「明治26年に京都府の費用で掛けられたが、大正6年に流失した」とあり、氾濫を繰り返す木津川だったことがわかる。しかし今の水量からはとても考えられない。新泉大橋北詰めから450m位西にある流失した当時の橋のコンクリートの橋脚の残骸らしいものが川底に見える。
「明治26年に京都府の費用で掛けられたが、大正6年に流失した」とあり、氾濫を繰り返す木津川だったことがわかる。しかし今の水量からはとても考えられない。新泉大橋北詰めから450m位西にある流失した当時の橋のコンクリートの橋脚の残骸らしいものが川底に見える。