か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

山崎金属工業株式会社

2014年10月15日 | 技術

ナイフ・フォークを中心にCutlery(カトラリー、食卓用の金物類)を作ってきた会社だ。伊勢神宮式年遷宮を奉祝して奉納された「瑞音」というカトラリーは世界最高だと思う。

ノーベル賞の授賞式がまもなくある。小学生の作文を書く村上春樹が選ばれなくて、胸をなでおろしている。

授賞式のあとは会食だ。むしゃむしゃ、ガチャガチャの汚い音はまったくしない。佐賀県のファミレスは、席ががら空きでも造船工場の中にいるようだ。

受賞者たちが使うカトラリーは、本場ヨーロッパのものではなくこの山崎金属工業株式会社製のカトラリーだ。日本の田舎、新潟県のさらに田舎の燕市のはずれに、この会社はある。赤坂離宮の食事にもここの製品を使うことがある。

銀を磨くだけ磨いて輝きを出したようだ。18-8もここまで美しくなるのか。絶妙なカーブをカットできる人がまだ日本にはいたのか。スプーンの中にもうひとつの世界があるようだ。

100年近く前、この山崎が見よう見まねでカトラリーセットを造った。製品のレベルは欧米にとおく及ばないが一生懸命作った。

人口のほとんどが農民であった頃、その農民たちは木を彫って器にし竹を削って箸にした。山崎が食事用ナイフを作ったのはそのときだ。

このごろは、中華ナイフが100円Shopで売られている。スパーンと打ち抜いただけの非人間的給餌補助具。バリ(型抜きをしたときの材料の尖り)を取ってない、重心がこれでもかというほど悪い、全体に軽い、小さい、押さえる人差し指が痛い、押さえると曲がる、柄がほそい。

どんなに100年前で、国民がナイフフォークを知らない時代であろうとも、山崎には信念があった。

「いまにみていろ」

中華ナイフは今から100年たっても100円Shopにそのままあるだろう。バリで人のくちびるをチクッとさせ続ける。

考え抜かれたデザインと実用性。僕は山崎に惚れ込んでいる。刃にギザギザをつけ、スジばかりの安売り輸入肉を切りやすくした類のものではない。機能美は手抜きした中華のものには宿らない。

山崎は、あと100年たとうと僕の家にあるだろう。

写真、握り手の模様に注目してほしい。どう見てもモスクにある細密画の一片だ。

ここまで読む人はかなり教養のある人だ。たいていひがんで止めている。カトラリーには、アラベスク、もう少し言うと細密画(ミニアチュール)の雰囲気を感じることができる。

実はポイントはここからにある。15世紀までヨーロッパは、手掴みで食事をしていた。食事は冷えていることが多く、感染症(とくにペスト、黒死病)が蔓延し人口は下降線をたどった。風呂に入らないから香水が発達したのだ。パリにすら下水はなく汚物は窓から捨てた。

戦と疫病で絶滅の危機にあったヨーロッパは、死中活を求める気持ちでバグダッドの先進衛生知識、医療技術、を求めた。

何とそのころまでヨーロッパには麻酔がなかったのだ。消毒の概念も。つまり、兵士の治療とは切断のみだった。せいぜいあったのは病人を囲んで祈ること。それがまた感染を広めた。

こうして、世界の半分、バグダッドに留学したヨーロッパの医者が持ち帰った手術道具、食事道具が広まり、人々は、つかみ食い、犬食いの必要がなくなった。カトラリー。アラビアがヨーロッパにナイフフォークをもたらして、感染症は激減した。それからまだ500年も経っていないのだ。

よくみると、「メス」や「セッシ」、「鉗子(カンシ)」はアラビアンカーブをしている。

今日、遅れたアラブが石油の金で盗賊集団を作ったと考えるのは低脳だ。

関連情報URL : http://yamacoltd.jp/
 
 
 
 
 
 

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