か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

春のよき日にイタ車イタ飯

2019年03月15日 | 食・レシピ

額に汗して長時間労働にいそしむ過労死予備軍、日本の労働者階級の皆さん。僕は平日のお昼にイタ飯(いためし)をいただきに出かけたのだ。

この頃は間違ってあぶく銭をつかんでいかにも自分が優れているかのような錯覚をして、これ見よがしにあほ車に乗り歌でも詠んでありもしない教養をひけらかしているつもりのバカが増えた。

 

ほんものの教養が身につくと人生が豊かになるが、本来見えなかったものまで見えるようになり悩みも増す。だけど、都合のいいものだけ見るわけにもいかぬ。

どうしても舞い上がったバカ、調子に乗って偏狭な国家主義を吹聴する低能…がいっそう目障りになる。どうすればそんな低能ができあがるのか、だれも何も言ってあげられなかったのか、と。

ま、そんなのに花を持たせるわけにもいかず、日頃から「知」の戦闘にいそしんできたぼくは自分へのご褒美に今週は外飯(そとめし)ウィークと銘打って食堂巡りをすることにした。

 

爾来、巷の極貧層は僕を非難するときよくこの名称を貼った。「プチブル急進主義」 いみじくもその通り。おまいらの顔には「ひがみ劣等感ひねくれ極貧ぐうたら退廃主義」を貼ろう。

そんなバカたちは自分の貧困や無能を認めたがらず、どうしようもなく認めざるを得ないときは頭が悪かったからとか運が悪かったとかとにかく自分という精神主体以外のせいにする。

当然に努力と才能と環境がそろえばだれでも生活や精神に一定のpositionを得る。努力、才能、環境のうち才能や環境は本人の責めに帰さない。しかし、ここはまじめに考えなければならないところだ。

だからこそ残りの一つである努力こそは欠かしてはならぬのだ。

脳細胞がひがみでできている人は話の本筋でもないのにこういう。じゃあ、からけんは相当の努力をしたんだな。僕は答える。人の心配は大きなお世話だ。自分のバカさかげんこそ心配しないと社会にとって不要で有害な人間になるぞ。

 、

ぼくは努力したからこうして美食の報酬を得ているじゃないか。ほんとおいしい話だ。報酬なんてなくともよいが、努力に教養は必ずついてくる。努力しないで言い訳ばかりが上手になりひがんで片田舎で一生を終えた可能性もあったわけで、そう思うと実にぞっとする。

 

そのおいしい話。このレストランは紙のカードに1個/1000円のハンコを押してくれる。妙に電子カードなんかじゃなくて歪んだハンコも何となく人間臭い。ハンコが20個になると800円引いてくれる。ありがたいという本音もすこしある。

これは富裕層たるぼくを狙った店の陰謀だが、あえて引っかかってやることにしている。ウエイトレスの可愛さは関係ない。

国道沿いのブロイラー化した人間用のうるさく下品で汚れた婆が行く外食屋ではなく、文化を担うPetit bourgeoisが行く静かで駐車スペースが広い料理店がある。

労働に追われた下品な民は髪が乱れている、声が大きい、話題が貧困で、見栄ばかり考え、縮小コピーしたしつけしてないガキを連れる。この人たちの関心は価格と量である。

 

品のあるまともな外食業が勝負するときのポイント。

① いかに家庭で出せる味を超越するかにある。そのためにはいかに向上心を持ち続けるかである。というのは、うまいからと言ってイタ飯屋がラーメンを出すはずはない。が、イタ飯の範疇での多様性が問題だ。易しいことではない。この店は一度として同一の料理が定番になったことはない。動機を問わず行きつくポントは努力だ。

ぼくは尊敬している。これほどの発想の自由さ、大胆さはどこから来るのか。調子に乗って舞い上がっているところは早めにやめろ。くさい。 ξ

 

② 素人もまぐれでうまい料理ができたりする。しかしそれを異なる料理で続けることはできない。素人の料理にたとえ100点があっても所詮素人であるわけは、80点であっても決して60点を取らないプロには及ばないからである。

たまにするまぐれ当たりよりコンスタントな上品さは、えも言えぬ安心感となり客はその店のとりこになる。

店は安心感を与えているか。

 

③ 上記の①、②がそろっているという条件の下、どうぞ高い値段を設定してくれ。高級であるということはまねできないことをすることだ。だから閉鎖的であるのは当然である。金持ちだと錯覚したのが口にものをためて大声でしゃべるのは殺してもよいことになっているらしい。走り回る子供がいたら絞め殺してよい。横柄な態度でウエイターを呼んだらシェフはそいつの車の屋根で包丁を研いでよい。

下品なふるまいは食中毒より怖い。

その場違いを排除する威厳があるか。

 

上記①,②,③が満たされるとき、たかが飯を食うだけではあるが、うららかな春のひかりのなかに至福の時が流れる。

料理内容は次回


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