《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

終戦記念日におもう

2015年08月15日 | Weblog

満州事変から一時の小康状態を挟んで15年間に及んだ結果が無残な結末に終わった日。広島、長崎の原爆の前に無差別ともおもわれる一般市民への爆撃があった。画像は大阪府松原市・昭和19年12月19日の空襲による被害図。大和川航空機製作所敷地へは爆弾が一つも落とされていない。全ての「赤丸地点」は婦女子の多く住む一般の住宅地。敵は日本国を疲弊させるよりも「狩猟」でもするかのように爆弾投下や機銃掃射を行っていたのではないかとおもわれる。終戦の8ヶ月前のことである。家族親戚などを一挙に亡くした戦争孤児は「駅の子」などと云われた。彼らの「生きる戦争」が始まった。言ってもせん無い(詮無い)ことだが広島宣言に「広島をまどうてくれ!」と言う言葉があった。戦争とは、こういうものだと心に刻むべきだ。