遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』 ロバート・K・ウィットマン、ジョン・シフマン  柏書房

2012-01-15 00:18:16 | レビュー
 本書の著者は、30歳代で念願のFBI捜査官になり、18年間-そのうち美術犯罪捜査官として現場で12年間-の捜査官として活躍した人物である。主に潜入捜査を実行し、FBIを定年退職した後に、この回想録を出版した。
 アメリカにおいて、美術品盗難捜査というものがどういう位置づけにあり、FBIがどんな方針で臨んできたか。著者がその分野を手がけるようになってから、どういう捜査をしてきたか。国際捜査の実態はどういうものか。それが実話として語られている。
 著者は朝鮮戦争で立川の空軍基地に配属されたアメリカ人の父-ボルティモアの孤児-と事務員として働いていた日本人の母を両親とした日系二世のアメリカ人だ。潜入捜査という性格上、貴重な盗難美術品の救出に成功しても、その記者会見の表に顔を見せること無く、写真に撮られない場所でひっそりとその場面に臨んできたという。
 
 本書は4部構成になっている。読み終えてから振り返ると、第1部は第4部の捜査の一環として行われたマイアミビーチ海上での偽装取引のシーンから始まっていた。「開幕」という章見出しの通り、まさに映画のワンシーンを彷彿とさせる書き出しである。だが、それはフィクションではなくて実際に実行された関連作戦だった・・・・。
 「パルメット・エクスプレスウェイに乗って東へ、マイアミビーチに向かって走るプラチナのロールスロイスは防弾ガラスを入れ、装甲を施したそのトランクには盗品の絵画6点を積んでいた。・・・・」こんな書き出しで、第1章「サウスビーチ」が始まっている。
 第2章で、著者は美術品盗難は「歴史に対する犯罪」だと位置づけている。美術犯罪は年間60億ドルのビジネスになっているそうだ。「闇市場において、盗難美術品は公にされている価格のおよそ10パーセントで出回ることになる」という。<アート・ロス・レジスター>がある会議で発表した統計では、美術館強盗は美術犯罪全体の10分の1、52%が個人宅ないし組織からの盗難、ギャラリーから10%、教会から8%、そして残る大半は遺跡の発掘現場からだとのこと。
 この後に、著者はフランス、イギリス、イタリアの美術犯罪チームの各国差に触れている。本書全体とも関わる記述である(p27)。p414と併読していただくと興味深い。
 著者は語る。「(美術品は)われわれの文化を体現したものである。・・・そうした偉大な作品はみんなのものであり、未来の世代のものなのだ。・・・美術品泥棒はその美しい物体だけではなく、その記憶とアイデンティティをも盗む。歴史を盗む。・・・・あらゆる芸術は感情を引き出す。気分というものを湧き起こす。だからこそ芸術作品が盗まれたり、古代都市から手芸品やその魂がはぎ取られたりしたとき、われわれは穢されたように感じるのだ。・・・・いかにしてアメリカ一の美術犯罪の探偵となり、この場(注記:美術および骨董品を対象とした組織犯罪に関する国際会議)にたどり着いたか」
 
 第2部は著者が、美術犯罪捜査官の道を歩み始めるまでの来歴を回想している。両親が1953年に結婚し、著者は東京で生まれ、その後アメリカに家族が戻ったという。隣人がFBIボルティモア支局の特別捜査官だったとか。著者の将来の希望はFBI捜査官だったようだが、すんなりその道に入れた訳ではない。その経緯をこの第2部で語る。
 フィラデルフィアにあるロダン美術館の所蔵品「鼻のつぶれた男のマスク」が1988年に盗まれた捜査に加わったことが美術犯罪捜査への契機だったという。だが、このマスクを救出した頃、「当時は美術館から貴重品が盗まれても、美術犯罪は優先事項ではないという議会の意見が反映して連邦犯罪にはならなかった」らしい。著者はこんな一文を記す。「1980年代も終わろうかというころ、美術品の盗難という奇異な出来事であっても、世間を騒がせるものではなかった」と。
 当時、FBIでは美術犯罪捜索は捜査官の「気になる副業、いわば趣味と見なされていた」というからビックリだ。この趣味を好む捜査官と見なされていたのがボブ・ベイジンだったという。彼の許で著者の捜査官人生が始まった。つまり、著者はこの捜査分野の草分け的な存在として歩み出したのだ。
 もう一点、著者の人生に大きな比重を占めることになった交通事故をここで回想している。

