本日は憲法記念日です。
日本の憲法原理をあらためて確認したくなり、『丸山真男「日本の思想」精読 』宮村治雄(岩波書店2001年)を読みました。
自由や民主主義は「である」ことではなく「する」ことによって維持され、発展するということです。丸山真男の、あまりにも有名すぎる『「である」ことと「する」こと』(日本の思想)というエッセイです。
自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。
民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりもあてはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。
何度読んでも凄いです。古典です。
自由も民主主義も、そしてそれを支える日本の憲法も、「である」より「する」ことで守られ、発展するのであります。
「する」のですから、今日は憲法集会に参加してきます。
日本の憲法原理をあらためて確認したくなり、『丸山真男「日本の思想」精読 』宮村治雄(岩波書店2001年)を読みました。
自由や民主主義は「である」ことではなく「する」ことによって維持され、発展するということです。丸山真男の、あまりにも有名すぎる『「である」ことと「する」こと』(日本の思想)というエッセイです。
自由は置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる。いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。
民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化-物神化-を不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。それは民主主義という名の制度自体についてなによりもあてはまる。つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうるような、そうした性格を本質的にもっています。民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセスを重視することだといわれることの、もっとも内奥の意味がそこにあるわけです。
何度読んでも凄いです。古典です。
自由も民主主義も、そしてそれを支える日本の憲法も、「である」より「する」ことで守られ、発展するのであります。
「する」のですから、今日は憲法集会に参加してきます。