遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『来世は野の花に 鍬と宇宙船Ⅱ』 秋山豊寛 六耀社

2012-11-12 01:09:01 | レビュー
 原発関連書籍を読んでいてある引用からこの書名と著者を知り、本書を読んだ。
 1990年に旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗した日本初の宇宙飛行士、宇宙ステーション「ミール」から地球の模様を中継した人、と言えば思い出される人が多いだろう。東京放送に入社した民間企業人だったが1995年に退社し、翌年から福島県滝根町(現・田村市)、阿武隈山中で有機農業と椎茸栽培をする農業人に転進。だが、福島原発事故の後、現地での有機農業が継続出来ないと判断し、”原発難民”に。著者は不本意な境遇に置かれることになる。そして2011年11月からは京都にある大学の教授に、という経歴の持ち主だ。

 本書はエッセイ集である。書名は、本書の最後のエッセイの標題でもある。
 ”「不可知論者」の私も、来世は何になりたいかなどと考えてしまいます。そうですね。この風が光る季節に考えますと「雑木林に咲いている野の花」になれれば、恐らく、幸せになりそうです。”とそのエッセイが結ばれている。
 副題は、『鍬と宇宙船』という本が先に出版されていることからⅡとなっているようだ。しかし、それでは、なぜ鍬と宇宙船? ということになると、最後から2つめの「カザフスタンの犬」に記されている。宇宙飛行士訓練の一環のジョギング中に小さな丸々と太った子犬があるとき数十メートル伴走したそうだ。その翌日のジョギングでその犬の首を見た。それがひとつの気づきへのメッセージになったとか。「イヤなものはイヤ、納得できないことは納得できないという姿勢で生きたい」。バイコヌールのホテルでの想いが、農業人への転進の一理由だと記されている。その心理の変化はこのエッセイをお読みいただくのがよい。考える材料になる短いエッセイである。

 本書は「まえがき」のあと、5つの章で構成されている。
 第1章 フクシマ原発崩壊 / 第2章 疎開先で考えたこと
 第3章 文明のリズム   / 第4章 野良仕事の愉しみ
 第5章 子供たちに何を伝える

 タイトルから多少の推測ができると思うが、最初の2つの章は、フクシマ・ダイイチ原子力発電所の崩壊で放出された放射性物質による汚染の影響を受け、16年目で阿武隈の山の暮らしを中断せざるを得なくなり、”原発難民”となった著者の視点で語られている。原発難民プロセスにおいて、原発爆発事故とその影響をその時点時点でどのように自ら分析し、考えたかについて6篇のエッセイにまとめたもの。「わが在所にもセシウムが降ってきた」「信じられない政府”広報”」「フクシマ、ダイイチから可能な限り遠くへ」「内部被曝の不安」「暫定規制値の犯罪性」「わがふるさとは荒れていく」である。
 2011年9月末日までの期間の6ヵ月、「友人たちの厚い情けの海を漂っている状態」で執筆されたもの。著者はこの期間生きていくうえで「怒り」「憎しみ」が一番力となったと「まえがき」に心情を吐露する。「あいつらに一矢むくいずに倒れることはできない」という思いであるという。”難民”に共通する感情かもしれないと著者は分析している。自らが「内部被曝による晩発性障害の恐れ」を抱え込むことになり、その不安が「ヒバクシャ」につながる契機だともとらえている。
 著者は、農業転進で培われた人脈から、そして、マスコミに関わりがあったせいか様々な人々から積極的に情報・知見を能動的に得て自ら思考分析されている。そのプロセス自体及びその視点が、我々の考える材料として有益である。いわゆるマスコミに振り回されない思考と情報源の確保が自らにはあったか、という反省材料にもなる。
 
 第3章は高度な現代文明に見え隠れする「いかがわしさ」に身近な体験を経たうえでの視線をなげかけている。ここには「等身大の技術」「農業用ロボットは必要か」「化外の民について」「『生物時計』とサマータイム」「羊を追いかけて」の5篇が載っている。
 その目は等身大の技術に目を向け、小水力発電の実例として「パンカラ」(ししおどしのような装置)を採りあげたり、農業用「ロボット」開発が果たして実用的かを論じる。また、人間の持つ「生物時計」の感覚とサマータイムという発想とのズレについて、体験を語りながら論じている。自然エネルギー開発、再生可能エネルギー開発という方向性に対しても、その技術開発の根底部分についての発想、見方は示唆を含んでいるように思う。また、机上思考による政策の無意味さ、無駄に我々の目を向けさせていくように感じた。一見まともそうに思える現代論調に潜む語られない影の部分に気づかせてくれるエッセイである。

