遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『秘拳水滸伝』(四部作) 今野 敏  角川春樹事務所

2012-07-06 22:08:51 | レビュー
 この四部作、たまたま同時に入手したので、一気に読んでしまった。武道アクション小説は著者の得意ジャンルだろう。ストーリーが明解で、ある意味ストレートな筋立てなので読みやすい。武道についての著者の造詣の深さが、自らの実践体験を背景として、話の展開の中で書き込まれていく。見方を変えると武道百科のオンパレードという側面があって、武道の広がりについての知識を併せて知ることができる作品になっている。実在する武術に著者のイマジネーションにより創出された武術(たぶん、フィクション)が絡み合って描き込まれていく。このあたり、武術門外漢にあっては、目学問になって興味ふかい。ほう、そんな武術が実際にあったのか・・・・の連続である。ついつい、いまでも実在するのかな、という好奇心が呼び醒まされる。

 さて、この作品、群馬県桐生の町に道場を構える『不動流』にまつわる話である。三代目宗家、54歳の長尾高久が門弟の帰宅後、道場で一人、技の研究をしている。そこに数人が襲撃してくる。そのグループとの格闘が始まり、最後に宗家・高久が拳銃で射殺される。高久を撃った男の射撃スタイルは、FBIのコンバット・シューティングのマニュアルに沿ったもの。射撃に関してはプロフェショナルなのだった。食事のために、道場に父を呼びに行った娘・久遠がその射殺の場面を目撃してしまう。話はここから展開していく。ストーリーの展開は、四部作としてまとめられている。

 1.如来降臨篇 2.明王召喚篇 3.第三明王篇 4.弥勒救済篇

 この四部作のストーリー展開はそれぞれを一応独立した作品としてもまあまあ読めるまとまりになっている。そして、大きく眺めると、起承転結の形で話が展開しているようだと思った。

