か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 110

2023年12月20日 | 韓国
<前回のつづき>

一方は与える人もう一方は受け取る人。このとき受け取る人はさらに多く受け取ろうとする。与える人はより少なく与えようとするのは当たり前だろう。むやみにたくさんくれと言ってももらえるわけではない。どこかの国内債権債務関係であったら裁判をし強制執行をするだろうが、国際関係ではどんな方法で相手方を見動きとれない状態にして受け取ろうというのか。もしもカネは出せないと言い張ったらどうするのか、戦争をするのか、裁判をするのか?方法があったとしても会談を決裂させる方法しかない。破綻しないわけがない。そのようになったらどちら側が残念な結果になるだろうか。日本側としては一つも残念な問題はない。ただ平和線(李承晩ライン)の中で魚を取るのに支障があるくらいだ。それと反対にわが方はいろいろ関連した問題が連続して出てくる。


このことが時間がたてばたつほど正比例して受け取る側を不利な立場に追い込むので日本側はその時さらに出すことは渋り続けるだろう。民政党代表尹潽善氏は27億ドルを受け取らなければならないと主張したが、こういう主張は、自分がすれば27億ドルを受け取れた、というたぐいの話と同じ意味であり李博士(李承晩)が尹潽善氏ほどにはできす4億ドルを考えていただろうか?こんな巨額のカネを受け取ることができる実力の人が大統領でいるとき請求権はないまま6億ドル程度の技術援助と物資を与えようという話が出たとき、なぜその当時に27億ドルを受け取るべきだという発表をしなかったのか?日本が27億ドルをくれないならどうするつもりかという話だ。夢みたいな数字をむやみに言いだし待っていればいいというのだろうか?

もちろん3億ドルという金額と有償3億ドルは36年間彼らが我々を搾取してきたこととか無数の愛国志士が殺戮されたこと、強制して学徒兵、徴兵、徴用に引っ張っていき死と苦痛をあじあわせた事実を思い起こすならば6億ドルはもちろん600億ドルを受け取ってもすっきりはしない。しかし現実は現実だ。我々は過去の憤りを押さえ受け取れもしない金に固執するよりはより将来の利益のために妥協をするほかないのである。(『これが日本だ』国民哲学宣伝社 1965)




上記の文章は40年前日韓国交正常化会談当時の国内議論の雰囲気を知ることができる面白い資料である。上記に引用した本の著者は朴正熙政府の国交会談を支持する立場から現実論を主張する人物だったようだ。実際今日考えてみると有償無償借款あわせて6億ドルを受け取り日本と国交正常化をすることができたということは韓国の立場からしても大いにもうかる商売をしたのだ。1965年当時韓国の国民総生産が45億ドル余り、現在の100分の1に過ぎない時期であったし当時我が国の輸出1億ドル達成のために総力を傾けていたのを考えると6億ドルがいかにものすごい金額であるのかがたやすくわかるだろう。当時朴正煕政府がどんな手を使ってでも外貨を確保しようとしたのは、外貨がなければ先進国から機械を買い入れ輸出産業を打ち立てることができなかったからだ。今日でもすべての開発途上国が同様の状況におかれている。後進国ということはいつも売るものは少なく買ってこなければならないものが多いため外貨不足に悩ませられるほかない運命である。


大東亜戦争(太平洋戦争)で事実上唯一の戦勝国であったアメリカは日本を占領したのちすべての産業基盤を抹殺し農業国にして再び強大国にならないようにしようとした。しかし2次大戦(太平洋戦争)が終わると同時にソ連を中心とした社会主義陣営との間に冷戦が始まり日本に幸運が舞い降りた。とくに韓国戦争(朝鮮戦争)以降アメリカには太平洋防衛が焦眉の課題となったので韓国、日本、台湾を成長させて共産主義の拡散を阻止する政策をとらざるを得なくなった。アメリカが戦後再び日本を独立させいかなる戦時賠償も求めないという無賠償主義をとったのもこのせいであった。莫大な賠償金は事実上日本経済を相当の期間再起不能にするからだった。



<つづく>毎月20日発行




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