神を知らなくても、理不尽な現実が到底受け入れ難く、天へ向かって呪う人間は幾らでもいる。神を信じなくとも、返らぬ昨日に何故を問いあぐね、螺旋の絶望に埋もれて自分自身を無益に責める人間は世界に満ちあふれている。理不尽を理不尽と知らしめる根源のあるところへ降りて行ったとき、絶対者の意思を見る者はいざ知らず、やり場のない悲嘆に沈み込む者には、求める救いというものがこの世にあろうとは思いもよらないことではないだろうか。悲しみに等級はなく、ただ無限の悲しみがあるばかりだ。
絶対者こそ知らね、最愛の者を喪失した人間にとって、死は決して不吉、不浄なものではあり得ないではないか。理不尽な死に出会った者にとって、死は、それらや自らの死を包含しての生を生き生きとなすべき、存在ないところに存在ある帰一の始終点ではないだろうか。かつて時を共にしていたが故にすべての時を受け入れられない大きな悲しみが一旦はそこにあろうけれども。