昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   雨の術後 ①

2010年10月09日 | 日記
ベンチに戻り腰を下ろすと、恥ずかしさは自分に対する怒りへと変わっていった。ベンチと膝を交互に拳で殴る。次に、「そうだ!」と小さく口に出し、3階の踊り場からホテルに電話。事情を説明すると、快くキャンセルを承諾してもらう。
手術室の前で、親父が出てくるのを待つ。ベッドの動く音が聞こえ、次いで扉が開く電気音。足から出てきた親父の表情を見て取ることはできない。
「部屋に行きますからね」。ベッドを押す看護師の一人が、僕に声を掛ける。執刀医に寄り添っていた看護師だ。彼女の僕を一瞥した目に軽蔑の色を感じ、身をすくめるようにして親父のベッドの脇に張り付く。
昏々と眠っているその顔は、青ざめた仮面のようだ。小さく開けた口から、息が吐き出されているようには見えない。しかし、なぜか幸せそうに見える。ゆっくりと眠ることのできない日々だったのだろうか。
麻酔が切れるのは、2時間後。覚醒すると同時に、親父には現実の痛みが襲いかかってくるのだろう……。
病室に入る。ベッドサイドのソファには、既に枕と毛布が置かれている。僕に声を掛けた看護師が、ベッドからソファへとやってくる。羞恥心に目を伏せる僕に、事務的な説明が覆いかぶさってくる。
「3時間おきに、交代で薬の点検と交換にやってきます。緊急時には、遠慮なくナースコールを使ってください。ナースコールは、ここにありますから。では、お父さんに使用されている機械の説明をします。あ!その前に、機械には絶対に手を触れないでください。お願いします。では説明を……」
機器一つひとつの説明に、「はい。わかりました!」と小学生のように応える。
「お大事に」。看護師二人の、きれいに揃った無表情な声に「よろしくお願いします」と一礼し、改めて親父に繋がれた機器を順に見る。やっと息をしている顔になってきた親父を無機質な機器たちが支えているのかと思うと、どこか痛ましい。
折りたたみ椅子をベッドサイドに引き寄せ、布団の中の親父の左手を左手で握る。そっと握った手を、親父が強く握り返してくる。僕は急に、胸が詰まってしまう。枕元のティッシュを取ろうと少し動くと、親父の手に力がこもる。その手は熱く、小さい。
我慢できず、僕は嗚咽する。空いた右手で鼻と目を拭いながら、親父が意識を取り戻すまでこうしていようと思う。
窓外に目をやると、細かな雨の糸の向こうは既に夕闇。辺り一面が灰色に濡れそぼっている。
看護師が検温にやってくる。僕は手を離し、ティッシュを片手にソファから見守る。
「40度超えてますねえ」。看護師の渋い表情に身を乗り出すと、「もうすぐ下がり始めると思いますけどねえ」と、微笑む。親父の手を、また握る。熱い手が握り返してくる。
「またすぐ、様子を見に来ますからね」と出ていく看護師に会釈をすると、その身じろぎをなじるように、親父の手に力が入る。
握る手と手が汗で湿り、皮膚の感覚が薄らいでいく。ぬるりとした薄い皮膜で、親父と僕は隔てられているようだ。その微妙な距離感を縮めようと、手に力を込める。と、親父が握り返してくる。そのやりとりが、うれしい。そして、切ない。覚醒が近付いたのだろうか、突然親父が呻き声を上げる。やがてそれは、断続的なものになっていく。その度に手を握る力を強めながら、僕はただただ親父と手をつないだままでいる。

もう2つ、ブログ書いています。
1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)
2.60sFACTORY活動日記

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