《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

今昔奈良名所「興福寺」

2019年01月09日 | Weblog

江戸時代の興福寺は春日大社と合わせて2万石の所領があった。
亨保2年の火災で多くを失った。文政2(1819)年になって、
大阪の町人の寄進でようやく仮金堂が建てられ明治維新を迎えた。
しかし慶応4(1868)年、神仏分離令のより、
興福寺と春日大社との分離が図られた。
翌5年には興福寺の廃寺令が出される。
明治6年には三倉(みちくら)、食堂細殿が取り壊された。
金泥の経巻が金を取るために焼かれ、
天平写経や古文書が奈良漆器の包み紙となり、
仏像仏具は売り払われ海外へと流失した。
五重塔が5円あるいは50円で売り出され金具を取るために
焼かれそうになったのもこの頃。25円の五重塔
画像は昨年再建された中金堂。

今日の暦:福達磨発祥の群馬県前橋でダルマ市。