遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『落花』 澤田瞳子  中央公論新社

2019-08-11 22:38:47 | レビュー
 主人公は仁和寺の僧・寬朝である。先帝醍醐天皇の同母弟であり、若き頃より政の中枢に身を置く敦実親王の第一皇子として、寬朝は生まれた。だがその出生の数寄さ故に父から忌み嫌われて、幼少の時点で、僧になるべしと仁和寺に放り込まれる。仁和寺の開基は寛平法皇(宇多天皇)であり、寬朝は法皇の孫にあたる。父敦実親王は、催馬楽や朗詠、様々な楽器の演奏に長け、当代一の楽者の名を恣にしていた。敦実は寬朝に風当たりの強い姿勢を取った。その結果、寬朝は仁和寺に入った後、父敦実親王が得意とする楽器は次第に手元から遠ざけていく。そして父が自ら関わりを持てない梵唄(ぼんばい:声明)を誦するという領域に寬朝は深く入って行く。敦実親王が如何に楽に通じていても、仏事である梵唄だけは学べない領域だということをわかればこその精進だった。
 梵唄とは、梵語や漢語で書かれた経典を節を付けて歌うことである。仏法とともに日本に伝えられた格式ある読誦法である。現在では寺ごとに異なる節が伝承され続けていて、歌でありながら歌にあらざる音楽と言える。
 寬朝は父の入り込めない梵唄の領域で、父に秀でたいという思いを強めていく。そこには父敦実を見返したいという切なる意志がある。

 寬朝は幼き頃、楽人・豊原是緒の「至誠の声」を一度だけ聴く機会があり、その声に感動した記憶があった。梵唄の領域で精進する寬朝は、豊原是緒に「至誠の声」の教えを受けたいという目標を立てる。だが、その豊原是緒はなぜか突然に職を辞し坂東の地に出奔してしまっていた。噂では今は常陸国に住むという。

 寬朝は、豊原是緒から「至誠の声」の伝授を受けるために京から坂東の地に旅立ちたいという希望を述べる。当時、東国の坂東に行くのは生きて帰ることができるかどうか保証のない旅であった。京から忽然と去って行った豊原是緒が常陸国のどこに居るのかも定かでなく、是緒の所在を探すことから始まる旅となる。仁和寺の衆僧はそれを愚行とみなし、ただあきれるだけ。しかし、仁和寺から旅立つことの許しは出た。いわば、寬朝の自己責任による行旅である。寺は坂東の入口となる武蔵国の国庁に着くまでは随行に十数人の人々を付けてくれた。
 このストーリーは、寬朝の境遇・背景をまず明らかにし、この坂東の地への行旅を描くところから始まって行く。坂東の地に着くと、父・敦実親王から遣わされていた千歳という下人だけがこの後も随行すると言い、他の随行した人々は京に戻っていく。

 寬朝は武蔵国の国衙の客館にまず身を寄せた。だが、そこで思わぬ事態が発生する。国庁の倉に納められた調布を狙って群盗が襲撃してきたのだ。その頭は異羽丸という。だが、京から戻って来た旅の途中だという平将門が娘のうそとともにこの客館に立ち寄るという偶然が重なった。さらに、娘のうその希望で、将門が香取から呼び寄せた傀儡女が付き従っていた。将門は異羽丸を見つけて、襲撃を思いとどまらせることになる。
 武蔵国の国衙の客館でのこの一群の人々との偶然の出会いが、その後のストーリーを織りなして行く。

 寬朝が平将門に偶然に出会ったことが、後に将門との交流を深める契機となる。
 香取の傀儡女の一人あこやが、客館でその後、琵琶を奏でる。その琵琶をあこやは「無明」と称した。あこやが「朝には落花を踏んで、相伴って出づ」と朗詠する。自室に戻ろうとする寬朝がその朗詠を耳にする。それは朗詠「落花」であり、寬朝がたった一度かつて耳にした豊原是緒の朗詠したものでもあった。
 強盗の頭、異羽丸とも寬朝は後に再会する縁ができる。
 将門一行と出会い、一時宴席をともにしたことで、千歳の挙動に気づいた寬朝は、後で千歳の随行意図を白状させる。千歳は是緒が所蔵する琵琶「有明」を譲ってもらいたいという願望を持っていたのだ。千歳は琵琶「有明」を入手し、京の楽人になる望を抱いていた。

 また、寬朝は武蔵国を横切り、下房国衙に宿を取ったところで、藤原秀郷と出会う。秀郷は下総国衙から下野に戻るところだった。常陸国衙まで寬朝を案内する。この秀郷は、後に将門の乱の折には、将門を討伐する側の一人になる。
 つまり、寬朝は坂東の地に入りわずかの期間に、このストーリーの主な登場人物、かなりの数の人々と奇しき縁で面識ができていくことになる。

