《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道4・竹ノ内街道「西琳寺の礎石」

2015年08月20日 | Weblog

古市寺とも呼ばれる法起寺式伽藍配置を持つ古代寺院。百済系渡来「西文(かわちのふみ)」の造立とされている。奈良時代の官吏・賀茂子虫(かものこむし)は、神亀(じんき)6年(729)長さ約16cm,幅約14cmの甲羅に「天王貴平知百年」の文字がある亀を捕らえ、左京大夫藤原麻呂を通じて聖武天皇に献上した。これを吉兆とした天皇は「天平」と改元された。画像・塔の礎石は長さ3.2m、幅2.6m、重さ2.6t


旧街道4・竹ノ内街道「神南辺道心の道標」

2015年08月16日 | Weblog

「日本最初大黒天道 是より五丁」「堺 発起 神南邊大道心 施主柳屋嘉兵衛」、もう一基は「右法華寺」「安政六年」(1859)などの文字が読める。大黒寺は日本最古の大黒出現の寺と云われ天智4(665)年、役行者が金剛山で桜の木で大黒天を彫ったとされている。また法華寺は当時南河内で唯一の法華宗の寺と云われている。


終戦記念日におもう

2015年08月15日 | Weblog

満州事変から一時の小康状態を挟んで15年間に及んだ結果が無残な結末に終わった日。広島、長崎の原爆の前に無差別ともおもわれる一般市民への爆撃があった。画像は大阪府松原市・昭和19年12月19日の空襲による被害図。大和川航空機製作所敷地へは爆弾が一つも落とされていない。全ての「赤丸地点」は婦女子の多く住む一般の住宅地。敵は日本国を疲弊させるよりも「狩猟」でもするかのように爆弾投下や機銃掃射を行っていたのではないかとおもわれる。終戦の8ヶ月前のことである。家族親戚などを一挙に亡くした戦争孤児は「駅の子」などと云われた。彼らの「生きる戦争」が始まった。言ってもせん無い(詮無い)ことだが広島宣言に「広島をまどうてくれ!」と言う言葉があった。戦争とは、こういうものだと心に刻むべきだ。