1.如来降臨篇
 宗家惨殺の事件現場に到着した桐生署の刑事は、望月杉男部長刑事と堀内刑事である。この二人が宗家射殺事件から端を発する一連の事件展開に深く関わっていく。
 高久の娘・久遠は心身喪失の状態に陥り、一旦入院する。極度の自閉症に陥いってしまう。一方、不動流には二人の師範代が居る。加納飛鳥とポール・ジャクソンであり、二人は共に、不動流の内弟子なのだ。未だ免許皆伝は受けていない。二人は事件究明の一方で、不動流という流派の存続にどう対処するかという問題を抱えることになる。そこに、高久の盟友だと言って、奥田白燕なる人物が来訪する。彼は先代宗家直筆の免許皆伝の免状を持っていたのだ。
 白燕は、宗家射殺の背後には巨大な組織と権力の思惑があるのではないかという憶測を語り出す。つまり、奈良県の大峰山中・大臼岳の山裾に本拠を置く「三六教」という新興宗教の教祖・梅崎俊法が絡んでいるのではないか。そして、この梅崎は「日本武道振興会」という組織を形成し、会長になっているのだという。宗家・高久とも面識があったという。宗家・高久は不動流がこの振興会に加わることを拒否してきていたのだ。
 白燕のこの憶測は当たっていたということになる。梅崎俊法は、自らが表に出ること無く不動流をつぶそうとしつづける。
 不動流は、高久なき後、白燕が継承することになるのか? 実は、久遠が免許皆伝の域に達していることが、退院後に判明する。そのあたりのストーリー展開も面白い。そして、久遠には、大日如来が降臨していたという。大日如来が父親・高久の惨殺場面に遭遇した久遠の心身状態を救ったということなのだ。久遠があわやという極度の危機的状況に陥ると、如来が降臨するという体質になってしまったという設定なのだ。高校生の一少女が免許皆伝の域に達していて抜群の強さを持つ。それを如来が背後で支えている。この設定が面白い。久遠が免許皆伝の腕前であること、それを読者にすんなり受け入れさせる舞台装置にもなっている。
 ここで、武道と新興宗教、大日如来と天部の眷属との関わりが出来てくる。武道アクションに新興宗教の組織形成、組織運営が絡んでいく。「日本武道振興会」という武術集団組織が梅崎の意図で操られるということにもなる。
 不動流の面々と望月刑事はそれなりの協力関係を保ちつつ、事件の究明捜査に乗り出す。その結果、梅崎が放つ第二の暗殺者グループに、刑事も巻き込まれていくことになる。
2.明王降臨篇
 5人のプロフェッショナルが不動流道場に潜入してくるところから第2部が始まる。
 梅崎俊法が築きあげた新興宗教、宗徒二十万の教団が、沼田栄完という政財界の首領として怖れられる人物を黒幕とするグループに継承されることになる。その変質の節目として、梅崎俊法が獄中で死ぬ。そして、「三六教」は「三六会」へと変質し、教団が蘇生してしまう。「三六教」と「日本武道振興会」を合体した組織になっていくのである。
 著者は宗教の絡んだ巨大組織がどのように形成され、また操られていくかという局面を鋭く抉り出す。宗教教団という巨大な組織が、信仰心とは別の論理で操られうる危険性を描き込んでいる。「宗徒二十数万もの組織、日本古武道を守り伝えるという口実、じつによくやった。・・・彼の志はこのわしが直々継いでやろう」(p63)、「私もこの眼で、難病患者を何人も救っているのを実際に見ております。また、俊法という男、説教もなかなかうまく、人の心をつかむのが巧みでした」(p63)、「たしかに、このまま自然消滅させてしまうには惜しい。二十数万人の組織など、なかなか作り上げられるものではない」(p58)。あり得る話のような気がしてくる。このあたり、著者の陰のモチーフかもしれない。
 そして、不動流は、この「三六会」との対決へとステージが転換していく。
 5人の暗殺者たちは、この「三六教」から送り込まれたということなのだ。最初の襲撃は、まず彼ら暗殺者集団による小手調べとしての襲撃だった。
 この5人組が三六会で重要なポジションを与えられる形でストーリーは展開する。だが、その彼ら自身が、本格的な不動流抹殺のための襲撃を企てる。
 この第2作では、暗殺自体が新たに受けつがれ、また「三六教」が「三六会」に受けつがれる。一方、不動流では、久遠が不動流を継承し、宗家として動き出すことになる。つまり、第1作を「起」とみれば、第2作は「承」となる。第1作を承けた形でステージが切り替わり、変化していく。
 また、第2作では、八神紫苑というどちらかといえば華奢な感じの青年が稽古をつけていただきたいと言って登場してくる。彼は沖縄の首里手系空手から始め、諸流派を学び、「知新流」を得意とすると名乗る。不動流の面々は、合同稽古の申し入れを受け入れて、立ち会うことになる。久遠自身も八神紫苑と立ち合う。そして、久遠は紫苑のことを「軍荼利明王」だと飛鳥に言う。久遠は不動流の面々に、紫苑から「知新流」の技を学ぶようにと指示する。
 これは、不動流に新たな技が加わるバージョンアップでもあり、迫り来る危機的状況への準備にもなる。第2作で武道アクションがさらにおもしろくなる。著者は巧妙に仕掛けを組み込んでいく。
 この第2作では、5人の暗殺者の内の一人が、傀儡といえども宗徒二十数万の二代目教祖に納まる設定だ。その教祖自身が本格的に不動流を襲撃するリーダーになる。このあたり、武道アクション作品とはいえ、少し単純化しすぎではないかという思いが残る。エンタテインメント作品としては、まあいいか・・・という気もあるが。
 副題の「明王召喚篇」は、紫苑「軍荼利明王」の登場に由来する。

