法隆寺と太子「鐘楼の釣鐘?」 2009年11月19日 | Weblog 西の経蔵に対して東にある鐘楼で、釣鐘は時報代わりに、また行事の合図に突かれていた。建物は925年に焼失したが平安時代に鐘楼は再建された。焼失した建物に焼失以前の天平時代のものと云われる釣鐘が吊るされているのは時代的に合わない。 (今日の歴史=1956年京都⇔米原間が電化され東海道本線全線の電化が完成)