美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

天は無用を生まず殺さず、感謝すべし(齋藤緑雨)

2018年06月17日 | 瓶詰の古本

○血といひ、汗といひ、或時は涙といふ。これを以て誠意を表し、熱心を表し、或時は真情を表すとなせるは、もと夷狄の発明也、舶来式也。言霊(ことだま)のさきはふ我邦の文学は、かゝる迂遠の顔料に由りて、まさきくの光彩を今に放てるに非ず。隆昌を極めたりときこゆる徳川文学の如き、更に分たば江戸文学の如き、其生粋を洗へば茶と酒となり。
○之を一派の文士に見る、文士の務は憂き限り也。一日一夜の旅にも、掟の如く筆を載せて行かざる可からず、紀行文を出さゞる可からず、飲酒と駄洒落とを風聴せざる可からず。否(あら)ず、飲酒と駄洒落とを以て、紀行文の二大要素と心得ざる可からず。江戸の東京と改まれるは、三十年の夢の昔なれど、日本橋は猶現に木造也。
○字面の最も面白からずして、字義の最も面白きもの、薄志弱行の一語也。薄志弱行にあらざれば詩は成ることなく、薄志弱行にあらざれば詩は解することなし。
○道は学ぶ可きに非ず、遊ぶ可き也。学ばんよりは遊べ、大に道に遊べ、小説家たるを得べし。カタルは熱を伴ふことあるもの也、病的現象也。
○名誉ある小説家諸子はいふ、だめな世間だからと。又いふ、ろくな報酬をくれぬのだからと。だめな世間に対つて、ろくな報酬を求む、矛盾ならずや、木に縁つての魚ならずや、八重山吹の実ならずや。
○大作とは長きものなるべし、だらだらと長きものなるべし。按摩に秋光魚(さんま)といふことあり、百回に厄介といふことなきにあらず。
○あゝでもない、こうでもない、遂に酢豆腐を出しぬ。今の批評家は、註文家なり。あはや此珍膳を出さんとして、無銭遊興を出せり。サイエンスとやらんの功徳とおぼし。
○学殖、閲歴を作家にのみ責めて、評家に責めざるは何が故ぞ。女髪結を妻とせる人と、今の評家とは、手を懐ろのぶらりのそりと、徒らの朝晩に太平楽を巻きて、肩をお長屋衆の前に聳かす迄也。若これにも世の教訓は潜むといはゞ、天は無用を生まず、而して殺さずとの一事のみ。綠雨の疾みて尚死せざる、亦よそながら感謝すべし。

 (「みだれ箱」 齋藤綠雨)

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