遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『「盗まれた世界の名画」美術館』 サイモン・フープト 創元社

2012-07-30 10:37:29 | レビュー
 以前に、『FBI美術捜査官 奪われた名画を追え』(ロバート・K・ウィットマン、ジョン・シフマン著・柏書房)の読後印象を書いた。この本は捜査官の立場からみた行方不明の名画追跡について書かれていた。
 それに対し本書は盗まれた名画にまつわる、様々な美術品掠奪者あるいは窃盗者やその手口についての歴史と具体的事例について語っている。その語りの中で盗まれ行方不明になっているあるいは時を経て発見された名画を紹介する。また、巻末には付録「行方不明の美術展示室」というセクションが設けられ、60点ほどの行方不明の名画が解説付きでカタログ風に載っている。
 その中には、FBIのウェブサイトの美術品盗難トップテンとして掲示されている作品も入っている。レンブラント「ガリラヤ湖の嵐」、カラヴァッジョ「聖フランチェスコと聖ラウレンティスのいるキリスト降誕」、ヴァン・ゴッホ「スヘェニンゲンの海の眺め」、セザンヌ「オーヴェル=シュル=オワーズ近郊」、マックスフィールド・パリッシュ「ガールード・ヴァンダーヴィルト・ホイットニー・メゾンの壁画」のパネルAとパネルB、アンリ・マティス「リュクサンブール公園」、クロード・モネ「海景」。

 私にとって本書で一番印象に残った事柄から始めよう。昔見た「エドワルト・ムンク展」に関連する。鑑賞後に購入し今も手許にある図録をみると、この展覧会は1971年1月~2月に京都国立近代美術館で開催された。この時、「叫び」(1893年)、「マドンナ」(1894~95)の2作品を会場で見ていたのだ。行方不明になる以前に! この「叫び」および、上記と同型で1893~94年制作の「マドンナ」が2004年8月に、ムンク美術館から盗まれ行方不明になったという。幸にも、2006年8月に発見されている。また、1994年に泥棒がオスロの国立美術館の窓を壊して侵入し別作品の「叫び」を盗んだという。その美術館の壊された窓の写真が目次の直ぐ後に載っていたのだ。こちらも数ヵ月後に幸にも発見されたと記されている。実物を見たことのある作品が1点でも載っていると、やはり身近に感じるものだ。

 序文を読むと、盗難美術品登録協会には「最近約17万件が登録されているが、盗品の発見は1万1000件につき1点まで減少してきている。減少の理由のひとつは、競売会社自体がその手順を強化したことである。しかしさらに重要な理由は、出所の怪しい作品を持っている人々が、データベース調査が行われそうなところで盗品を売る危険を冒すのをためらうようになったことだろう」と書かれている。データベースが充実すると、盗品発見のチャンスが増える一方で、美術品が闇に深く潜むといういたちごっこがありそうだ。「盗品が発見されたとき、関わった美術商が質の高い作品をその本当の価値以下の値段で買っていたことがいつも明らかになる」という。「盗まれた美術品がお金を産み出すことがある」限り、美術品窃盗はこの世から無くならないだろう。また、「発見された作品すべてのうち、約半数が盗まれた国ではない場所で発見されている」という事実は、この分野の窃盗は、地球規模で闇のネットワークができていることを物語る。世界に散在する美術愛好家のあるいは美術投機を目論む、邪な大金持ちたちが世界に一枚、一つしかない美術品を専有したいという需要を示す限り、美術品窃盗は続く。

 本書でとくに興味深いのはその異なる3つの切り口である。第1は、「戦時下の窃盗」(第2章)という歴史的事実の側面だ。昔から戦争の勝利者側が美術品を戦利品とみなして盗みつづけてきた歴史がある。この章では、ナポレオン、ヒトラー、スターリンの事例を採りあげ、とくにナチス・ドイツがヒトラーの考えのもとで行った美術品略奪・窃盗の顚末を詳細に述べている。そしてその機会を私的に悪用した取り巻きの人々についても明らかにしている。
 「2003年にアメリカ博物館協会は、1932年から1945年の間に略奪された約150万点の美術品のうち、10万点以上がまだ見つかっていないと推定している。世界中で正当な所有者の多くが、いまも報われることなく毎日亡くなっている」(p68)と記す。

