かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2010.4.25 本日ベスト8の戦い 富高VS農大二

2010-04-25 02:17:51 | インポート
本日12時より、高崎城南球場で春季高校野球準々決勝、富岡高 VS 農大二高戦です。

わが母校が勝てば春季大会16年ぶりのベスト4進出となります。

体もひとまわり大きくなり、安定感が増した松井投手に期待が集まります。応援に行くぞ!

昨日は吉井町内、アメリカンフラワー展示会見学。動物愛護団体視察で高崎市。夕方は鳩山総理前橋集会に参加。


2010.4.24 陸自吉井弾薬支処 ミサイル誤発射で防衛省より緊急ヒアリング

2010-04-24 02:56:23 | インポート
     

22日午後、陸上自衛隊関東補給処吉井弾薬支処で、対戦車ミサイル誤発射がなされた事件で、昨日23日、富岡由紀夫参議院議員事務所協力により、参議院会館で防衛省担当者よりヒアリングを行いました。

私からは弾薬支処と共存してきた吉井地区の市民は大変なショックを受けている。情報公開、原因究明、再発防止策の徹底、地域住民への説明をしっかり行ってもらいたいと申し入れました。



これに対して防衛省担当者より、事故原因究明のための事故調査委員会を立ち上げて原因究明を行う。再発防止策を明確にする。高崎市、県とも連携し市民に対しての説明をしっかりと行い、信頼回復をしたいとの説明を受けました。

私としては来週中に現地事故現場を視察したいと申し入れをしました。

       

この事件により、事故原因究明、再発防止を最大限すすめていくことはもちろんのこと、弾薬支処で最悪の事故(爆発、誤発射)を想定した防災計画を高崎市として作製する必要があることを強く感じました。

高崎市、県と連携して防災対策づくりをすすめていければと考えております。

         

昨日は国会で八ッ場ダム地質について国交省よりヒアリング。各国会議員に八ッ場ダム問題について要請。夜は藤岡市長選、小林長三郎候補応援。


2010.4.23 川原湯温泉めぐり

2010-04-23 03:42:03 | インポート
八ッ場ダム水没予定地に残る、川原湯の温泉宿は7軒となってしまいました。

7軒すべてに泊まりたいと思い、八ッ場現地に調査にむかう時に必ず宿泊するようにしています。

     

たまに1人しか宿泊客がいなくて、私にひとりで独占できることもあります。先週、宿泊したのは「やまた旅館」さんです。

古き良き温泉宿のたたずみが残る旅館でした。

       

やまた旅館のとなりの沿道に看板が。「川原湯温泉は生まれ変わります」と。

ダムができても、できなくても、営業を続ける旅館が、本当のところ何軒あるのか。相当厳しい状況だと思います。

この厳しさを共有しなければ、本当の解決策は出てこない。住民のみなさんに残された時間は少ない。

現場を知り、現場で人と語りあうことから始めるしかないと思います。

昨日は吉井地区女性会であいさつ。地元あいさつまわり。午後は国会へ八ッ場ダム対策。


2010.4.22 田辺誠さんの教え

2010-04-22 04:28:00 | インポート
「ホー、ホー、ホー」と言って笑顔で握手を求めてくる田辺誠さん。田辺さんの88歳を祝う「田辺誠先生の米寿を祝う会」に参加させていただきました。(田辺さんに関する私のブログ

     

旧知のみなさんも勢ぞろいする中で、山花郁夫衆議院議員の顔も。相変わらず、さわやかな笑顔で。私とはだいぶ違う(笑)。

田辺さんはあいさつの中で、自らの政治の原点は平和と福祉であったと強調。その上で自らの政治活動について、

① 議員である以上、弁論で政局を動かすことが議員の役目である。野党であっても話しあいで結果を出すことが重要で、健康保険法の可決時に「国民の負担をあげる時は、使用者、国も負担をあげる」と三方一両損の原則を確立した。

② 社会党の中で多数派になること、政権を奪る気概を持つ多数派形成に全力を傾けた。そして政権を奪取するための具体的な準備として社会党委員長時にシャドーキャビネット(影の内閣)を立ち上げた。これは民主党に、自民党にも引き継がれている。

