「ホー、ホー、ホー」と言って笑顔で握手を求めてくる田辺誠さん。田辺さんの88歳を祝う「田辺誠先生の米寿を祝う会」に参加させていただきました。(田辺さんに関する私のブログ)
旧知のみなさんも勢ぞろいする中で、山花郁夫衆議院議員の顔も。相変わらず、さわやかな笑顔で。私とはだいぶ違う(笑)。
田辺さんはあいさつの中で、自らの政治の原点は平和と福祉であったと強調。その上で自らの政治活動について、
① 議員である以上、弁論で政局を動かすことが議員の役目である。野党であっても話しあいで結果を出すことが重要で、健康保険法の可決時に「国民の負担をあげる時は、使用者、国も負担をあげる」と三方一両損の原則を確立した。
② 社会党の中で多数派になること、政権を奪る気概を持つ多数派形成に全力を傾けた。そして政権を奪取するための具体的な準備として社会党委員長時にシャドーキャビネット(影の内閣)を立ち上げた。これは民主党に、自民党にも引き継がれている。
と述べた。
謝辞の最後に賀川豊彦の言葉を引用。「大衆は善で、それに依拠すれば、道はおのずから開ける」と。
田辺さんの政治の原点は「人を信じる」そこから政治は始まるのだと、私なりに解釈しました。
お亡くなりになった元朝日新聞記者の石川真澄さんが生前、私に「社会党は右派が執行権を握った時は左派的に、左派が執行権を握った時は右派的に方針化してしまう。」と語っていた。
右派の代表格であった田辺さんが社会党委員長時には戦後初めて自衛隊の海外派遣を可能にするPKO法をめぐって左派の徹底抗戦にあい、社会党衆議院議員が全員、辞職する瀬戸際までいったことがありました。
田辺さんは当時(1992年)社会党を政権を担う現実政党に変えるべく、その政策モデルとしてPKOによる自衛隊派遣をカンボジアにだけ限定する時限的な修正案で、社会党をまとめようとしましたが果せず、衆・参国会での徹底した牛歩戦術、議員辞職願提出までいきついてしまいました。議会は弁論の府であるとの田辺さんにすれば、耐えがたいことであったであろう。
日本の戦後民主主義を牽引した日本の社会党の精神は「平和」であり、田辺さんの言う「大衆は善」で「人を信じる」ことが原点である以上、「政権を奪る」という現実は超えられない宿命にあったのかもしれない。
「人を信じない」代表格(?)である小沢一郎氏が中心になり、民主党が政権奪取をしたことはその宿命の証明なのか。
田辺さんは、自分の政治生活は失敗の連続であったと述べた。それでも私は田辺さんの教えを継承していきたい。
戦後民主主義を継承、発展させ、国民のための政治を実現する。そのためにこそ、政権を奪取し、担う意味があるのだから。
右上が江田さんの色紙(画像クリックで拡大できます)
田辺さんからいただいた色紙資料の中に、故江田三郎・日本社会党元書記長の「議員二十五年政権とれず恥かしや」の色紙があった。
江田三郎さんは現在の民主党政権をどうみているのか、聞けないけど聞いてみたい。
昨日は早朝街宣、吉井地区あいさつまわり。午後は富岡高校野球部応援。夜は小寺、富岡両事務所。
富岡高は伊勢崎高を相手に8対1の7回コールド勝ちで、ベスト8進出です。次戦はシード校の前高を破ってきた農大二高です。25日の日曜日、12時から高崎城南球場です。がんばれ富高野球部!
旧知のみなさんも勢ぞろいする中で、山花郁夫衆議院議員の顔も。相変わらず、さわやかな笑顔で。私とはだいぶ違う(笑)。
田辺さんはあいさつの中で、自らの政治の原点は平和と福祉であったと強調。その上で自らの政治活動について、
① 議員である以上、弁論で政局を動かすことが議員の役目である。野党であっても話しあいで結果を出すことが重要で、健康保険法の可決時に「国民の負担をあげる時は、使用者、国も負担をあげる」と三方一両損の原則を確立した。
② 社会党の中で多数派になること、政権を奪る気概を持つ多数派形成に全力を傾けた。そして政権を奪取するための具体的な準備として社会党委員長時にシャドーキャビネット(影の内閣)を立ち上げた。これは民主党に、自民党にも引き継がれている。
と述べた。
謝辞の最後に賀川豊彦の言葉を引用。「大衆は善で、それに依拠すれば、道はおのずから開ける」と。
田辺さんの政治の原点は「人を信じる」そこから政治は始まるのだと、私なりに解釈しました。
お亡くなりになった元朝日新聞記者の石川真澄さんが生前、私に「社会党は右派が執行権を握った時は左派的に、左派が執行権を握った時は右派的に方針化してしまう。」と語っていた。
右派の代表格であった田辺さんが社会党委員長時には戦後初めて自衛隊の海外派遣を可能にするPKO法をめぐって左派の徹底抗戦にあい、社会党衆議院議員が全員、辞職する瀬戸際までいったことがありました。
田辺さんは当時(1992年)社会党を政権を担う現実政党に変えるべく、その政策モデルとしてPKOによる自衛隊派遣をカンボジアにだけ限定する時限的な修正案で、社会党をまとめようとしましたが果せず、衆・参国会での徹底した牛歩戦術、議員辞職願提出までいきついてしまいました。議会は弁論の府であるとの田辺さんにすれば、耐えがたいことであったであろう。
日本の戦後民主主義を牽引した日本の社会党の精神は「平和」であり、田辺さんの言う「大衆は善」で「人を信じる」ことが原点である以上、「政権を奪る」という現実は超えられない宿命にあったのかもしれない。
「人を信じない」代表格(?)である小沢一郎氏が中心になり、民主党が政権奪取をしたことはその宿命の証明なのか。
田辺さんは、自分の政治生活は失敗の連続であったと述べた。それでも私は田辺さんの教えを継承していきたい。
戦後民主主義を継承、発展させ、国民のための政治を実現する。そのためにこそ、政権を奪取し、担う意味があるのだから。
右上が江田さんの色紙(画像クリックで拡大できます)
田辺さんからいただいた色紙資料の中に、故江田三郎・日本社会党元書記長の「議員二十五年政権とれず恥かしや」の色紙があった。
江田三郎さんは現在の民主党政権をどうみているのか、聞けないけど聞いてみたい。
昨日は早朝街宣、吉井地区あいさつまわり。午後は富岡高校野球部応援。夜は小寺、富岡両事務所。
富岡高は伊勢崎高を相手に8対1の7回コールド勝ちで、ベスト8進出です。次戦はシード校の前高を破ってきた農大二高です。25日の日曜日、12時から高崎城南球場です。がんばれ富高野球部!