一昨夜は、、久しぶりに雨の音を耳にしながら、、夜が更けていきました。
翌日が、食材の買い溜めと、眼科と歯科医院に行くことを決めていましたので、明日は雨が上がってほしい、と願いながら床に就きました。
晴天ではなかったけれど、雨は上がり、用事をなんとか順調にこなす事ができ、ホッとしています。
体調が良い日と悪い日の波が、相変わらず激しく、困ったものです。
ところが昨日は半日外出したにもかかわらず、夜もとても元気。
夫に、「どうして私、今夜はこんなに元気なのかしら?自分の体ではないみたい」と話しました。
「あぁ!そうだスターバックスのコーヒーモカが元気づけになったのかもしれない」と。
何故かスターバックス店で一服すると、いつも私は、元気が湧いてきます。(笑)
実は、今日は最後にこのお店にまつわる、嬉しいお話しをするつもりです。
植え付けて半年近くになる日々草。今なお元気で華やかです。
歳を重ね、首を患ってからは、ますます体力が落ちたのは確か。
けれど、年齢のせいにして諦めるのもまだ早い。
もっと体力を付けて、もうひと花咲かせなくては、なぁ~んて思ったりもするのですけれどね~(笑)
私と同じように虚弱体質ながら、気力で何事も頑張り通し、気丈だった母。
今の私の年齢の頃には、すっかり生活力が落ち、認知症が徐々に進行し始めていました。
既にその十年前くらいから、親子の力関係が逆転し、精神的には私に頼り切っていた母です。
同居を始めたのも、認知症の進行を父が心配してのことでしたが、共に暮らすようになってからは、妹曰く。
「まるでお母さまは、お姉さまの影のよう」と。
それ程、いつも私の傍を離れず、まるで幼児のように可憐な姿に変わり果てていました。
穏やかで、温厚そのもの。
ボケてしまったとはいえ、実に清らかな年の取り方ができた母。
私には、到底真似はできそうにありません。
両親が共に寝たきりになり、入退院を繰り返すようになってからは、私の暮らしは、たんの吸引器が昼夜離せず、夜も熟睡はほとんどできなくなりました。
ファミリールームの隣の和室は、大きな可動式のベッドが置かれ、その横には医療器具がいっぱい。
週に一度訪問看護婦さんが見えていました。
まだ介護保険がない頃のことです。
妹、夢路も、両親が寝たきりになってからは、我が家に日参して手伝ってくれたものです。
数カ月の入院の際は、午前と午後に役割を分担し、妹と私で病院に毎日通い、数時間、親の傍で過ごしました。
何故か、母の6階の病室から窓越しに見えた真夏の盆踊りの光景と音響が、今も心に焼き付いて離れません。
看護士さん達ともすっかり親しくなり、「今日は、半夜勤ですか?」とからかわれたものです。
その位、一時は、病院生活が長い私達姉妹でした。
連絡ノートも用意し、午前午後の引き継ぎの前に、母の様子を書き留め、お互いに渡し合いました。
しかし、そんな努力も虚しく、病室で呆気なく、逝ってしまった両親。
ともに、病院の医療ミスといってもいいほどの、ずさんな処置が理由でした。
もっともっと親孝行をしたかったな~、と今でも思いますが・・・・・・
親孝行したい時には、親はなし、という言葉がありましたね~
同居したころは、まだ娘達は、大学生と高校生。
次女の大学の入学式には、母を連れていったものです。
母親として、娘達への気配りが欠かせない忙しい時期でしたから、母に全力投球とはいきませんでした。
注げたエネルギーは、二分の一くらいではなかったでしょうか。
十分、手を尽くして上げられなかったことを、今も時々悔やみますが
それも止むを得なかったこと、と自分に言い聞かせ、深く考え過ぎないようにしています。
今日も又何だか、思いがけない方向へと、文章が流れていきました。
いつかは触れたいと思っていたことでしたので、多少でも綴れてよかったです。
