花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

スイス・スピリッツ展

2006-03-07 03:10:53 | 展覧会
Bunkamuraで「スイス・スピリッツ―山に魅せられた画家たち」展を観た。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/event/switzerland/index.html
スイスの山をモチーフとして制作された作品を通して、18世紀初頭から現代に至るまでの約300年間に渡るスイス・アートの変遷を辿るという、実に興味深い内容だった。

面白かったのは、初め山岳調査対象だったアルプスの山々を、山岳絵画のパイオニアと言われるカスパー・ヴォルフが景観絵画として商品化(?)し、その景観イメージが流布して観光地化が促進されていったことだ。今やアルプスは観光立国スイスのブランドの象徴であり、イコンと化している。現代のアーティストたちがそのイコンを斬新な姿で捉えて見せてくれるのも楽しい。

さて、ヴォルフの作品は現代の私から観てもアルプスの魅力を充分アピールしてくれる。《グリンデルワルト峡谷のパノラマ》なんて、アルプスのマッターホルンやアイガーなどの雄大な景観を構図化していて、絵に描いたアルプス・イメージの原型のようだ。もちろん画家としての力量も素晴らしく、《シュタンス近くのドラゴン洞窟》の洞窟内外の明暗対比や構図など、特に暗い洞穴から明るい外景を望む効果にはレンブラントの「目を潰されるサムソン」を想起してしまった。「聖ベアトゥス洞窟と旅人」も、壮大な山々と小さな人間世界の対比など、観る者を絵画世界に惹き込んでくれるのだ。

それから、古典絵画が好きな私はコアレクサンドル・カラムの古典的な風景画にも惹かれた。「ベルナー・オーバーラント高地にて」や「ルツェルン湖」にはオランダ風景画やイギリス風景画の香りを感じてしまった。

ところで、残念ながら実際のアルプスは飛行機の窓からしか見たことがなく、スイスもチューリッヒ空港しか知らない。描かれた絵画たちから身近に伝わってくるのは、太陽に近い高地における陽射しの強さ、空の青さと澄みきった空気…そして山村を取り囲む高く険ししい山々…。夏はきっとアルプスの少女ハイジが駆け回っているのであろうし、冬は閉ざされた雪の世界になるのだろう。

で、ハイジ♪(?)の登場する素敵な作品が3点あった。シャルル・ジロン《ラヴェイの農民と風景》、アルベルト・アンカー《イチゴを持つ少女》、ジョヴァンニ・セガンティーニ《アルプスの真昼》。ラヴェイの少女の明るい笑顔には初々しいはにかみと歓びが溢れている。そして、イチゴを持つ少女の愛らしさと存在感と言ったら!手に持つイチゴの紅色と首に巻くスカーフの紅色が可憐で、少女の強い眼差しとともに生き生きとした生命感を感じる。背景はアルプスだがバルビゾン派を想わせる農村風景だ。
そして、アルプスに魅せられたイタリアの画家、色彩分割のセガンティーニ。そう言えば以前、同じBunkamura「ミレー三大名画展」でもバルビゾン派としてセガンティーニ作品が来ていた。《アルプスの真昼》の陽射しは紫外線たっぷりなんじゃないかと心配するほどで、帽子に手をやる女性の影をくっきりと牧草地に映す。衣服の青がそのまま影に写し取られて、細い色彩分割線描は清明な色彩でアルプスの空気そのものを描いているのではないかと思うほどだ。セガンティーニの写実描写への執念が細い筆致から強く感じられる。CARAVAGGIOと同じ北イタリアの画家である。

今回の描かれた作品の変遷を観ていると、アルプスの山々は画家にとっても象徴的な意味合いを多分に含んでいることを感じる。ホドラーの描く二等辺三角形のニーセン山などまるで日本における富士山のようで、多様に描かれた作品を観ていると、アルプスが画家自身のアイデンティティの挌闘相手でもあったかのようにも思える。マリアンヌ・ヴェレフキンの「赤い木」にはなお立ちはだかる存在としての山を感じた。キルヒナーの「ヴィーセン近くの橋」にはうねるような色彩の躍動と山を繋ぐ橋に込められた心を見たような気がした。

ヴォルフから始まるアルプスの山々を描いた作品は、スイスにとってのアルプスの意味を観る者に様々に語りかけていたように思う。アルプスはスイス・スピリットの象徴なのだ。

ところで、唐突に疑問が湧いてしまったのだが、スイスの風景画の歴史にとって、コンラート・ヴィッツのジュネーヴ祭壇画《奇蹟の漁り》はどのような位置付けになっているのだろうか??

【蛇足】
スイスといえばGOTTHARD♪
http://www.gotthard.com/