 第4章「野良仕事の愉しみ」では、「風景を創る人たち」で立毛乾燥の「実験」を語り、農業の多面的機能について考察する。「ライフスタイルとしての農家」では、アメリカ農務省が『2007年センサス』で設定した分類「小規模農家」を採りあげている。「農地をもつことの強さ」では”地域にとっては「そこに農業が在る」ことが重要なのです”と説く。農業の大規模化の主張に異論を唱えている。そこには国全体の安定維持という視点がある。”本来、人の生命を支える穀物を「自動車」に食べさせるのは、温暖化対策などとキレイゴトを言っても、どこかインチキ臭い”(p70-171)と眺めている。この目線は第3章で触れられた「いかがわしさ」に通底する。経済理論の「合理性」だけによる農業論に反対し、「食糧安全保障」上の基本的「穀物」自給力確保の重要性に触れている。
 「『ロカボア』って知ってる?」では、2007年のアメリカの新語を紹介し、有機農業の変遷を語る。遅ればせながら、この新語を本書で初めて知った。アメリカ版「地産地消のススメ」のようだ。また、「古代米考」では、自らも阿武隈の仲間たちと栽培していた黒米(クロゴメ)や日本各地にある”色つき米”及び「赤米こぼれ話」という雑誌連載記事を紹介している。単純に東南アジアと思っていた米のルーツについて具体的に知ることができた。「エゴマの普及について」では、島根県の川本町の活動を採りあげる。健康食材エゴマ普及活動の実態とその再発見を紹介しながら、一方で政策としての「補助金」依存という問題局面にも目を向けている。
 ここには、農業に勤しんできた著者の文明・経済論的視点、農業政策への冷めた眼差しが我々に思考の糧を提示している。

 第5章「子供たちに何を伝える」には、「花鳥風月への感性」「オオバコも食べてみよう」「ハチとカメムシ」「ローカル線見聞記」「私が十一歳の頃」「カザフスタンの犬」「来世は野の花に」の6篇が載っている。
 阿武隈での大地と接した暮らしや自ら人生の過去を振り返った思い出を取り混ぜながら感性、知覚、生態系、誤った政策、行儀の常識の変化などの諸問題を語っている。そこには、間接的に子供たちに著者が伝えたいことが内包されてるといえる。
 
 本書はこんな構成である。世間の文明論、経済論、技術論などに有機農業実践の経験を通してみた異論を提示する。我々には考える材料が豊富に盛られたエッセイ集になっている。

