《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

旧街道4・竹ノ内街道「ウォーキングトレイルってなに?」

2015年08月25日 | Weblog

歩くことを通じた健康・福祉活動を支援するとともに、魅力ある地域の歴史文化への理解を深めたい…。こうした近年の社会的ニーズをふまえ、「歩いて楽しい道づくり」そして「地域の顔の見える道づくり」をめざし、こどもからお年寄りまで、より一層歩行者に配慮した道路「ウォーキングトレイル」とある。


旧街道4・竹ノ内街道「白鳥神社」

2015年08月23日 | Weblog

社伝では、軽里西方の伊岐谷(いきだに)に創建され「伊岐宮(いきのみや)」と呼ばれていた。 その後、南北朝や戦国時代の兵火を受け次第に荒れ果て、峯ヶ塚古墳の墳頂に移され小さな 祠として祀れたが、慶長の大地震で倒壊してしまった。しかし江戸時代の寛永末期(1640年頃)に村人たちによって現在の地に移転され、日本武尊と 素戔鳴命(すさのおのみこと)を祭神とする古市の氏神となった。素戔鳴命については西琳寺の 鎮守であった渡来系の神の「午頭天王(ごずてんのう)」と合祀され、秋には、だんじりが町内をめぐり、大変にぎわいます。(「わくわく南河内」HPより抜粋)。ちっこい発見:ここの狛犬は♂♀一対。


旧街道4・竹ノ内街道「五輪塔について」

2015年08月21日 | Weblog

五輪塔は五智如来を表すという考え方もある。五智如来というのは、密教で大日如来の備える5つの智恵。インドや中国、朝鮮に五輪塔造形物は現存しないところから、五輪塔の造立がはじまったのは平安時代後半頃の日本で考案されたとの意見が有力(wikipediaより抜粋)。上から空輪⇒風輪⇒火輪⇒水輪⇒地輪と仏教のいう五大要素でもある。画像は鎌倉時代中期の西琳寺奥院にあった五輪塔。