か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

在松山 四国朝鮮初中級学校  3

2012年12月29日 | 韓国

わずか数か所の朝鮮学校を見ただけで判断してはならぬが、金日成、金正日父子の肖像画の類はどこにもなかった。

一部を見て全体を判断するなということは一見もっともらしい。実際は、勉強したことのないアホの言い草である。すべての事象について全体を見るのは不可能だ。だから一部を見て全体を知るために人類には大脳というものがある。

教室には、「熱心に学習に励んで一人一人の力量を高めよう。」というスローガンはあった。それは別に問題ない。

数十年前には金日成の肖像があって、まるで御真影のように生徒たちを睥睨していた。公共の場に自分の写真を飾らせるということは、韓国の朴正煕(パクチョンヒ、ぼくまさてる)大統領もやっていたことだ。売春宿の天井の近くから見下されるのはあまり気持ちがよくない。

日本にいる南北両陣営とも幼稚な御真影ゴッコはもうしていない。こんなバカみたいな神格化ゴッコは、カリスマ性をでっち上げ、無条件に従う人間をつくるのに成功した近代日本のまねである。

小中華を目指した太陽の帝国が亡びると、こそこそと二匹のネズミが一つの半島をとろうとした。

思想信条は自由であるので無理に黙らせようとは思わないが、主体(チュチェ)思想かぶれが大学にもいた。チュチェ思想には思想としてすぐれた点があるのはもちろんだが、ポイントは、破たんした、はるか昔のカビの生えた言い回しで人民を統率しようと夢を見ていることだ。ともあれ、日本の大学の先生は本当にとんでもなく自由な人たちだ。高校の授業でチュチェ思想と言った時点で教育委員会が鼻血を出す。

この、とんでもない言論に対しても自由が必要なことは、先日述べたので再論しない。

朝鮮学校の廊下はとてもせまかった。先生たちはほとんどボランティアにひとしい給料で働いている。運動場も狭い。こんなとこからどうしてサッカー選手が生まれるのか。座学は日本の学校と遜色ない。バカもいればこの時とばかり僕に質問する熱心な生徒もいる。日本の高校より若干ましだろうか。

物珍しさも手伝って生徒が5,6人、職員室で雑談していた僕のところに来た。ノートを持っている娘がいたので無理やり見た。そしたら、「先生本当にあの大学の先生?」とか言ったのでためしに問題を解いて見せた。僕はこのごろ勉強を怠っていたので意外と苦労して解いた。あまりカッコよくない。

教室の半分の広さの職員室。生徒の質問は幅30センチの小さい机で受ける。使われていない教具室。手入れの悪い遊具。最悪の教育環境だ。だが勘違いしてもらっては困る。だから素晴らしいのだ。これに比べたら日本の学生は天国にいる。だが日本人には覇気がない。自分さえいいとこに就職できればいいと思っていて、それを公言してはばからない。だれ一人日本の心配をするやつはいない。

僕は朝鮮学校の生徒に対して、僕が小さい時喧嘩して負けた怖い存在のイメージをひきずっていた。

生徒は一見すれば普通の日本の生徒と変わるところはない。だが、話すと違う。生徒は日本で育った朝鮮カボチャだ。完全バイリンガルだ。K-POPに詳しいのが何か不思議だ。踊ってくれたりした。先生はただにこにこしてそれを見ていた。みんな心の底で朝鮮を心配していた。日本人は絶対日本を心配しない。

ここに僕は何の問題性も見いだせなかった。ただ、補助金なしには早晩つぶれるな。経営上成り立たない。生徒もいなくなるからちょうどいいかな。と思った。だって総連自体が急速に先細りしている。

アメリカンスクールは反日教育をしている。原爆投下は正しかったと教えている。なぜ問題にならないのか。キリストの御真影が飾ってあるぞ。

強い者にはルールを最大限穏やかに適用し、弱い者には正当性を越えて厳格に適用する。日本がこのダブルスタンダードから抜け出す日が、極東に平和のくる日だ。

 
Posted at 2012/05/09
 
 
 
 
 
 

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