かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2009.5.25 韓国民主化の悲劇、盧武鉉(ノムヒョン)前大統領の死。

2009-05-25 14:23:47 | インポート
独裁政権と闘い、韓国民主化の闘争のひとつの到達点の象徴であった盧武鉉韓国前大統領が5月23日に遺書を残してこの世を去った。

あまりにも悲劇的であり、あまりにも・・・。

韓国の民主化は、韓国市民や民衆が軍事独裁政権と命を懸けて闘いとった民主主義です。

私が大学に入学した頃、朴正煕(パク・チョンヒ)政権が崩壊し、「ソウルの春」といわれたのも一瞬、全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領らが民主化を求めた市民、労働者、学生、知識人、政治家らを強権的に弾圧。

そしてその弾圧に断固反対し、民主化に立ち上がった韓国市民、とりわけ1980年5月、韓国全羅南道光州市での学生、市民たちの韓国軍隊との流血の闘いは、全世界に配信されました。

80年代、90年代と民主化を求める闘いに続き、ついに1998年「独裁反対」「民主化実現」を主張していた金大中(キム・デジュン)大統領を韓国民主化闘争は誕生させました。

そして韓国の民主化を深化発展させる期待を担って誕生したのが盧武鉉前大統領だったわけです。

盧武鉉前大統領は1946年生まれ、高卒、人権派弁護士で金大中氏より革新色が鮮明であり、大統領選でインターネットを駆使する若者が選挙運動の前面に登場と、新しい民主主義の在り方を示しました。

盧武鉉前大統領は大統領に就任してすぐ「参与政権」を掲げ、国民に開かれた政府、権威主義政治と闘いつつ、民主化改革をすすめることを課題とし、軍事独裁政権時代の人権弾圧の追及や、日帝支配の残滓克服という歴史検証作業をすすめました。さらに北朝鮮への経済支援を中心とする積極的な南北融和政策を打ち出しました。

このことは、韓国こそが東アジアの歴史を変えていく力であるという、韓国の新たなナショナルアイデンティティを追求しつつ、1945年8月の解放後の朝鮮半島の冷戦構造を打破することを目標にしていたと言われています。

しかし、掲げた目標はほとんど頓挫し、大統領退任後には親族に対する不正資金疑惑で自らも検察の取り調べを受けていました。

民主化、清廉潔白、透明な政治を信条としていただけに、この事態は耐え難い事だったのでしょう。

「民主主義や正義という言葉を述べる資格を失った」
「国民のみなさまに面目ない。失望させて申し訳ない」
とコメントしていました。

韓国民主化はどこにいくのか、この悲劇を乗り越えて。

盧武鉉前大統領の遺書と、光州で死亡したある学生の詩を掲載します。

2009年5月から1980年5月に。30余年の時をつなぎ、さらなる未来へむけて。

     盧武鉉前大統領の遺書(韓国警察発表の全文)

とても多くの人々に面倒をかけた。私のせいで人々が受けた苦痛はあまりに大きく、今後受けるであろう苦しみもはかりしれない。余生も、他人に負担をかけざるを得ない。体調が悪く、何もできない。本を読むことも、ものを書くこともできない。

あまり悲しまないでほしい。生と死はどちらも自然の一端ではないか。気の毒だと思わないでほしい。誰も恨まないでほしい。運命だ。

火葬してほしい。そして家の近くに、とても小さな碑をひとつだけ残してほしい。ずっと考えてきたことだ。
2009年 5月


     光州で死亡したある学生の詩

熱い血で書きます
熱い血で誓います
われら享楽のために生まれなかったことを
自由なき韓国に
民主なき光州に
正義なき学園に
われらのものである自由、
国民のものである民主、
われらすべてのものである正義が訪れるまで
私の身体が肉弾となり
お前の肉体、火柱となり
維新を燃やし尽くします
救国に果敢であります
死んで死んでまた死んで
最後の一人が残るまで!
1980年 5月


昨日は吉井町内あいさつまわり。

上野村長選挙は新人の神田強平さんが勝利。名前のとおり強いリーダーシップと平らな村政をお願いしたい。

松元宇隆村長さん、ほんとうにご苦労様でした。