か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

乗りたいから手に入る

2018年09月09日 | クルマ

 

 

外車ショウに行った。今回はマセラティについて書く。1000万から2000万の間らしい。

ものすごい金持ちにとっても価格は関係ないが、ものすごい貧乏人にとっても関係ない。しかも価格は安くなっている。戦前フェートンは2500旧円、約5千万した。バイクですら家にあったインディアンは家より高いと親たちは言っていた。

こう書くと文の内容よりも、ひがみ、妬み、嫉み、が先に立つ極貧層の感情が沸騰するのが見える。たとえ頭は悪くても貧困感情の克服には、教養が必須なのに、できないだろう。だらけた大脳を停止させた生活を判のように繰り返す中ではマセラティは来ない。

歌とお姉ちゃんと酒にうつつを抜かすのがイタリアであるというイメージがある。そんな生き方をするのは、日本の下層貧民たちだ。ルネッサンスは、錬金術は、どこで起こったか。さあフェラーリはどこの車か。

LINEUPにSUVなんかあるので気に入らないと言ったら、係のお姉ちゃんは意味も分からず返事をしていたが、偉い人が出てきて「私も同感です」と喜んでくれた。maseratexiは天下のマセラティですよ。走るかまぼこのバケモンを作っちゃあいかん。そんなこんなを2時間話した。本音で、本気で話さないと車は売れない。軽ならよかろうが。

 

色、皮の縫い目、メーターの位置、エンジンルームのゆとりと絶妙な配置。カネを出せば日本で作れると思うのは浅はかだ。日本が応仁の乱でシリア状態だったときケプラーは天体の運行法則を証明した。コーチはそれ以前からの馬具職人だ。

ケプラーの法則(まともな高校なら文系でもできる積分を使い3つの斜線部の面積は等しいことを発見した)

僕は思うのだ。この手の車を何度か買ったが、乗り出すときのえもいえぬ満足感をぐうたらは知らないで死ぬ。夢の実現は一度に来ることはないが現金で外車を買ったとき、人生の夢の一部がやってきたと感じた。

これは狂って働いて、残業して、上司の皮肉に耐え、客の不当なクレームに耐え続けることからは、やってこない。

だからこんな車は500万になったらいかんのだ。上品な満足感を知る人だけのものだ。500万になったら車高を落とし、ひどいのになると後ろ半分に炎のペイントをし、ガリガリこするタイヤを履き、フロントには100円のクレーンゲームの成果が並ぶ。そしてあおる。皮シートの手入れの時間はない。乗るな。タイヤに泥が。

何の知識もない従業員がいたのは残念だった。

じゃあお前は何に乗っていたんだ、と言いたかろう。家の横の狭い駐車場にいつも苦労して止める自分の車の心配をしろ。

食事の話は書き飽きたので諸兄の行かれない Classic Concertについて。これも奥が深い。下手だが時々僕も演奏する。Vn.

秋は温度が安定し客の服装もいいのでいい音がする。昼の部は音が悪い、小さい。上には上がいる。無教養は、『頭が高い(ずがたかい)』。…なんてことをこの次に。

 

 


最新の画像もっと見る