《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

法隆寺と太子「救世観音像」

2009年12月21日 | Weblog
夢殿の秘仏は有名である。この像は太子の在世中に造られた太子の念持仏であったなら、643年の斑鳩宮炎上の時この像がこの八角堂にあったとしたら焼けているはず。運良く搬出され金堂に保管されていたのなら、670年の金堂の火災のときは?古くから全身を白布で巻かれていて姿は誰も見たことはなかったと云われている。岡倉天心の日本美術史の中に「余は明治17年頃…布片、経切等を以って幾重となく包まれ…白紙の影に端厳の御像を仰ぐことが出来た。実に一生の最快事であった」とあり、この時白布が取り除かれたのだろう。それまでは本当の秘仏だったに違いない。画像は奈良古寺巡礼より拝借
(今日の歴史=1915年政府金塊100万円を積んだ日本郵船の八坂丸が地中海でドイツ軍に撃沈される)