 第3部は10章にわたる。筆者が美術犯罪捜査分野の確立期において、自ら潜入捜査により、着実に盗難美術品救出を行ってきた事件を語っていく。黒子として一切マスコミに姿を見せないで、捜査に携わって行った記録が述べられている。
 一つ一つが実話である。そして、国内における美術犯罪捜査が連邦捜査官の仕事として認知され、さらに国際間で捜査官の協力する美術犯罪捜査が捜査分野として確立されていくプロセスを併せて語っている。著者はフィラデルフィアに居住しながら、FBIの美術犯罪捜査官として、世界各国に認知されていくことになる。
 こんな一節がある。「連邦議会は、主に1990年のボストンで起きたガードナー美術館の事件をうけて連邦美術犯罪法を制定し、それを1995年、ゴールドマンと私がウィリアム・ペン邸の窃盗事件で史上初めて適用した」とする。
 各章はそれぞれ個性を持った美術品盗難事件捜査の短編ドキュメンタリーを読むようなタッチであり、美術品に関心のある人にとっては、特に興味深くおもしろい読み物になっている。
 筆者が美術犯罪捜査官人生で救出してきた美術品を拾い出すと、こんな作品群となるようだ。勿論、これが全てではなく多分その一部なのだろう。

 黄金の防具・モチェ王の臀部を護る腰当て
 ペンシルヴェニア歴史協会(HSP)の所蔵品
 血染めの布 <アフリカ軍団第12歩兵連隊の連隊旗>
 ノーマン・ロックウェル <スピリット・オブ'76>、<ソー・マッチ・コンサーン>
  <ビフォー・ザ・デイト/カウガール>、<ビフォー・ザ・デイト/カウボーイ>、
  <シー・イズ・マイ・ベイビー>、<リッキン・グッド・バス>、
  <ヘイスティ・リトリート>
 ブリューゲル <聖アントニウスの誘惑>
 国宝・権利章典 写本 :ノースカロライナ州宛
 ルノワール <若いパリ市民>
 レンブラント <自画像> (10cmx20cm、1630年作)
 ジンバブエの美術館から盗まれた国宝・5点
 パール・バック 『大地』の手書きの校正原稿

 美術品が様々な領域に及んでいることがよくわかる。著者はその捜査のために必要な美術品鑑定のために、バーンズ財団美術館で受けたトレーニングにも言及している。そして、潜入捜査に関連するスキルは捜査官になる前の前職経験が如何に生きているかについても述べている。

 第4部「オペレーション・マスターピース」(名画作戦)は、FBIがウェブサイトに美術犯罪トップテンの一つに挙げている「ガードナー美術館盗難事件」において、著者が関わった期間での顛末譚である。盗まれた美術品の評価額はなんと5億ドルという。そして、ガードナー美術館盗難事件には、報奨金が最終的に500万ドルまで上積みされたとか。アメリカとフランスの合同作戦による盗難美術品の救出作戦実行のプロセスが克明に記されている。盗み出された作品には次のものが含まれるようだ。
 レンブラント <ガリラヤの海の嵐>、<黒衣の紳士淑女>、<自画像>(1629年作)
 フェルメール <合奏>
 マネ <トルトニ亭にて>
 だが、著者が関わっていた時に作戦が打ち切りになる。「ケーキの分け前」を欲しがる指揮者が多数関わると事態はうまく展開しない。「大西洋をはさんだ両岸で繰り広げられた官僚主義と縄張り争いが、ガードナー美術館から持ち去られた美術品を回収する十年に一度のチャンスを粉砕したのだ」(p413)
 現時点でこの盗難事件はどうなっているのだろうか・・・・・・
 