 最後に、原発難民へと理不尽にも追い込まれ、こよなく愛する阿武隈山中の大地と決別させられた著者の発言で、印象深いものをいくつか引用させていただこう。これらが、本書を手に取るきっかけになれば、幸である。
*福島県民の大量「被曝」の可能性を知りつつ、ある種の「情報操作」(情報の隠蔽)によって、当面、国としての「秩序」を維持したのでしょう。国というのは、いざとなれば民衆を捨てるというモデルケースのひとつかもしれません。  p38
*時にテレビの「特集」などで放映される東北の太平洋側を襲った津波の映像を見ながら、「あそこでは、大きな波が、暮らしを根こそぎ海に運んで行ったが、私の場合には、放射性物質という”津波”が押し寄せ、家や田畑はあるものの、放射性物質に汚染された。暮らしを根こそぎ破壊されている現実に変わりない。一見、何の被害もないように見えるだけ、他の人にはわかりにくいだろう」などといった思いに浸ったりしたわけです。 p53
*(付記:プルトニウム、ストロンチウムも含めた放出量などのデータ公表について)ひょっとして政府は、ひそかに、そうした物質の検査をしており、結果を公表していないだけなのかもしれませんが、恐らく、検査はしていないのでしょう。データがあると、議論の対象になります。議論されること自体を避けているのかもしれません。こうした詳しい分析をしないこと自体、私には「不作為」による犯罪のように思えます。検査ができないわけはないのです。中国やソビエトが大気圏で核実験をやっていた頃は、何かというと、ストロンチウムが検出された、何が出てきたと新聞の紙面に出ていたのを記憶しています。 p55
*各地に設置された放射性物質検知装置も、地上数メートルの大気中の物質の放射線量を検知するシステムで、決して大地の土壌汚染度を示しているわけではありません。 p57
*フクシマ・ダイイチの事故現場から、たとえ微量であったとしても、放射性物質の放出が続いている限り「雲」が運ばれ、今後も雨などで再び放射性物質が降下する可能性はあるわけです。  p58
*もちろん身の回りの放射線量を自分たちで少しでも下げようとする「努力」を「無駄」という気はありません。しかし、「除染」の責任が、汚染原因をつくった企業、加害者である東京電力にあることは明白です。彼らが被害者ヅラをして、ダンマリを決め込んでいるのを許してはならないのです。企業が、工場などで有害物質を発生させ、そうした物質が残留している場合、そうした物質を発生させた企業が責任をもって「除染」しなければならないことは、すでに確立された原則です。   p59
*「ゆるい規制値」の設定は、一体何のためなのでしょうか。私には、厳しい「規制値」によって販売できない農作物が大量にでき、東京電力に対する補償要求の金額が大きくならないよう行政担当者、つまり政府が取った措置としか思えないのです。  p63
*「よくわからないけど、安全だろう」というのは一種の信仰です。「安全であってほしい」「害がないことを願います」という願望でしかありません。  p64
*放射性物質の「害」については「急性障害」がない場合でも、「晩発障害」や「遺伝的障害」はあるのです。これは放射線の「専門家」にとっては「常識」のはずなのです。・・・専門家なる人びとは、本当に、自分の子供、あるいは「孫」たちにも、放射線レベルが「暫定規制値以下だから大丈夫」といった言葉をはけるのでしょうか。 p65-66
*文部科学省が20ミリシーベルトなどという、とんでもない数値を設定したこともまた「犯罪」なのです。福島県は、放射線の専門家と称する人の助言によって、全県民のデータを取ることにしています。これは全県民をモルモットにした「実験」ではないでしょうか。  p67
*結局は国民を犠牲にする「国策」なるものを、どう変更させるかなのです。現在求められているのは、すべての原発の即時停止と廃炉に向けての措置なのです。  p68
*今、メディアが連呼している「絆」という言葉も、キャンペーンのキャッチコピーとして、季節風のように飛ぶ時期はあっても、現実の暮らしの現場では地縁血縁のネットワークに入らない限りは、都会の人のお祭りでしかないのです。  p80
 →著者は「地の人」とは土地の人と結婚して三代くらいの関係ができた人のことだという滝根町の老人の感覚をたとえに出す。絆の深まりとはそういうレベルの感覚なのだということだ。心情的「絆」感覚は、「旅の人」の空言なのだろうと考えるている。
 「福島で、放射性物質の拡散にもかかわらず、年配の人たちを中心に、生まれ育った土地を離れようとしない心情の背景にある、こうした血縁のつながり、それまでの暮らしのネットワークの安心感、祖先の墓の存在の大きさが改めて見えてきた感じです。この人たちは、他の場所に移れば、自分たちが『旅の人』扱いを受けることを十分に知っているのです」(p78-79)と著者は記す。

 「想定外」のことだったとして、故郷を理不尽に奪い、人々に苦しみを与えた東電・政府の責任は重い。人間がコントロールできない物理現象を基盤にする原発を廃絶する方向に持っていくことは、未来に対する負の遺産をこれ以上増やさないためには当然ではないのか。そんな思いを強くする。


ご一読ありがとうございます。

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 本書の関連でいくつか検索して見た結果を一覧にしておきたい。

秋山豊寛 :ウィキペディア
 秋山豊寛 :「宇宙情報センター」
 ソユーズ宇宙船 :宇宙情報センター」
 旧ソ連/ロシアの宇宙ステーション
「ちょっと待った原発再稼働」秋山豊寛 :YouTube

「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん/朝日新聞 :「薔薇、または陽だまりの猫」

全国小水力利用推進協議会のHP
スピンハウスポンタのHP
乾燥コストを低減できる飼料用米の立毛乾燥法 山形県農業総合研究センター土地利用型作物部
Locavores :From Wikipedia, the free encyclopedia
Teikei :From Wikipedia, the free encyclopedia
有機農業 :ウィキペディア
古代米  :ウィキペディア
古代米  :「農園さくら」
稲作   :ウィキペディア
火田民  :ウィキペディア
日本エゴマの会より  :「エゴマ・ベンガルの風にのって」
エゴマ  :ウィキペディア
えごま商品 :「川本町観光協会」
動物行動学 :ウィキペディア
環世界   :ウィキペディア
生物多様性
生物多様性センター :環境省自然環境局

ふくしま集団疎開裁判のHP
子どもたちを放射能から守る福島ネットワークのHP
福島原発告訴団のHP


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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『原発危機の経済学』 齊藤 誠 
『「想定外」の罠 大震災と原発』 柳田邦男
『私が愛した東京電力』 蓮池 透 
『電力危機』  山田興一・田中加奈子
『全国原発危険地帯マップ』 武田邦彦
『放射能汚染の現実を超えて』 小出裕章
『裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす』 たくきよしみつ
2011年8月~2012年7月 読書記録索引 -1  原発事故関連書籍