か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

百鬼昼行、奇々怪々、脂粉の香りにむせかえる魔都、上海  その6

2013年02月22日 | 東洋歴史

豫園に行った。18世紀明代の製造だからあまり古くない。今は規模も小さくなり当時の半分のようだ。太平天国の乱のとき、いくらか洪秀全の分派が拠点にしたことがある程度のようだ。

今はその面影もない。碑か解説の立て札がほしかった。「小刀会」、なかなか怖い名前だ。手りゅう弾もはやりだが室内では短刀にまさるものはない。小型武器としてほぼ完成形に近いと言える。威力、スピード。証拠を残さず必ず殺す。且つどこに隠しているか分からない。黒社会の必需品だ。「小刀」、純化した美しい形をしている。単純だから美しく完成形に近いのだ。

タコはこの逆説が分からない。複雑でごてごて飾り付け、何でもチョロチョロついているコンビニ弁当が完成形と思う低能だ。

そうではない。スナッポンだ、KTCだと凝るまえにモノはなんのためにあるかを考えよ。例えばドライバーはねじをまわすためにある。持ち手にひだがついて滑りにくいだと。バカ。ついてなくとも滑らないモノをつくれ。持ち手に穴があいて他のドライバーを入れて回せるだと。バカ。そうしなくても力の入る持ち手を工夫しろ。

「小刀」に鍔(つば)はない。刃で自分の指を切る可能性がありそうだ。ところが鍔があるとゴロゴロして体に隠しにくく体の動きも悪くなる。だから独特の工夫をして取り出しやすく自らは傷つかない技が生まれる。刃はさやの中にあるときは刃先の一点でさやに接している。さやは刃のみねがある部分は広くなっている。すべて命がけの試行錯誤の結果純化されて理想に近付いたものだ。

そこらのオカマ車の配線だらけの醜態とは正反対を行くものだ。

「小刀」一つで理想郷(太平天国)を夢見た洪秀全一派。近接戦では最高の武装をしていた。洪秀全はけっして無謀な戦いを挑んだわけではない。列強が中立を決め込んだとき最もあわてたのは清朝政府だった。単独では勝てないからだ。恥ずかしくも列強が介入を決めたとき最も安心したのは清朝政府だった。清は自国を蚕食されて喜んだ。

しかし、そのことを豫園を訪れる日本人のだれが知ろう。豫園に千人行こうと、やかましく鳴る日本の懐メロにフラフラとシュウマイを買いに行くのがオチだ。それじゃあ島はとられるぞ。

豫園の回廊を回ってコーラ(本物)を飲んで歩いていたらひょっこり外に出た。トロリーバスがいるではないか。僕は絵本でしか見たことはない。運転手がトロリーを下して木陰で休んでいた。バスの中を見せてくれというと実に愛想良く見せてくれた。

仕組みはよく分からなかったが、「小刀」を思い出した。モーターしかない。少なくとも40年は経っているだろう。ハンドルのある電車だ。テントウムシの二本の触覚のような可愛く伸びた天井のひげが運転手とともに休憩をしていた。回生ブレーキとか小賢しいことはしない。終点での方向転換はどうするのか聞いた。転車台みたいなものがあるかと思ったら、ただそこらを架線と一緒にぐるーっとまわるそうだ。

こりゃあいい。故障するところがない。架線が外れたら紐でトロリーを動かす。なんでも複雑なのが機能が多くていいというバカヤローが、バス停に電極を置いて乗客の乗降時に充電をしようとか考えたらしい。次のバス停まではバッテリーで走ろうというわけだ。

モノはあれを足しこれを足し完成するのではない。

モノはあれをひきこれをひき単純になって完成する。
                                             (写真は豫園)
Posted at 2013/02/02


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