暗峠道(現・国道308号線)、富雄丸山古墳を挟んで、
東に宝来山古墳、西に生駒・竹林寺古墳。
いずれも大阪と奈良を結ぶ旧幹線道路を見つめている古墳。
航空レーザによる測量調査結果、
3段築盛の造り出しのある円墳で
直径約110㍍と国内最大規模であることが分かった。
今年度の発掘調査が先日終わり、
その現地説明が1月26日(土)10時~15時に開催される。
「古墳皇子」も来るかなっ。
南円堂手水鉢の東にある塚で、茶臼山ともいう。
南大門前に大きな穴が開き、水が出たが、
南大門の門額の「月輪山」の文字が水の縁があると言うので、
ここに納めたとする。また、古墳時代後期の小円墳とも。
南斜面は古墳を削平して盛り土で南大門前では
龍穴とされた穴が開いていたと言う記録もあり、
石室のようなものが存在する可能性も考えられる。
興福寺前の猿沢池北西から南大門前への坂が「すべり坂」と言う。
今日の暦:群馬県・川原湯温泉の湯かけ祭り。
裸祭りとしても有名な「湯かけ祭り」は、ふんどし姿の若衆が
早朝から湯のかけ合いをして湯の神に感謝するユニークな行事。
金堂前にあったなら第一の松で、目通り周囲5.5㍍、高さ25㍍。
枝張りは南北40㍍、東西33㍍あった。
東金堂への仏花として弘法大師が植えたのが始まりで、
元禄頃に広瀬左次衛門が植えたものと伝えていた。
昭和9(1934)年、の室戸台風によって衰え、昭和12年には枯れ死、
13年に伐採された。
昭和15(1940)年に二代目が植えられその石碑が立つが、
この松も平成15年に枯れ撤去され、現在は石碑だけが残る。
今日の暦:長暦元(1037)年、東大寺東南院が興福寺の僧徒に焼かれる。
食堂(じきどう)・細殿。
明治まで鎌倉再建の建物が残っており、
柱と屋根だけで「あばらや」と呼ばれていた。
明治6、7年に毀(こぼ)たれた、その部材は跡地に建てられて
木造擬洋風の寧楽(なら)書院(奈良師範学校の前身)の建築材料になったと言う。
昭和34年に食堂、細殿の外見を復元し興福寺国宝館がつくられた。
今日の暦:秋田市・三吉神社の「ぼんてん祭り」
平成29(2017)年度に奈良市教育委員会が現況を明らかにする目的で
レーザによる三次元測量をした。
結果、3段築成で直径が110㍍と国内最大の造り出しが取りつく
円墳であることが分かった。
国の重要文化財に指定されている三角縁神獣鏡や刀子、斧、鑿、鍬形石、装身具などが
明治時代の盗掘により出土しており、
4世紀後半の築造とみられている。(丸山古墳の概要より抜粋)
昨年末より発掘に取り掛かり、1月16日(土)にその報告がなされるらしい。
新しく何が分かったのか楽しみだ。
今日の暦:「やぶいり」。商家などに住み込み奉公をしていた
丁稚や女中など奉公人が休みをもらい親元などに帰る習慣があった。