と述べた。

謝辞の最後に賀川豊彦の言葉を引用。「大衆は善で、それに依拠すれば、道はおのずから開ける」と。

田辺さんの政治の原点は「人を信じる」そこから政治は始まるのだと、私なりに解釈しました。

お亡くなりになった元朝日新聞記者の石川真澄さんが生前、私に「社会党は右派が執行権を握った時は左派的に、左派が執行権を握った時は右派的に方針化してしまう。」と語っていた。

右派の代表格であった田辺さんが社会党委員長時には戦後初めて自衛隊の海外派遣を可能にするPKO法をめぐって左派の徹底抗戦にあい、社会党衆議院議員が全員、辞職する瀬戸際までいったことがありました。

田辺さんは当時(1992年)社会党を政権を担う現実政党に変えるべく、その政策モデルとしてPKOによる自衛隊派遣をカンボジアにだけ限定する時限的な修正案で、社会党をまとめようとしましたが果せず、衆・参国会での徹底した牛歩戦術、議員辞職願提出までいきついてしまいました。議会は弁論の府であるとの田辺さんにすれば、耐えがたいことであったであろう。

日本の戦後民主主義を牽引した日本の社会党の精神は「平和」であり、田辺さんの言う「大衆は善」で「人を信じる」ことが原点である以上、「政権を奪る」という現実は超えられない宿命にあったのかもしれない。

「人を信じない」代表格(?)である小沢一郎氏が中心になり、民主党が政権奪取をしたことはその宿命の証明なのか。

田辺さんは、自分の政治生活は失敗の連続であったと述べた。それでも私は田辺さんの教えを継承していきたい。

戦後民主主義を継承、発展させ、国民のための政治を実現する。そのためにこそ、政権を奪取し、担う意味があるのだから。

      
            右上が江田さんの色紙(画像クリックで拡大できます)
         
田辺さんからいただいた色紙資料の中に、故江田三郎・日本社会党元書記長の「議員二十五年政権とれず恥かしや」の色紙があった。

江田三郎さんは現在の民主党政権をどうみているのか、聞けないけど聞いてみたい。

昨日は早朝街宣、吉井地区あいさつまわり。午後は富岡高校野球部応援。夜は小寺、富岡両事務所。

富岡高は伊勢崎高を相手に8対1の7回コールド勝ちで、ベスト8進出です。次戦はシード校の前高を破ってきた農大二高です。25日の日曜日、12時から高崎城南球場です。がんばれ富高野球部!



         

2010.4.21 静かなブーム~吉井の火打金

2010-04-21 02:13:53 | インポート
         

先日の上毛新聞で、吉井の火打金が静かなブームを呼んでいるとの記事がありました。

吉井郷土資料館の説明資料によると、

『吉井の火打金は、江戸時代に始まり、武田信玄配下の子孫であった近江守助直という刀鍛冶が火打金を伝え、その流れを受け継ぐものが、町内に多く生まれる。姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中みやげに「火打金」を買い求め、江戸で評判を呼ぶ。

東の吉井・西の明珍と持てはやされた。これは、地理的条件、品質に優れ、多種生産と特注品の注文など、販路拡張を計ったからである。特に中野屋一族の製品はブランド品で、鋼に「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作」などと刻まれ各地で人気を博した。

明治5年(1872)、吉井町職業別記録には火打金職・鍬柄(くわえ)職などの人が、十数人おり、三年後の吉井町物産調べには、火打金の製造数、大中小合わせ70,853丁の記録が残る。』
とあります。

この吉井の火打金を現在製造してくれているのが、わが町の堀越製作所さんです。

社長の堀越一郎さんの元の自宅付近が吉井の火打金製造拠点があったことが縁となり、製造が始まったとのことです。堀越社長は文化に対する造詣もあり、吉井の火打金に愛着を持ってくれています。

吉井の火打金セットは「高崎市吉井郷土資料館」(027-387-5235)で発売中です。ぜひ1度手にとって見てください。縁起物としてお土産にもいいですよ。

昨日は後藤克己県議と一緒に高崎市各種団体に対する、富岡、小寺支援要請を終日。