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社会党やの低能達は学校で席次をつけることさえ差別と言った。まだ福岡市とその周辺の低脳中学校にはその名残が残っている。そんなことだから犬を食う原始人達に追い越されてしまうんだ。
高校に勤めていたころ学校に来ない生徒がいたので家庭訪問をした。6畳に親子、といっても片親で親と子二人が住んでいた。よく休むのはなぜかと聞くとバス代がないからと答えた。生活環境のそろった子供は勉強もしやすい、塾にも行ける。すると、近くの偏差値の高い高校に行けるわけだ。
そうではない貧乏でバカで机もない子供はかろうじて合格する遠賀高校に行くしかなくなる。そこは気絶するくらい遠い。間違っても勉強とは無縁のところだ。生活保護のカネはときどきおやじが来てかっさらって行く。水道も止められた。母親も家出した。母親はたんにいい生活を求めて出ていったのではない。生活の困窮に息ができなくなったのだ。
部屋の周りにはペットボトルが置いてあった。これが彼らの命の水だ。父親はその彼らのバス代をつかんで逃げた。子供たちは復讐を心に誓う。
福岡県の筑豊にはまだこんなところがある。このとき盗難車を改造したバイクの爆音はすべてを吹っ飛ばすものだ。おれを王者にする唯一の物だ。盗っては乗りまわし川に捨てるを繰り返した。全員がそうした。それ以外の道は絶対になかったから。
とはいえごくまれに例外もある。窃盗も辞め強盗も辞めボランティア団体として立ち直った人たちを知っている。田川市でボランティア団体。暴力団事務所でお花売りをするようなもんだ。よく生きていられるな。
しかし、通常は貧困と犯罪は磁石のようにひきつけあう。この環境に低脳という不幸が必然的に重なる。が、重なるとどうなるだろう。あわてん坊の人は磯飛を殺さなくていいと言っていると勘違いをする。そんな屑、どうだっていいんだ。母が死に、父は何やってもうまくいかず子供に関心がない。つまり愛されていない。カネもない。学校もない。友人は同様の屑たちだ。そんなもの、僕が心配する義務もなく価値ある議論のポイントはそこにはない。
もはや屑同士がつるむしかない。何か他の道があったら教えてほしい。教員とか社会党とか、世間知らずの満ち足りた偽善者自身、できもしないだろうが今の生活を捨てその道を歩いてほしい。選択の余地のない生活を知るはずだ。そして、その絶望が一生続くことを知る。お先真っ暗でないというなら私と論争しろ。そしてそのゴミために一生いろ。私は命がけで真っ暗だと主張する。
つるんだ屑たちにあるのはバイクと薬だ。磯飛には形式的な治療は行われたが治癒したわけではなく適当なところで町に放り出された。生まれてこのかた、磯飛が自分で人生の選択ができたことは一度もない。覚せい剤の残る頭のまま壁から蹴りだされる。
それなら禁断症状は出るだろう。僕が問題にしたいのはここだ。
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Posted at 2012/06/14 01:08:58