遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『裏千家十一代 玄々斎の茶と時代』 愛蔵版淡交別冊  淡交社

2021-11-18 16:16:06 | レビュー
 フォローしているブログ友のかなり以前のブログ記事で本書を知った。千利休から三代宗旦までは多少学んだので、本書まで飛んでこちらを読んでみた。「変革の世に問う、茶の湯の真価」というサブタイトルに関心を抱いたことによる。本書は2020年11月に刊行されている。A4サイズの本。

 ブログ記事に掲載された本書のタイトルを画像で見るまでは玄々斎について知らなかった。そういう意味では関心を持って通読することができた。私にとって読後印象としてまず残ることが3点ある。
 1)玄々斎が幕末から明治へという時代の大変革期に生きた人であるということ。
「玄々斎と幕末明治の世相」というタイトルで、「玄々斎に関連したできごと」と「その他、茶道史や日本史・世界史の主なできごと」を対比年表の形でまとめられている。当時の重要トピックも画像付きで併載されていて便利である。
 玄々斎精中は、1810年(文化7)に三河国奥殿藩主・松平乗友の子として生まれた。1877年(明治10)7月11日に没す。享年68歳。この明治10年には西南戦争が起こり、西郷隆盛が没している。

 2)玄々斎は裏千家の婿養子になって、宗家を継承した人だったこと。
  1826年(文化9)17歳の時に、裏千家十代認得斎(1770~1826)の長女・萬地の婿養子となって、裏千家十一代を継承した。つまり、玄々斎は激変し始める時代に、裏千家の存続という点で重要な役割を担い、近代へのバトンタッチを果たした人物だったこと。
 「玄々斎の軌跡」(筒井絃一・茶道資料館顧問)によると、玄々斎は幼名を千代松と称した。父・松平乗友は1790年31歳で致仕し、乗友の末弟乗尹を養子にして封を譲った。父の乗友は隠居後数寄の道で活躍を始め、裏千家十代認得斎と交遊を持つ。松平家一統が茶道に親しむ基を培ったそうだ。玄々斎の長兄乗羡が1819年に二条城在番を勤め、在番小屋の庭窯で作陶を楽しんでいた頃に、乗羡と認得斎は昵懇な関係にあったという。玄々斎が裏千家の婿養子となる機縁があったのだろう。
 「玄々斎が裏千家十一代を継承したあと、最初にしてかつ最大の行事は天保11年(1840)利休居士250年忌の法要と88回の茶会である」(筒井,p30)という。この年忌の追善茶会の為に、玄々斎は裏千家の大普請を行い、改造と増築を続けたそうだ。「玄々斎は千利休以来の禁中献茶も復興した」(千玄室、p4)。一方で、大名家との交流も深めているという。

 3)立礼式の茶法の創造
  私が一番印象に残るのはこの立礼式を考案したのが玄々斎で、「立礼による点茶盤が初めて披露されたのは明治5年(1872)の第1回京都博覧会の時であった」(筒井、p40)という点である。なぜ、印象深いかというと、祇園の甲部歌舞練場で開催される「都をどり」を十数年毎年グループで見に出かけた時期があった。舞台の鑑賞前に舞妓さんが茶を点てる様子を見ながら、来場者は茶をいただくことになる。それが立礼式の茶法だということを後で知った。だが、それがいつ頃から誰が考案したのかは知らなかった。茶道の点前等は門外漢なので、特にそれについて調べてみる気もなかった。本書で玄々斎による考案ということとその経緯を知ることになった。玄々斎筆「立礼之図記」(今日庵蔵)の写真も載っていて興味深い。

 本書の構成と覚書を兼ねその一部をご紹介しておこう。
「玄々斎の『遺産』」 千 玄室(裏千家前家元)
 裏千家10代認得斎柏叟には跡継ぎと目された男子がいたがいずれも夭折したそうだ。千代松(玄々斎)は18歳違いの次兄・渡辺又日庵矩綱(1792~1871)のもとで幼児の頃から鍛えられ色々な教養を身につけていたという。それが婿養子となり11代を継承する基盤になったようだ。

「幕末・維新と茶の湯」 熊倉功(MIHO MUSEUM 館長)
 玄々斎は尊皇意識のもとに茶の湯の新しい姿を模索し、一方尊皇攘夷派を徹底的に弾圧した徳川幕府の大老で彦根藩主の井伊直弼は一期一会の茶を目指していた。「茶の湯に対する態度はその根拠を厳しい緊張感と精神性に求めようとした点では、案外近いところにあったのではないか。」(p7)という著者の指摘は興味深い。
 本論考で著者は、利休以降の茶の湯における二大イノベーションの一つが七事式の発明で、もう一つが立礼式の発明であるという。
 加えて、おもしろい説明がある。明治政府は「明治5年、さまざまの職種に鑑札制度を設け、茶の家元に対しても当時、『遊芸稼ぎ人』というような認識の鑑札を与えようとしたのである。当然、三千家の家元はこれに反撥し、玄々斎の筆になる『茶道の源意』と通称される口上書を提出した。」(p8)という。一方、筒井は「芸能鑑札」という言葉で同主旨のことを記している。(p42)