3.第三明王篇
 第3作は、岩田勝也という一流証券会社元社長が沼田栄完から直接電話を受け、「見苦しい・・・。腹を切れ」と言われる。岩田は恐れをなして箱根湯本の高級旅館『緑庭』に逃げ込んでいく。だが僧形の男にその旅館で抹殺されるという話から始まる。スリリングな始まりである。
 世直しの名目のもとに「三六会」は活動を展開している。そこには黒幕・沼田栄完の意思が働いている。その教団内で、不動流を一旦襲撃した教祖と四天王は、不動流壊滅を期し、自らの技の鍛練向上に一層注力していく。
 一方、不動流では、流派の演武会の準備が進められていく。この演武会は、宗家・高久の不慮の死を経た後、久遠が宗家として表舞台にでる機会でもあるのだ。
 だが、それは、「三六会」側にとっては、久遠抹殺を公然と仕掛けられる機会にもなり得るのである。襲撃を予測したうえでも演武会を開催するのか・・・。久遠はゴーサインを出す。当然ながら、三六会側は、仕掛けの準備を始め、演武会当日には、刺客を送り込んでいくことになる。
 第3作は、不動流の演武会に、「三六会」から刺客が送り込まれるストーリー展開となる。これまでの暗殺という闇の世界でのストーリー展開が、第3作では、演武会という表舞台での公然とした他流試合申し出という形に「転」ずるということになる。
 刺客がどのように準備され、どのように仕掛けていくか。教祖と四天王の5人組自体が最後の手段として、自ら襲撃に赴くときのために、どのように準備しはじめるか、ここらあたりの「転」がストーリーの雰囲気を変え、暗殺ワンパターンを脱することになる。
 そして、「三六会」で選ばれた刺客の内の一人が、演武会での合同稽古の後、不動流に留まることになる。この佐竹という男を久遠は「降三世」と呼ぶ。所謂、第三明王であり、副題の由来である。
 さて、この佐竹が、不動流に新たな技を加える。不動流のバージョンアップの役割を果たすことになる。
 第3作は、暗殺から表舞台での試合という「転」だけではない。もう一つの「転」が仕込まれている。それは、受け身だった不動流が大峰山中の大臼岳の山裾にある「三六会」本拠に自ら出向いていくという「転」である。それが、最後の7章「拳霊降臨」なのだ。
4.弥勒救済篇
 この第4作、世直しという名目で日本制覇を意図する沼田永完が自ら指示を出し、動き始めるという展開になる。暴力団の出である本条は『国民教育会議』というもっともらしい名称の団体を率いている。その本条が世直しの一環として、「第二警察」案を沼田に提案する。沼田はそのアイデアに心を動かしていく。もとの『日本武道振興会』の人脈と右翼団体などの層を統合していこうというのだ。ただし、そのアイデアを承諾する前提として、沼田は、不動流の抹殺を条件に出す。本条は同意する。
 不動流の道場では、久遠が新たな客の到来を飛鳥に予告する。「縁あって『不動流』にやってくる人」なのだという。「道場破りに来た」と言って、20代半ばの細面の頼りなげな男が訪れる。縁あって中国武術をいくつか学んだという。鎬金剛と名乗る人物だ。
 合同稽古の後、久遠がいう。彼は金剛夜叉だと。彼もまた、不動流の技のバージョンアップの役割を担うのだ。
 不動流抹殺を指示された暗殺団との最後の対決がここに始まる。このストーリー展開が第4作を「結」と位置づけることになる。武道アクションの「結」でもある。
 だが、究極の場面は、沼田永完本人と不動流との対決である。それでこそ、「結」として、完結する。
 なぜ、副題が「弥勒救済篇」なのか? これは「結」の説明につながるので、本書をお読み願いたい。

 武道家に仏教の天部の神々を守護霊として重ねていくことで、不動流に様々な得意技を会得した武道家を自然に集結させていく。それは大日如来の召喚であるという設定が実に楽しい。武術に明暗二面を設定し新興宗教教団、暴力団を絡ませていくというのもおもしろい設定である。

 ワクワクと楽しく読みながら、実在する武道諸派の知識も自然と広がって行く。事実ある武術技に著者のフィクション技がうまく融和していく。どこまでが、実際にあり得て、どのあたりが不可能か・・・それは真の武術家でないと判断・仕分けはできないだろう。素人が読む分には、虚実皮膜がうまく語られているように思う。
 本書もまた、コンピュータグラフィクスを駆使したアニメーション映画で見てみたい作品である。

ご一読ありがとうございます。

付記
本書を読みつつ、検索した項目の一覧を作成した。一緒にアップロードしようとしたが、今回はなぜかうまく行かなかった。しかたなく、割愛して投稿しておきたい。


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