か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

おねだり韓国の礎を築いた男 朴正煕 2

2012年08月30日 | 東洋歴史
満州国軍軍官予科を首席卒業という茶番に浮かれたのは多分本人だけだろう。絶対にありえないじゃないか。高木正雄こと朴正煕よりも成績が悪かった人がいたら知りたいものだ。教育大のビリが突然防衛大の首席になる。ばか。

勉強を知らん奴は頑張れば成績は上がるという。帝国の将校をバカにするな。頑張るのはみんな限界まで頑張っている。あとは頭だ。朴正煕には無理な要求だった。質は努力でカバーできない。

ところがタイミングよく本土決戦が現実味を帯びてくると自殺攻撃用の将校の需要が著しく増した。平和な時代には500人程度の定員が2000人を越えた。57期、最後の陸軍士官学校に朴正煕は入学する。 キチンというと満州国軍から転入する。裏口推薦入学だ。

このころになると人数の拡大とともに薄められた皇軍兵士は知力体力ともに雑兵の集まりになった。まもなく、上手く潜り込んでいたつもりでいた朴正煕は天地の逆転を実感する。敗戦だ。日本人陸士の生徒は戦後の面倒を見てもらえたが、朝鮮人は路頭に迷うことになった。

あまえるな。当たり前だ。それがいやなら独立するなよ。独立とはたもとを分かつことだ。

人生には究極の判断を強いられることが何回かある。朴正煕もそうだった、ただし彼はその判断を間違えた。兄とともに労働党(共産党)に入党したのだ。兄は射殺される。自らは逮捕され死刑判決を受ける。このとき世渡り上手な彼の能力が発揮される。

北の労働党情報の提供を申し出て、率先して共産党と戦うことを誓った。利用価値があるとみた米軍は彼を生かしておくことにした。折も折。朝鮮戦争が激化して将校不足に嘆く韓国軍は戦力になりそうなものは何でも使うことにした。

敵は北にだけいるのではなかった。前門の虎、後門の狼。李承晩傀儡大統領が済州島で数万単位の虐殺をおこない、沖縄を攻めるだの、25000もの捕虜をかってに釈放するなど狂気の沙汰がもう手に負えない状態になっていた。

米軍は李承晩を見限った。

朴正煕は今まで同様にあさましい思考パターンで自己実現を図った。つまり、ハイ僕がやりますと手をあげて、臆面もなくこの共産党崩れは人民を裏切った。権力掌握という野望に目覚めたのだ。

満州軍管区学校に合格させてくださいと嘆願書を書き、
拝みこんで不遜にも帝国の陸士に転入し、
それが見込みないと見るや共産党の権力にすがり、
韓国政府の警官に兄を射殺されたにもかかわらず、今度は韓国軍にすり寄り共産党情報と引き換えにわが命の延命を図る。

この小賢しい策略は韓国人の特徴であり、朴正煕はその浅ましい3500万人の一人にすぎなかった。
Posted at 2012/08/20 23:38:26

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