 著者は書いている。「後進を育てて仕事を引き継ぎたくても、FBIには人を教育する気がなさそうなのだ」と。この状態が続いているならば、FBIのウェブサイトの美術犯罪のサイトはお飾りに近いものなのだろうか・・・・
 著者は2008年に定年を迎えた。それから現在までの期間を考えると、やはりそれほどこの分野には重点が置かれていないのかもしれない。

 こんな会話も載っている。最後に少し脇道にそれるが・・・
 フランスのサルコジ大統領の話。内務省時代のことについて、「彼は法と秩序を最優先に考える男だった。国家警察にたいして、サルコジが興味を持っていたのは結果だけだった-逮捕、逮捕、逮捕だ。数字ばかりに固執した。犯罪者と戦っている自分をアピールしたかったんだな」「まるでFBIだ。うちも盗難品、つまり美術品の回収が任務の中心にあるわけじゃない。任務の中心は法廷で有罪判決の数を数えることだ。そしてその数で評価される。」(p345)
 また、FBIという組織についてこんなことも書いている。「FBIは巨大な官僚機構である-中間管理職の指揮官たちは3年から5年ごとに新しい職務へと異動になり、各地の支局とワシントン本部の間を行ったり来たりする。その力学があるため、本部の監督官たちは波風を立てたがらない。きょうやりあった指揮官が明日は上司にならないともかぎらないからである」(p346)官僚組織はいずこの国も同じようなものなのか・・・。
 トップの思惑および巨大組織の持つ官僚制体質は、やはり美術犯罪捜査分野にとっては、問題含みにつながるようだ。

 著者は捜査、美術犯罪の潜入捜査について、次のように記す。

*一般の捜査官が物事を白か黒かで見るところを、私は灰色の濃淡で見ることにした。人が判断を誤ったからといって、それで悪人とはかぎらないということを学んだ。また重要なのは有罪無罪の別なく、容疑者が何を心から恐れ、何を聞きたがっているかを知ったことだろう。両方の立場から物事を見る-被告人のように考え、感じる-という新たな能力はとても重要なものだった。p92

*防犯のプロたちがささやくラテン語:「クイス・クストディエト・イプソス・クストデス」-誰が見張りを見張るのか p140

*潜入捜査は多くの点で営業とよく似ている。要は人間の本質を理解することであり、相手の信頼を勝ち取ってそこにつけ込む。友となり、そして裏切るのだ。 p161

*潜入捜査は心理戦であり、恐怖や感情に流されてはやっていけない。 p225

*(捜査手法の通信傍受について、こんな記述がある。)
 捜査官はただ通話を記録し、それを一日の最後に回収すればすむというわけではない。市民的自由を守るために、すべてを生で聞いたうえで、事件に関係のある部分だけの記録が許されているからだ。p302

*潜入捜査、とりわけ美術犯罪の潜入捜査では、調べ尽くさなければ結論はでない。p352

*私は新人たちにいつも、手がかりはすべて追えと教えている。どの手がかりがいい結果につながるかわからないからだ。ときには大穴がくることもある。p416

 著者は、潜入捜査を煎じ詰めると、五つのステップに行き着くという。
 ①ターゲットの見きわめ、②自己紹介、③ターゲットとの関係の構築、④裏切り、⑤帰宅、である。
 そして後輩の捜査官たちにこう教えてきたと言う。「自分自身であれ。役者になるな。役者になれないし、誰にも演じることはできない。役者には台本があって何テイクもある。きみたちは1回きりだ。役者なら台詞をとちってもまたチャンスがある。きみたちはミスを犯せば死ぬ-場合によっては、他人も巻き添えになるのだ。」
 第一線の潜入捜査に12年間携わってきた著者の言。やはり、その重みを感じる。