 このストーリーでは、坂東の人々にとって、寬朝が現在の京の都で政を行っている皇族の一員であり、僧として出家しているということが最も特異な点となって作用する。国衙の役人、平将門の側の人々、反将門側の人々、それらいずれからも中立的で、不可侵な存在、傷付けることがあってはならない存在とみられていく。京の政権の影響が及びがたい坂東において、彼らの最中で、朝廷側の視点からも客観的に思考できる寬朝の視点が、坂東での動きを客観的に捉えていく。坂東の有り様と平将門の姿が寬朝の目を通して、浮かび上がっていく。 

 このストーリーには大きく捉えると3つのテーマが織り込まれていると思う。そして、そのテーマの中には、またいくつかのサブテーマが組み込まれている。
1)寬朝が坂東の地で豊原是緒から「至誠の声」を伝授されることができるか。
  ここには以下のサブテーマがある。以下同様である。
  (1) 寬朝が求める「至誠の声」とは何なのか。
  (2)豊原是緒が楽人の名声を捨てて坂東に出奔したのはなぜか。是緒の生き様。
   (3)寬朝が坂東の地に居る間、どのような生き様をするのか。

2)平将門はどのように生き、平将門の乱は何だったのか。
  (1)寬朝の目に映じ、寬朝が捉えた平将門像。
  (2)平将門の信条・思いと生き様。
  (3)平将門の周辺に群がってきた人々、対立した人々の思惑あるいは信条と行動。

3)千歳が探し求める琵琶「有明」は入手できるのか。
  (1) 琵琶「有明」の存在価値と変転。
  (2)千歳の生き様。
  (3)琵琶「有明」を巡る人間模様。

 この小説のタイトル「落花」は上記で既に触れている。
 朝(あした)には落花を踏んで 相伴(あいともな)って出(い)
 暮(ゆうべ)には飛鳥(ひちょう)に随(したが)って 一時(いちじ)に帰る
という白居易の七言律詩に由来する。友人と過ごす春日のさまを謳った詩である。
 寬朝は豊原是緒の朗詠に「至誠の声」を感じ感動したことがこのストーリーの根底にあり、「落花」は寬朝が友人と感じた平将門の生き様の終焉をシンボライズする。それはまた、豊原是緒の坂東での生き様とその死につながっていく。「落花」は傀儡女あこやと如意の理不尽な死にも重ねられて行く。

 この小説は「至誠の声」の意味するものが寬朝の中で変化発展していくプロセスを描く。一方、寬朝との関わりを介して平将門の生き様の爽やかさを描き出す。そこが読ませどころとなる。また興味深さの増すところでもある。
 また、平将門の乱の見方を広げるトリガーにもなり、歴史を見る立ち位置を考える材料にもなると思う。さらに、香取を領域とした傀儡女集団の存在を知る機会にもなった。そして、琵琶法師蝉丸の由来にさらりとリンクしていくところがおもろい。

 尚、成田山新勝寺のホームページを見ると、「成田山のはじまり(開山縁起)」に寬朝大僧正が弘法大師空海の彫った不動明王像を棒持して京の都を出発し、成田の地で護摩を焚いて戦乱が鎮まるよう祈願したとしています。その後、寬朝大僧正は帰京しますが、不動明王像はこの地から動こうとしなかったので、成田山新勝寺が開山されたという縁起です。この縁起が史実に近いとすると、この小説では、寬朝という実在僧に著者の想像力を広げて巧みにフィクションを加え、新たな寬朝像を紡ぎ出したと言えます。縁起に記された寬朝大僧正よりも、この『落花』で創造された苦悩する寬朝像の方がその立ち居位置として私にははるかに魅力的です。

ご一読いただき、ありがとうございます。

本書に関連して、関心の波紋を広げてみた。一覧にしておきたい。
寬朝 :「佛光大辞典」
寛朝 :ウィキペディア
京都・大原 勝林院の声明  :YouTube
京都 大原 宝泉院 天台声明 四智梵語 :YouTube
黄檗宗 梵唄(ぼんばい)  :YouTube
魂の声楽、声明  :YouTube
長谷寺に伝わる節のついたお経、声明(しょうみょう):YouTube
善照寺住職の「真言宗豊山派 檀信徒のおつとめ」 :YouTube
大本山成田山 ホームページ  
  成田山のはじまり(開山縁起)
平将門はなぜ日本史の中で「特異な存在」に見えるのか :「現代新書」
平将門とは?平将門の乱や子孫、首塚や呪いについて解説! :「歴史人」
「平将門」の歴史。天皇になろうとして失敗するも、後世に残した影響とは?
    :「wondertrip」

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徒然に読んできた著者の作品の中で印象記を以下のものについて書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『龍華記』 KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
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