か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

よく知らないくせにきれいごとを言う

2018年12月12日 | 受験・学校

すべての小学校、中学校、なんちゃって高校には競争がない。低能の心が穏やかになるときは現実逃避して自分の哀れな現実をしばしわすれた時だ。だから学校は低能にとって実に「楽しい学校」になる。

それでは問題の本質が解決しない。なのに労働組合を先頭に競争を敵視する。小中学校においては、とりわけダメ教師にとっては、むしろ好都合だ。競争なんてない方がよい。下手に切磋琢磨を実践するとモンスターペアレントが怒りだす。

教え方が悪いからうちの子はビリになったじゃないか・・・苦情は無限に汲めども尽きぬ泉のようにわき続ける。

だからテストをやめる。日教組は元来、頭が悪い人の集まりだったので、往々にして自分の言葉に酔い本質を見失う。

「子供を差別してはいけない」というのは彼らの錦の御旗で逆らうやつはいない。もしいたとしても解放同盟が処理してくれる。

そうして一番安心するのは無能な教師だ。なぜなら教材研究(授業の準備)をしなくて済む。。先に進む必要がないからだ。テストは差別なんだから、あってはいけないものだ。するとテスト範囲もあるはずない。だから授業は進まなくてよい。…なんてことがまかり通っている。

小学校は文化大革命の真っ最中だ。

このような小学校の先生たちは運動会でも差別差別とうるさい。かけっこで一等賞をとることは、ビリの子を差別していることだ。みんな手をつないで走ろう。ああ、美しい、共同、協力、共生だ。今度組合の教研(教育研究集会)で発表しよう。

こういうとバカが必ず乗り出してきて、そんな先生ばかりじゃない、とかいいだす。だからバカなのよ。今はそんな先生の話。

こんなおめでたい学校で子供は人生のスタートを切る。先生たちは差別嫌いなようだが、ちゃっかり自分の子は授業料300万/年の私立の小学校に入れている。、共稼ぎは小金持ち。周りのバカたちはその矛盾に気が付く能力もなく素朴にうらやむ、あるいはひがむ。

こんなお粗末な社会体制のもとでは、熾烈な競争を経て選抜された中国韓国のエリートたちの後塵を拝して日本が走ることになる。

 

周辺国はどうだろう。なぜ県や文科省は僕に外国の教育制度の調査を命じたのか。渾身の思いを込めて書いた報告書は握り潰し、きれいごとのウソ報告書を強制する。ウソを報告させ受け取ったバカは喜び、僕はカネをもらい昇給した。

こんな腐ったごみ溜め国はもうたくさんだ。事なかれ主義なのだ。

民間なら一発で倒産する。

親方日の丸は途方もない給与で人をつり、こき使われる人の人生にゆとりはない。高給だと錯覚する給与に到達するころ、うつ病で退職する。

無能への当然の報いだ。きれいごとで自分自身をだまし本当の自分の現実を直視しないでいると、当然の報いが来る。

 

一方、例えば韓国ではこう考える。

学校は正義と論理を教えるところだ。何度言っても不真面目が治らないとか意欲がない児童は、ひどく叱られる。正義感が強くPoliticalな子供が多い。


日本だったら体罰だと言って大騒ぎになる。

延世大学大講堂 (韓国は大学まで厳しい競争がある。日本人は、「韓国では卒業しても競争がひどいでしょう」というがそれは学歴の低い人たちのことで、延世大を出るということは、人生の万能パスポートを持ったことだ。日本もそうだろ。競争に勝った者への当然の報酬だ。)

 

素地は日本人も同様に持っている。子供たちの話し合いに参加させてもらうと極めてユニークな視点を持った子供がいることに気づく。だが先生がそれを処理できない、あるいは気づかないことが多い。

理由は、先生がバカだからが一つ。もう一つは臆病だから。今のままでいるには事なかれが一番だ。校長に知れたらどうしよう。安倍首相様のことを批判するようなことを子供(児童)が言ったが大丈夫か。やがてその子は、その先生みたいな子供になっていく。

Silence is golden.

日教組と、コネ採用させた市会議員の罪は深い。

学校というものは楽しいことが本質になってはいかんのだ。

 

競争の弊害は確かにある。だが負け犬のくせにそれを言っちゃあいかんのよ。

 


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