もっともっと詳しく記述したいところですが、今後折りある毎に、ぼつぼつと思っています。
実は、最初、両親の思い出話を書く予定ではありませんでした。
私は、同居を始めた頃の母と同じ年齢に差し掛かってはいるものの、母よりはるかに元気です、とお伝えしたかったのです。
実は、まだ暑さ厳しい八月の終わりの頃のことです。
次女から、思いがけない嬉しい言葉を貰いました。
又自慢話に聞こえてしまうかしら?(笑)
お聞き苦しかったら、失礼お許しくださいね。
今の私には、これ程、嬉しいほめ言葉はない、というほどチョット舞い上がってしまいましたので。(笑)
私が、次女の旦那さんとかれんちゃんの保育園帰りの姿を遠目に見た時の印象を、述べた時のことです。
とても品の良い素敵な親子に見えたので、ババ馬鹿振りを発揮して、電話口で娘にその感想を、褒め言葉を一杯並べて伝えました。
ところが、そのお礼でしょうか。(笑)
でも事実のようです。
次のような思いがけない嬉しい言葉が返ってきました。
K君の保育園でご一緒だったお母様が、私をスターバックスで見かけられたとのこと。
言葉を交わしたことは二、三度しかありませんが、私も、よく存じ上げている素敵な方です。
恐らくその方の目に留まった時、私は都心に出かける前で、精一杯のお洒落をしていたのかもしれません。
私の印象を、過分な言葉で褒めて下さったようでした。
その言葉は、さすがに恥ずかしいので省略します。
でも、私が舞い上がってしまった言葉を一つだけ、臆面もなくご紹介させて下さいね。
その方、曰く。
「お母様は、何かお仕事でもなさってご活躍中の身でいらっしゃるのですか?」
一生に一度でもいいから言われてみたかった言葉!
信じられなくて、わが耳を疑ったほどです。(笑)
主婦業が大好きで、それを専業とする自分の生き方に自負と誇りを抱いて、私は暮らしてはきました。
けれど、娘達のように第一線で働くキャリアウーマンには、到底かなわない引け目のようなものが、いつも幾分かはありました。
自分の背中に、今一つ自信が持てない、と言えばいいでしょうか。
気ままに暮らせる専業主婦の胡坐に安住してきた私の背中は、凛としたものとは程遠いのでは、との思いが付きまとっていました。
ですから、その反動で「凛」という言葉が大好きな私です。
ピンク色のチェリーセージ
娘達も、普段はユニクロの服も愛用し(私は苦手だけれど…笑)、実にラフな姿で休日は過ごしています。
しかし、出勤時は見違えるようにお洒落な衣服で身をまとい、颯爽と出かけていきます。
次女と、いつか会社の前で待ち合わせ、昼食を共にした時のこと。
しばらく時間が経過し、瀟洒な会社のビルから出てきたMちゃん。
その姿が、余りに輝いて美しく我が目に映り、親ながら感動でした。。
長女にも同じような経験があります。
確か、熱を出した孫の世話で、早朝手伝いに長女宅に向った時のことです。
最寄りの駅で、すでに家を出て会社に向かう、さっそうとした長女のMちゃんに出会いました。
その時も同じような感激を味わったものです。
ですから、あと数年で70歳になろうとする私が、幾分でも、キャリアウーマンのごとく、輝いて他人の目に映ってくれたのであれば・・・・・・
私はまだまだ捨てたものではない、なぁ~て、ちょっぴり自信が蘇ったのでありました。(笑)
老人の強がりの、みっともない自慢話です。
歳を重ねると、子供と同じで、ほめ言葉には弱く、ことさら嬉しいものですね~
恐らく、自信喪失甚だしい心理の、裏返しなのでしょう。(笑)
その褒め言葉を励みにし、丸くなりがちな背筋をしゃんとのばし、キャリアウーマンのごとく颯爽と、日々を送りたいものです。
専業主婦の自由な身に甘え過ぎず、今日も、凛とした姿で素敵な1日を、と願って止みません。
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