遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『マインド』 今野 敏  中央公論新社

2015-12-28 09:33:56 | レビュー
 オウム真理教のあの忌まわしい事件が起こった当時、マインドコントロールという言葉が大きくメディアに取り上げられていたと記憶する。この作品のタイトル「マインド」はこの言葉と関わりを持っている。
 幾重にも扉で閉ざされた人の心(マインド)の深層心理が解き放たれるという状況において、無自覚のうちに発現した結果がいかに恐ろしいかを感じさせる作品だというのがまず第一の読後印象である。
 
 警視庁捜査一課・碓氷(うすい)弘一警部補が、捜査過程のある段階から警察庁の心理調査官・藤森紗英(さえ)の参加により、かつての連続通り魔事件と同様に、コンビを組み、事件の解明にあたることになる。殺人事件の捜査本部とは一線を画して、田端課長の指示による特命部隊として、人間の心の奥底に蠢くものと格闘していくという、興味深い設定になっているところが、おもしろい。少し異色な新機軸の作品になっている。

 一人の警察官が自殺したという事実を碓氷は朝のニュースで知る。特別な感情を抱くことなく登庁する。梨田洋太郎巡査部長から、都内で昨日もう一件ほぼ同時刻に中学生の自殺があったことが新聞に載っていたと聞く。また、碓氷の第5係は当番明けの翌日だったのだが、高木警部補から昨日捜査一課全体としては、2件の殺人事件が発生していたということを伝え聞くことになる。新宿署の管轄では、不動産会社の管理職・51歳の男性が殺され、その遺体が会社の契約駐車場で発見された。一方麻布署の管轄では、私立高校の男性教員38歳が自宅近くの公園で遺体として発見されたのだという。

 登庁した日の夕刻、鈴木係長を通じて、田端課長が碓氷たちに直接話をしたいという旨を聞く。そこで、第5係は殺人事件の捜査本部が立つ新宿署に出向いていく。

 田端課長が、捜査本部とは別の会議室を準備させ、鈴木係長以下第5係の碓氷たちに語ったのは、課長の心に引っかかったこだわりだった。課長自身がどう説明してよいか迷っているという。都内で発生した2件の自殺と2件の殺人事件が、どの事案も死亡推定時刻や目撃情報から、昨夜の午後11時に発生したことがほぼ明らかになっているというのだ。一つ一つの事案の捜査はそう難しいものではない。自殺も疑う余地がなさそうなのだという。課長は同じ時刻に都内で4人の人間が死んだということにひっかかかりを感じるという。このあたりが、長年の刑事経験が生み出す勘という形で描かれる。碓氷も同様の感覚を第5係のメンバーの話から感じ始めていたのだ。このあたりが、この小説のイントロとなる。

 そこで、課長は捜査本部には属さない別働隊としてこれら4つの事案に、何か共通点はないか調べて欲しいと指示する。いわば、課長の特命班として捜査活動をする事となる。こういう設定の作品はあまり記憶が無い。
 第5係のメンバーは、手分けしてそれぞれの事案の詳細情報を集めるという行動から始めて行くことになる。本部の中心として碓氷が残り、残りの8名が2名ずつで4班に分かれ、各事案を担当し、調べ始める。殺人事件の捜査本部や所轄には、第5係の特命行動での情報収集に対する協力を課長が事前に根回ししておくということになる。このあたりも、警察の組織体制を感じさせる。まあ、どの世界にもスムーズに進めるための根回しが必要というところか。

 この小説では、ほぼ同一時刻に発生した事案という唯一の共通点から、何か別に重要な共通点が隠されていないかという各班の捜査に進展する。これを契機として、詳細情報が蓄積されていくというプロセスの展開が描写されていく。そして、さらに、田端課長が殺人事件の被疑者の供述が腑に落ちないことから、心理調査官・藤森紗英に連絡してみたところ、思いもよらぬ事件が他にも発生していたのだ。都内で、ほぼ同時刻に強姦未遂が2件、盗撮事件が1件発生していたのだ。5月6日の午後11時に起きた事案が合計7件の及んでいた。そこで、藤森紗英が特命班に参加するという次第。
 