「玄々斎と幕末明治の世相」

「玄々斎の軌跡」 筒井絃一(茶道資料館顧問)
 玄々斎は裏千家の婿養子となり11代を継承したが、萬地との間には子宝に恵まれず、萬地は36歳で没した。寡婦となっていた認得斎の次女照を後妻とした。37歳の時(1846)に男子が誕生。1850年には長女猶鹿が誕生する。だが、期待をかけていた一人息子・玄室(一如斎)は1862年17歳で他界したという。時に玄々斎53歳。1863年3月に16歳の実の甥(又日庵の末子・渡辺織衛政綱)を養子縁組で迎えて、剃髪させ宗淳と名乗らせた。後に、徹玄斎(宗淳)と改名するが、又日庵に戻ってしまった。再び後嗣を失った玄々斎は長女猶鹿に婿養子を迎える。京都の名家であり豪商の角倉多宮玄祐の長男兎毛である。兎毛は後に12代を継承し又妙斎直叟玄室と称する。又妙斎と猶鹿の間に、長男駒吉が誕生する。後の13代圓能斎となる。
 玄々斎が裏千家を次代に継承させる上で紆余曲折と相当の尽力があったようである。
 22ページでまとめられた玄々斎の小伝であり読みやすい。玄々斎という人物を知るのに有益である。

 コラムとして3つの寄稿文が掲載されている。「徳川斉荘と尾張の茶の湯」神谷宗□(茶道家・人間環境大学名誉教授。名前の一文字変換不可)、「幕末明治の禅宗」竹貫元勝(花園大学名誉教授・同大学院客員教授)、「幕末明治の京都・工芸事情」上村友子(茶道資料館学芸員)である。

「玄々斎と茶道具」 構成・文 茶道資料館
 「玄々斎の茶道具と書 織り込まれた時代と精神」橘倫子(茶道資料館学芸課長)、「玄々斎と職方 数寄の交流」伊住禮次朗(茶道資料館副館長)の二論考で構成されている。茶道具や書の画像が多く掲載されていて、玄々斎の好みがイメージしやすくなっていて、興味深い。

「幕末明治期の茶室建築と玄々斎の茶室」 桐浴邦夫(建築史家・京都建築専門学校福校長)
 著者は玄々斎の茶室に「従来の千家の茶室とは違ったものが見えてくる」と冒頭で述べる。千家の「わびすき」の茶室に対し小堀遠州の「きれいさび」という武家茶道の茶室建築の違いにふれた後、江戸後期に松平不昧が「わびすき」と「きれいさび」の境界線を曖昧にしたという。玄々斎は「周囲の自然との関係を深くした茶の湯空間、そして技巧的な意匠」(p80)を利休250年忌に合わせた裏千家の増築に応用して行ったとする。
 「玄々斎は、従来の茶室の概念にとらわれない自由な造形を模索していた」「裏千家の家元として『わびすき』は基本においたであろうが、『きれいさび』の風を時に積極的に取り入れ、それらが発展的に統合された形式を展開する」(p80)と、玄々斎が手掛けた茶室の事例を挙げて論じている。、
 事例に取り上げられているのは、「捻駕籠の席」(名古屋・昭和美術館)、「咄々斎」(裏千家)、「抛筌斎」(裏千家)、「水月亭」(岐阜・伊奈波神社)、「任有」(京都・圓光寺)、名古屋・浄願寺の茶室、「孤葊」(名古屋・神谷家)である。
 時代風潮の転換が意識されていたのであろうか。

「各地に広がる玄々斎の交友」 八尾嘉男(京都芸術大学非常勤講師)
 玄々斎の交友について、それぞれのプロフィールを略記するとともに、玄々斎とどのような関係にあったかが具体的に論じられている。京都、伊勢、江戸、金沢、越後、大坂、岡山鳥取、石見大田、伊予松山、長崎と、その交流地域の広がりがうかがえる。

「三人の本草学者と茶の湯-渡辺又日庵・飯沼慾斎・伊藤圭介」横内茂(植物文化史研究家)
 上記の通り、又日庵は玄々斎の実兄である。尾張本草学派のこの三人の学者たちのネットワーク形成の一要素に茶の湯があった点を論じている。

「伝統文化がむかえた明治時代」 野村朋弘(京都芸術大学准教授)
 茶の湯が時代の荒波を乗り越えていくのに、玄々斎が大きく寄与した点が本書を通じてよくわかる。ここでは、同様に伝統文化である歌舞伎と能楽がどのようにこの転換期をサバイバルしてきたかについて論じられている。伝統文化の担い手が必死に時代の荒波を乗り越えるための活路を模索してきた一端がわかる。

 時代が大きく転換していく時期に、伝統文化を継承し、その伝統文化に新たな息吹を与えその維持存続を担うためには工夫と変化、変革が重要な要因になることを感じさせる一書でもある。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、関心事項を少しネット検索してみた。一覧にしておきたい。
千宗室 (11代) :ウィキペディア 
千宗室(11代):「コトバンク」
裏千家歴代  :「裏千家今日庵」
立礼のお点前【裏千家 茶道】  YouTube
茶道裏千家 淡交会 立礼席 東京第五東支部学校茶道 YouTube
茶道 表千家 立礼席 第15回銀茶会  YouTube
捻駕籠の席  :「昭和美術館」
(動)伝統の時間~水月亭見学 :「岐阜聖徳学園大学附属小学校」
咄々斎  今日庵 茶室・茶庭 :「裏千家今日庵」
抛筌斎  今日庵 茶室・茶庭 :「裏千家今日庵」
神谷家住宅孤葊  :「文化遺産オンライン」
登録有形文化財 神谷家住宅茶室(孤葊・柏露軒・腰掛待合・中潜門):「保存情報第139回」
松平不昧公  :「松江の茶の湯」
松平治郷   :ウィキペディア
渡辺規綱   :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


これまでに、茶の世界に関連した本を断続的に読み継いできています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『裏千家今日庵歴代 第三巻 元伯宗旦』 千宗室 監修  淡交社
茶の世界 読後印象記一覧   2021.10.14 時点 24册


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