昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   雨の術後 ②

2010年10月10日 | 日記

午後5時半過ぎ。「う~~ん」と軽く唸り、親父覚醒。いつもの朝を迎えたような横顔だ。握り続けていた手を慌てて離し、中腰で顔を覗きこむ。ぼんやりと宙をさまよう親父の目が僕を見つけるのを待つ。ついつい微笑んでしまう。

細めた目で僕を発見した親父が、首をもたげる。

「ひょおひひ~。ひぃふぇふぁふぉ~。ひぃふぇふぁふぉ~、ふぉっふぇひぃふぇふぅへ~」。

思わず笑いながら、「何?何なの?」と応える。

真顔の親父の手が口へと動く。点滴の管も一緒に動く。僕は「あ!わかった!わかったから、動かないで!」と、急いで洗面台へと向かう。入れ歯の収められたコップを手にする。と、親父の顔と言葉を思い出し、笑いが哄笑に変わる。

親父の目の前で「洋一~。入れ歯を~。入れ歯を持ってきてくれ~って言ったんだ~」とやっと言いながら、大袈裟な手つきで入れ歯を取り出してみせる。

親父の口が精一杯開けられ、入れ歯を待っている。ゆっくりと挿入しながら、今度は餌を待ちわびていた小鳥を連想し、笑いがぶり返す。僕の身体を柔らかな安心感が浸していく。

「洋一~。入れ歯を~。入れ歯を持ってきてくれ~って言ったんだ~」。含み笑いをしながら、僕はわざともう一度言う。

「そう笑うなや。歯がないと、そりゃあ、どうにもならんで」。装着した入れ歯をもごもごと調整しながら、親父は小声で言い、少し笑って顔をゆがめる。

大手術の直後、笑いは禁物だ、気を付けなければ、とは思うものの、どうしても笑いが漏れてしまう。病室を親子の和んだ空気が満たしていく。

なんとか笑いを噛み殺し、ベッドサイドから親父を覗き込む。装着した入れ歯のおかげか、その顔には心なしか生気が漂ってきている。安堵の色も窺える。

「親父の癌、見たよ。全部、見たよ」。と子供の僕が報告すると、天井を見たままの親父が「そうか。……全部取れてたか」と呟く。「取れてた、取れてた。僕、見たもん」と、頭を撫でると、「あの先生、自信家じゃけえ」と親父が微笑む。「大変だったねえ。…でも、手術は完璧だったみたいだよ。よかったね」と、また頭を撫でる。

安心感が拡がっていく。すると、「そうか…、完璧だったか」と呟き、親父の微笑みが真顔に変わる。「そりゃあよかったが、これからじゃ。術後があるけえ。まだ安心はできんけえ」。自らに言い聞かせる言葉に力が籠っている。

「そう、そう。まずは、今夜だからね」そう言って僕は、突然思い出す。そうだ!早くホテルに行ってチェックアウトだ!

「親父。30分待っててくれる?」「ん?わしなら、大丈夫じゃが、何かあったか?」「チェックアウトしてくるから、さ」「いやいや、完全看護じゃけえ、大丈夫じゃ。夜まではいて欲しいんじゃが、わしが寝てしもうたらもうええで。お前がいてもしょうがないじゃろう」「ううん。ここに泊まるよ」「ええて。きついで、ソファで寝るのは。お前も疲れたじゃろう。ホテルでゆっくり寝た方がええんじゃなあかい?」

僕は、かえってやや焦り気味になる。「まあ、まあ。とにかく30分ね。待っててね」と親父の頭を撫で、ベッドから離れる。

「わしは大丈夫じゃけどのお」という声を後にして病室を出ると、足が浮き立っているのがわかる。1階の公衆電話からタクシーを呼び、雨の玄関で待っている間も小さく足踏みをしてしまう。

10分も経たずにタクシー到着。僕の急く心が見えた運転手がすっ飛ばしてくれて、ホテルまで10分で到着。待っていてもらってチェックアウトする。

乾いた下着をバッグに捩じり込み、益田市出身だということと親父の病気で帰省していることを知った支配人の細かな配慮に感謝して、ホテルを飛び出る。

病院へ。急ぐタクシーのスピードに合わせるように、雨足の強さが増していく。窓を打つ激しい音にも、心は浮き立ってしまう。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記

 


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