 本書末尾に「著者註」があり、こんな一文が記されている。
「可能なかぎり真実に迫った回想録を書きあげることができた」と。だが、「同僚たちの身元を守るために、またFBIの捜査法を一部秘匿するために、事件の細かい部分には省略や多少の変更を加えることにした。それでも起こった出来事の本質はそのまま記した」p428。これは仕方のないことだろう。この本を出版できたということがある意味すごいことだと思う。守秘義務との接点について、かなりの模索があったのではないか。
 
 本書の締めくくりはちょっと切ない。
「・・・・こんなチャンスがつぎにめぐってくるのは、また何年も経ってからのことだろう。そのときはもう一度挑戦するんだろう?」
「いや、もういい」と私は言った。「3ヵ月で定年なんだ」
「君の後任は?」
 ・・・・・・・
私は言った。「さあな、ピエール。私にはわからない。なかなか鋭い質問だが」

 美術犯罪という分野での事件簿だが、犯罪捜査プロセスの実話というのはやはりエキサイティングでかつ面白い。また、美術好きにとっては見逃せない本、ちょっと毛色の変わった一冊だと思う。バーンズ財団美術館での「見る学習」(第6章)や各所に出てくる盗難美術品の鑑定に関わる箇所など、興味深い記述が盛り込まれている。
 著者はやはりその道のプロだ。奥書によると、現在、国際美術警備保障会社を経営しているそうだ。形を変えて、日々窃盗組織グループと対決、知恵比べをしているのだろう。

ご一読、ありがとうございます。

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関連事項をいくつかネット検索してみた。

Robert King Wittman :From Wikipedia, the free encyclopedia
英語版ウィキペディアには、著者の項目が載っています。

Art theft :From Wikipedia, the free encyclopedia

FBIの美術犯罪サイト →美術犯罪トップテンの説明があります。
National Stolen Art File (NSAF) ← FBI 美術盗品のデータベース検索先
美術犯罪チーム
 活動成果について、こんな一文が記されている。
 "Since its inception, the Art Crime Team has recovered more than 2,600 items valued at over $142 million. ”(2600点以上の救出品、1億4200万ドル以上の価値相当)

ガードナー美術館盗難事件 →第4部関連

バーンズ財団美術館 ウェブサイト  ← 第6章関連
当美術館 紹介ページ(日本語)
バーンズ・コレクション :JTBのサイトから

ペンシルヴェニア歴史協会(HSP)  ← 第9章関連
the Historical Society of Pennsylvania
The National Civil War Museum (南北戦争博物館)←第12章関連

ノーマン・ロックウェル :ウィキペディア  ←第13章関連
Norman Rockwell Museum

イサベラ・スチュアート・ガードナー美術館  ←第4部関連
 館内展示室と所蔵品の画像が即座に鑑賞できる便利な設定になっています。いいですねえ。

ケ・ブランリ美術館  :「フランス美術館・博物館情報」から  第4部関連
  文 小沢優子氏  → 本書で初めて目した名称なので調べて見た。
この美術館のウェブサイトはこちら。2006年6月23日開館とか。
本書の著者は「これほど興味深く、しかも戸惑いを覚える美術館はめったにない。-ジャングルをテーマに、屋内には暗い通路に展示物がぼんやりと浮かぶ設計になっているのだ。迷子になること請けあいである」と書いている。p364 パリに行く機会があれば・・・・

[番外・附録」
消えたフェルメールを探して」  
「合奏」盗難事件をめぐり、真犯人の行方と頻発する美術品盗難の驚くべき現実に迫るドキュメンタリー映画。← 本書に名前の出てきた「マイルス・コナー」(有名な美術品窃盗犯だとか)を検索していてヒット。
 → こんな映画感想記事あり

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