、一番無口であることには変わりありませんけれど。

 

そんな旦那さのの様子が次第に変わって行くのを見るのは、堪えられないほど辛く悲しい事です。

 冷静だったYさんでも、癌による痛みには堪えられないのでしょう。

「痛いよ~痛いよ~」と悲痛な声を、一時期よく上げました。

 

 

娘達には、

「これまでのパパの暮らしからは、まるで幼子のような叫び方をする態度が信じられない」

とよく私は言いました。

痛みはもしかすると、人間にとり、一番辛い苦しみなのかもしれません。

人格まで変えてしまう、恐ろしい現象。

私にはその痛みの幾分でも想像できる経験があります。

 

背骨の圧迫骨折をした時の事です。

レントゲン撮影をするために、寝台に横にさせられました。

看護師さんが、無造作に幾度も私の体位を変えようとします。

その度に、火柱が全身を突き抜けるような激痛に見舞われ、

「止めて下さい!止めて下さい!」

と、叫びに近い呻き声を発してしまいました。

起床するときにも同様の痛みに襲われ、床を離れる時の緊張は相当なものでした。

その時の私に似た痛みが時折ではなく、間断なく夫を襲うのであれば、叫び声を上げるのは無理からぬ事に思えます。

痛がって、感情の抑制が効かなくなった旦那さまに、私はうろたえながらも必死で対応し、子供をなだめるように接するしかありません。

 

三月頃、大腸がんの背骨転移が判明しましたが。

その箇所に放射線を照射する治療を約二週間にわたって8月の半ばに施しました。

そのおかげで、痛みが随分緩和されているようです。

多少ホッとしている今の私です。

 

 

しかしこれで安心は全くできません。

骨転移すると、病人も介護者も、相当の覚悟がいるようです。

今度の対応を娘たちと、時々話し合っています。

旦那さまに、少しでも楽な暮らしをさせてあげたい。

穏やかな日々を送ってもらい、できる限りの天寿を全うさせてあげたい、と熱い思いで一杯の私です。

私の今後の生きがい、と言っていいかもしれません。

 

 人格が変わってしまった如くの振る舞いが多々見られた旦那さまでしたが、

最近は、元の平静で穏やかな接し方も、時々私にしてくれます。

しかし、私の献立の七割がたは食べてくれるほど、食欲があった旦那さまですのに、

数週間前あたりから、その量が激減。

今はそれが一番気がかりです。

 

私は、夫の余命いくらと言われようと、希望は捨てていません。

人の命を医師とはいえ、宣告するの不遜な行為ではないでしょうか。

今後数年間、あるいはもっと長く、この人と一緒に暮らせる幸せを思い、

いつまでも長生きしてほしい、と心から願っています。

 

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