昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   手術本番へ ③

2010年10月07日 | 日記
麻酔室の前でしばし佇み、手術の2時間のことを考える。長い長い2時間だ。手術後の時間は、イメージすることさえできない。病院の中の日常から懐かしい日常へ、するりと、エアカーテンを抜けるように戻って行けることを願うばかりだ。
病室に戻ると、親父のいないベッドに、親父の身体分の空白ができているような気がする。そこにすっぽりと収まるように、親父は戻ってくるのだろう。
午後12時半少し前。「昼飯、食べんと!」とふわふわ叫んだ親父を思い出し、言葉に従うことにする。言われた通りしっかり食べよう、と思う。しっかり食べて手術室の前で待とう、と思う。
1階の食堂に行くことにする。順調なら、親父の意識はもう霞んでいることだろう。
急いでカレーライスを掻きこみ、足早に食堂を出る。午後1時10分前だ。
病室に戻り、この時のために持ってきた文庫本2冊を脇にする。手術室の前に到着。1時に手術開始の親父を見送るつもりだったが、手術開始が1時。親父はもう運び込まれているに違いないことに、ふと気づく。
ベンチに文庫本を置き、手術室の前を行きつ戻りつする。時々立ち止まり耳を澄ましてみるが、物音はしない。病院中が静まり返り聞き耳を立てているような気さえする。
ベンチに腰を下ろし文庫本を開くと、老いた母とその娘らしき人が通りかかる。手術室の「手術中」の赤いランプを見上げ、「まあ、今日も手術じゃねえ」と娘が言う。母は「毎日毎日、手術じゃねえ」と嘆息する。次いで僕に気付き、二人揃って無言の深い会釈。僕も立ち上がり、深いお辞儀を返す。片手に持ったままの文庫本が、妙に恥ずかしい。
二人が去ると、人の気配も消える。赤いランプを時折見上げながら、手術室の前を右往左往する。突然、会話や物音が漏れてくる。執刀開始だ。
「頼むよ!」と小さく声に出し、麻酔に眠る親父を想う。20代後半、成功が約束されていない手術に一人で向かう時、親父の頭には何が浮かんでいたのだろう、と思う。
親父はしばしば「あの頃が、一番辛かった」と言っていた。“あの頃”に死を想わざるをえないことの苦しさは、僕には想像することもできない。
しかし、祖母に抱きしめられながら見送る僕に、「ちょっと遠くに出かけてくるから、いい子で待ってるんだよ」と微笑んだ親父の痩せた顔が、僕にはカッコよく見えた。だからだろう。ちっとも悲しくなかった。
潔く、決然として事に向かう。その生き様のまま死ぬのなら、死んでも仕方ない。そんな気持ちだったのだろうか。きっとそれは、今でも変わることのない親父の生き様なのだろう……。
ベンチに座り、型通り、文庫本を膝に開いてみる。空しくページをめくるだけの作業に、本を替えてみるが、変わらない。
やがてにわかに、廊下の人が増えてくる。病院内の日常の波が、ひたひたと手術室まで浸さんばかりだ。
通りがかるお年寄りたちが、口々に「ご心配じゃねえ」「せやあなあけえね」と声を掛けてくれる。温かく有難い言葉なのだが、それに応えるゆとりがない。むしろ、手術室のドアの向こうに集中していた意識が拡散していくことに、耐えられない。時計を見ると、まだ1時間ほどしか経っていない。
ベンチを離れ、最上階までゆっくりと上がってみる。窓の外は、気付かぬうちに強い雨になっている。行き交う人の表情の違いが、“死との距離”のように思えてくる。
最上階からゆっくりと階段を降り、1階へ。休憩所でタバコに火を点ける。続けざまに吸っては揉み消す。4~5本を揉み消し時計を見ると、針は1時半を指している。
タバコ1本の時間、5分。その5分、5分を捻りつぶし積み重ねて生きてきたんだなあ、と思う。
「よし!」と、エレベーターに向かう。乗ってドアを閉めようと手を伸ばした瞬間、「すいません」と息せき切った声がする。慌ててドアを押さえる。
飛び込んできたのは、中学生と思しき女の子。雨の滴る傘を両手で握りしめ、ドア脇に固まる。俯く濡れた横顔に、ただならない緊張が見える。
僕の視線に気づき、「すいません」ともう一度言って首を屈める。やがて3階で先に降り、ドアを手で押さえていると、さらにもう一度「すいませんでした」と頭を下げ、小走りに病室の方へと向かって行った。
その礼儀正しさに、事の重大さとそれに向かって行く彼女の健気さが窺えた。彼女の大切な人の無事を願わずにはいられなかった。

*60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

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