 第2は、美術品窃盗の非凡な事例について、その手口や経緯がさまざまに紹介されていることだ(第3章)。冒頭に泥棒映画「トーマス・クラウン・アフェアー」を紹介しながら、映画と現実の事例を部分的に対比していることがまずおもしろい。ここにはこんな泥棒たちが登場する。銀行家になりすましたアダム・ワース。美術を所有するより法を破ることにスリルを感じた美術品の窃盗マニアであるステファン・ブライトウィーザー。「モナ・リザ」を盗んだヴィンチェンツォ・ペルージャ。スタンガンを使い稀覯本を盗んだウォルター・C・リプカ。自分の所有する絵を盗み保険金詐欺を働いた眼科医スティーヴン・コッパーマン。実在しないトーマス・オルコック・コレクションを捏造したトケレイ・パリー。常軌を逸した政治的動機により窃盗したローズ・ダクテールと共犯者たち。ダブリンの犯罪報道で「将軍」というあだ名をつけられたマーティン・カーヒル。本物の審美眼を持ち、美術品泥棒でキャリアを築いたマイルズ・コナー・ジュニア。
 実に様々な手口、動機である。著者は、「私たちは悪党から英雄を作り続けている。テレビは美術品泥棒の正典として最も恥知らずな強盗を再現する実話シリーズを作っている。ハリウッドは息をのむような泥棒を粗製乱造し続けている」と批判している。

 第3は、行方不明の美術品を探す立場の人々からのアプローチである(第4章)。やはりこの切り口は欠かせない。ここには、ロンドン警視庁の美術・古美術課の前主任ディック・エリス、FBIの首席美術犯罪捜査官ロバート・ウィットマン、スェーデンの捜査官・トーマス・ヨハンソン警部、ロンドン警視庁前捜査官チャーリー・ヒル、ロサンゼルスの地方警察隊で美術犯罪担当をするドン・フライシク。それぞれが取り扱った美術犯罪解決の実話が紹介されている。
 「FBIが集めた統計によると、美術品強盗の80パーセント以上が内部の犯行である」(p128)という。「日常的に美術品と密に接しているということは、それだけ誘惑に満ちている」(p128)ということなのだろう。そこに犯罪への機会があるのだ。自己を正当化できる理由と、何らかの強力なプレッシャーがあれば、「不正のトライアングル」の条件がこの領域にもそろうことになる。

 最終章は、美術盗難防止策に触れられている。美術館で防止策が強固になればなるほど、逆に本物の美術を目の前で鑑賞するのにはバリアーになっていく。これは、ある意味、鑑賞者が真の芸術鑑賞から疎外されることになっていく。
 金属探知機とX線装置、最先端技術のチケット読み取り装置、一方通行の監視扉、壁から約20cmはなれたところに設置された防弾ガラスによる保護・・・ムンク美術館はそこまで防止対策が強化されたという。
 美術館での美術鑑賞が疎外され、こころの安らぎを得にくくなれば、悲しいことだ。
 美術品窃盗について、世界各国の法規制にばらつきがあり、保護の基準もバラバラであることから、その隙間が世界規模での美術犯罪の温床になっているようだ。たとえば、盗まれた美術品の新たな所有者がその権利を主張するのに、スイスは5年、フランスは3年、日本では2年経過すればよいとか。なんとイタリアでは、善意の購入者は自動的に所有権を獲得するという。「英国の法廷では、財産の譲渡が起こった国ではその国の法律が適用されるという考え方を支持している。そのため、盗まれた美術品は売却するためにたいていイタリアへ送られ、それから元の国に送り返されるのである」と本書は記している。グロールな視点でみれば、法律はザル同様なのだ。美術品の世界で、その抜け道を悪用する輩が絶えないのは、美術品が金を作り出すからなのだろう。場合によっては、マネーロンダリングの手段になっているのかもしれない。

 美術裏面史の闇は深い。
 何はともあれ、行方不明になり世界のどこかで秘蔵されている名画の数々を図版という形ででも本書で見られることが、美術愛好家には魅力があるのではないだろうか。
 「はじめに」の左ページには、1990年にボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館のオランダ室から盗まれ行方不明となった名画、フェルメールの「合奏」が載っている。


ご一読ありがとうございます。

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 本書に関連する語句を検索してみた。

THE ART LOSS REGISTER (盗難美術品登録協会のHP)
LAPD The Los Angeles Police Department
  美術品窃盗細目の特別サイトが設けられている。
   ここには盗まれた美術品の画像つきリスト(Stolen Art)や
実際の美術品盗難事例紹介(Actual Art Theft Cases)などのサイトがある。
FBIの HP   Art Theft のサイト 
 トップテンの美術犯罪という項目もあります。
INTERPOLのHP   Works of art のサイト
 最近盗まれた美術品 インターポールに報告されたもの
 
不可視光線 ← 可視光線:ウィキペディア

THE ART NEWSPAPER

彫刻の「モナ・リザ」;「サリエラ」(王室の塩入れ)について
Last Updated: Sunday, 22 January 2006, 12:02 GMT
Police find stolen £36m figurine  :BBC News

Cellini Salt Cellar :From Wikipedia, the free encyclopedia

Mona Lisa :From Wikipedia, the free encyclopedia
Historyの Theft and vandalism の項に、モナ・リザを盗み出した Vincenzo Peruggia のことも記されている。
Vincenzo Peruggia :From Wikipedia, the free encyclopedia

以下、検索中に見つけた記事
イタリアでモナ・リザの遺体発見 20.07.2012, 11:55
http://japanese.ruvr.ru/2012_07_20/itaria-mona-riza-no-itai-hakken/


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