昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   雨の術後 ④

2010年10月12日 | 日記

しばらく暗い窓外を眺める。激しく落ちてくる雨が巻き起こす風が心地よい。病室の中には雨音しかなく、むしろ静謐を際立たせている。

穏やかで平和な時間を共に慈しむように、毛布の脇から手を忍び込ませ、親父の手を握る。熱に火照った手が握り返してくる。身体の芯から“感謝”の気持ちが湧いてくる。

そのまま手を握り続けていると、突然親父が「晩飯、食ったんか?」と起きる。そのはっきりとした声に驚き照れくさく、少しだけ手を引き寄せながら「大丈夫だよ。食べたよ」と言って、手を離す。

「仕事は?せやあないんかい?」「弁当じゃ、足りんじゃろう」「ホテルに泊まりゃあよかったのにのお」「風呂に入れや」……。断続的な言葉が続く。言葉と言葉が次第に間遠くなる様は、まだ完全に覚醒しきっていないことを窺わせる。寝言?譫言?と、顔を覗き込むと、薄く開けた目と合う。「退屈じゃろう。テレビでも見いいや。イヤホンは…」と首をひねる。目線を追うと、イヤホン発見。「わかった、わかった」と、親父の側を離れる。

親父を休ませるために、風呂に入ることにする。看護師が交換したバスタオル2枚を持って「じゃ、風呂に入ってくるからね」と告げると、「そうせい、そうせい。…石鹸は…」と、また首をひねる。「いいから、寝てなさい」と、親父の汗でぐっしょりのバスタオルを脇にする。親父の汗が僕のシャツに浸み込んでくる。

バスタオルの洗濯から始める。さすがに、下着1枚のようにはいかない。踏み洗いをし、力の限り絞る。換気扇の音が睡眠の邪魔にならないか確認し、少しドアを開けて干す。

汗をシャワーで流しそっと出て見ると、親父はすっかり眠りに落ちている。時計を見ると、午後9時。雨音はまた、強さを増しているようだ。

 

弁当を食べ、ラジオと文庫本を枕元の手の届く位置に揃え、灯りを調節。親父の顔を覗き込む。頭を撫でたい衝動は抑える。この安寧が続けばいいなあ、と思う。と同時に、欠航を望んでいる自分に気付く。

そっと、小さく窓を開けてみる。無数の雨の糸が、病院の窓から漏れる灯りに幽かにきらめいている。やっぱり、親父の“やらずの雨”なんだ、と思う。

 

その一晩、半身浴のような満足感に浸ったまま、僕はほとんど眠ることはなかった。久しぶりに聴いた深夜放送、静寂の中で読んだ文庫本、激しさを増す雨音、そして、薄暗い光の中に確かに感じる親父の気配……。

3時間おきの看護師の見回りに引き戻されながらも、僕は思い出の淵に沈んだり、思惟の岸辺に佇んだりしていた。自由で静かな一晩だった。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記

 


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