 情報が集積された結果、7件の事案の関係者それぞれが『アクア・メンタルクリニック』に行っていたという新たな共通点が浮上して来る。『アクア・メンタルクリニック』がどういう形で関与しているのか、碓氷と藤森紗英が直接話を聞きに行くことになる。
 状況認識とその分析が二転三転しながら、事実関係が徐々に明らかになって行く。

 この小説の興味深いところは、独立して発生した事件(事案)がそれぞれは物的証拠や目撃情報などから比較的解明しやすいものであるにもかかわらず、事案を発生させた真因が個別事案からは捉えがたい部分に潜んでいたという設定である。一見、一件落着になる事件の真相が別のところにあったというところに、ある意味で深刻な事態の提示がなされている作品だ。物理的証拠からは見通せない事案の存在。こんなことが発生するとすれば、実に由々しきことではないか。

 マインドコントロールに起因して事件が発生した場合、その事件の実行犯は法的にはどう扱われるのか? これも犯罪の起訴、求刑と裁判という観点に立てば、判断論拠をどう押さえていくのかと言う点で、関心の高まるところである。
 人の心をコントロールするのは立派な犯罪だろう。しかし、マインドコントロールを行った側の存在の立証、その被疑者を起訴するには、どういう条件が必要となるのか? 
 マインドという目に見えない局面を本当に操ることが可能なのか・・・・。それを立証できるのか? この接点をテーマとしたこの小説の特異さがある。

 マインドコントロールはどのような方法でなされたのか? それは本書を開いて読み進めてみてほしい。
 碓氷自身がマインドコントロールの対象とされてしまい、事後的にそれに気づいた藤森紗英が、碓氷にそれを気づかせ、コントロール除去を施すのだから、おもしろい展開が組み込まれている。
 心理専門家同士が対峙するという設定がストーリー展開の中に組み込まれていて、人間の心理構造についての知識情報が副産物となっていて興味深い部分もある。

 マインドコントロールの下にあった事件の犯人が逮捕されたとして、それら犯人を起訴するに当たって、どういう位置づけとなるのか? この小説の最終段階で、碓氷ら刑事達が論議する会話に登場するキーワードを羅列してみる。こういう犯罪関連用語がどういう文脈で使われるかということをこの小説で認識するのもまた、興味深い副産物だと思う。 こんな用語が出てくる。自殺教唆、殺人の間接正犯、殺人の教唆犯、心神喪失、心神耗弱、実行犯、情状酌量の余地などである。

 普段普通に生活している精神的に正常な健常者の心の奥深くに潜む異常性、狂気と願望。マインドコントロールを無意識のうちに受け、己の心のタガが解き放されたとしたら・・・・・実に恐ろしい状況設定である。興味津々と読み進めて行く中で、ストーリーに紆余曲折があっておもしろい。碓氷と藤森紗英、いいコンビである。心理調査官として自信を深め、しかし謙虚さを失わない紗英、一段成長した紗英がこの小説では描かれていて楽しめる。

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この作品に出てくる用語など関連事項と本書とは直接関係はないが、関心が波及した事項も含めて、ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
Q. 心神喪失又は心神耗弱とは何ですか。 裁判手続 刑事事件Q&A :「裁判所」
心神喪失  :「コトバンク」
責任能力  :ウィキペディア
マインドコントロール  :ウィキペディア

マインドコントロールは簡単でした無意識に人を操る8つの方法 :「TTHE CHANGE」
あなたも注意! 「マインド・コントロール」や「洗脳」の行われ方 :「スピリィ」
マインドコントロールを解く方法  :「レジデント初期研修用資料」

カウンセリング  :ウィキペディア
臨床心理学    :ウィキペディア
日本心理臨床学会 ホームページ
日本臨床心理学会 ホームページ
深層心理学  :ウィキペディア
自我  :「コトバンク」
精神分析学って、なに?  :「カウンセリングルームアクト」
イド、自我、超自我  :「心理学基礎用語」

催眠の表と裏
催眠の「本質」を理解すると、何故だか人生はあなたの思い通りに
癖や仕草でわかる深層心理・性格  :「NAVERまとめ」
おもしろ画像心理テスト集   :「NAVERまとめ」

マインド・コントロールと間接正犯(前編)  :「ゆるふわ刑法ブログ」
マインド・コントロールと間接正犯(後編)  :「ゆるふわ刑法ブログ」

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