別に高校が廃校になろうと、ましてや大学が消えたからと言って深い悲しみに落ちいる人は少ない。
ましてや自動車学校、お料理学校が消えたから死のうという人はいない。
だが中学校、小学校となるにしたがい、きっとこの喪失感は自分だけしかわからないと思うほど悲しみは深くなる。
皆さんは神経がガサツな人が多い。
日本史どころか自分史すら次々忘れ、新しいもの、面白いもの、楽しいもの、分かりやすいものに飛びつく。考えない人が増えた。
廃校になった自分の学校に行くと、こんな小さな椅子に座っていたのかと思うほどだ。が、そういった学校があればまだよい。
教室はいつの間にか、にわか陶芸家がカッコつけて土をこね、なんちゃってカフェが文化祭の模擬店程度でカネを取ろうとしている。
失礼な話だ。小学校を廃止にされた村は文科省のお達しとなると途端におとなしくなる。校舎を転用して、「ホントはこんなに陶芸の需要がありました」とか「住民はこんなにヨガ教室を待ち望んでました」とモミてスリてでしっぽを振る。文科省は、ほら廃止してよかったでしょというのだ。
仕事はすべて命懸けだ。みんなそれぞれプロだ。にわか陶芸家は本物に失礼だしカフェもヨガも同じだ。
さて、それほど子供が減ったので統廃合をしたのか。それはここ40年を見ればそうだ。戦後の引揚者は田舎に住むしかない。だから都市に仕事が集まると当然に人口は減った。
しかし結論付けるのはまだ早い。100年のスパンでモノを見ると、明治政府は今よりもっと人口が少ないところに学校を建てている。
通学バスなんてなくとも歩いていけるところに学校があった。東アジアの低開発国はそれをお手本にしてきたのだ。
放課後、バスで連れ去られる子供たちには放課後の遊びは存在しない。牛乳配達のように暗くなるころポツンポツンと子供がおりていく。
世界に冠たる日本国はこんな現実を作ってはならない。明治貧乏政府が作った小学校の30%が消えた。安倍の仕業だ。どこが地方創生か。小学校は、村の寄り合いや盆踊りや集会の場であり、みんなの心のつながりがそこにあった。
明治時代の先生は学校ができうれしくて無給で働いたこともある。村の小学校の火を消してはならぬのだ。みんなの合言葉は「一等国になろう」だった。