《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

法隆寺と太子「不閉門」

2009年12月29日 | Weblog
江戸時代の建物で夢殿の西の境界にあり不開門の西にある門。昔は門番がいて時刻を決めて開け閉めをしていたが、村人が往来するので便宜上開けっ放しとなり何時しか不閉門(しめずのもん)と呼ばれるようになった。当時は画像右奥へ続くアスファルトの道はなかったのだろう。
(今日の歴史=1929年清水トンネル9702キロ『上越線』が開通)