先日の上毛新聞で、吉井の火打金が静かなブームを呼んでいるとの記事がありました。
吉井郷土資料館の説明資料によると、
『吉井の火打金は、江戸時代に始まり、武田信玄配下の子孫であった近江守助直という刀鍛冶が火打金を伝え、その流れを受け継ぐものが、町内に多く生まれる。姫街道を利用する人々が「吉井宿」で道中みやげに「火打金」を買い求め、江戸で評判を呼ぶ。
東の吉井・西の明珍と持てはやされた。これは、地理的条件、品質に優れ、多種生産と特注品の注文など、販路拡張を計ったからである。特に中野屋一族の製品はブランド品で、鋼に「上州吉井中野屋孫三郎」「上州吉井中野屋女作」などと刻まれ各地で人気を博した。
明治5年(1872)、吉井町職業別記録には火打金職・鍬柄(くわえ)職などの人が、十数人おり、三年後の吉井町物産調べには、火打金の製造数、大中小合わせ70,853丁の記録が残る。』とあります。
この吉井の火打金を現在製造してくれているのが、わが町の堀越製作所さんです。
社長の堀越一郎さんの元の自宅付近が吉井の火打金製造拠点があったことが縁となり、製造が始まったとのことです。堀越社長は文化に対する造詣もあり、吉井の火打金に愛着を持ってくれています。
吉井の火打金セットは「高崎市吉井郷土資料館」(027-387-5235)で発売中です。ぜひ1度手にとって見てください。縁起物としてお土産にもいいですよ。
昨日は後藤克己県議と一緒に高崎市各種団体に対する、富岡、小寺支援要請を終日。