遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『黒髪と美女の日本史』 平松隆円  水曜社

2013-08-29 13:34:24 | レビュー
 黒髪が大和撫子のシンボル、長い黒髪が美女を象徴するというイメージは、はやかなり古い時代の話のようになってしまった。
 著者は、「はじめに」で、明確に本書の意図を記している。「髪について知ることは、それぞれの文化や社会の変化を描き出すことにもつながる」と。そして、「髪に関する現象には、髪に対する感情の段階、社会と文化に規定される個人の段階、社会と文化の段階がある。その構造を踏まえながら、髪にはひとびとの身分や生き方が如実に反映されてきたという歴史から社会の変遷を、またひとびとのもつ無意識の戦略について論じることで、髪からひとと社会の関係を読み取ってみたい」と書いている。

 著者は黒髪に対して古代から日本人の価値観、美意識がどうだったのかについて、文献に現れた章句、表現を縦横に引用しながら論じて行く。黒髪から眺めた日本の歴史というユニークな視点がおもしろい。なるほどと、目から鱗という局面が多々出てくる。

 第1章が「ポンパ巻き貝ハーフアップ、くりくりエリ巻きトカゲ、リゾートすだれアレンジ・・・・」などという、あれっと思う髪形名称の羅列から書き出されているので、流行音痴の私は一瞬戸惑った。章見出しが「『盛り髪』の流行」なのだ。著者は、この巻き髪、巻きから盛りへの流行について、「もっとかわいくなりたいと、髪を盛る。しかしこれは、今にはじまったことではない」と断言して章を閉じる。そして、読者をぐいと歴史的視点に引きずり込む。

 第2章の見出しは「昔は、人生の節目に髪を削いだ」である。そして、昔から結髪は自然に行われていたし、「歴史的に女性は、髪をできるだけ長く、そして結ばないでいた。髪を結うことが美しいとは考えられていなかったからだ」と論を進めていく。
 髪という視点で古典文献に着目することで、ここまで「髪」についてもさりげなく触れられ、論じられてきていたのかと、思いを新たにする次第。第2章以下、著者は、紫式部日記、源氏物語、枕草子、古今和歌集、好色一代男、「群書類從」所載の文献、竹取物語、万葉集、伊勢物語などなど、それら文献の時代をひょいひょいと行き交いながら、論じていく。今列挙した文献は、第2章で引用されている箇所のソース。それ以降の章には、初めて目にする文献が多数出てくる。
 ある観点に立ち、文献を渉猟することがどういう効果を生み出すか、また論理展開の納得性を強化するうえで文献引用の有益さがわかってくる。なるほど・・・・である。

 本書の章立てをまず書いておこう。
 第 3章 長い黒髪は美人の条件
 第 4章 髪の長さは身分に関わる
 第 5章 武家社会で認められた結髪
 第 6章 結髪が美の対象へ
 第 7章 女髪結の登場と髷の多様化
 第 8章 より美しく、華やかに
 第 9章 結髪が害となる
 第10章 削ぐことの自由
 第11章 盛り髪も髷も、心は同じ

 第2章では、髪にまつわる様々な儀式が通過儀礼としてあったことがわかる。髪置、髪削ぎ、髪上げ(初笄)、そして、「髪を敷いて寝る」ことの意味など。

 第3章では、平安文学の表現では、美しい髪の長さは6尺以上だったことをまず知った。顔そのものの美形さよりも、髪の長さが美人を規定していたようだ。そういえば、平安期の絵巻物などでは、女性の顔形はあまり描かれず、せいぜい斜めからの横顔、後髪姿が大半だ。
 一方、物理的には「一般的に、髪の長さは1日平均0.4ミリ。1年で約10センチ。髪の寿命は3年から5年といわれる。伸びても、50センチにも満たない」(p26)そうだ。
 艶やかな黒髪が美人の条件、一方で、黒くない髪、短い髪は不美人の象徴だったのだ。如何に時代背景が髪に対する審美眼と結びついているかがよくわかる。時代が変われば、髪に対する価値観は変わる。平安時代視点でみれば、現代は「不美人」のオンパレードなのだ。われわれの意識が、「時代」という背景にどれだけ縛られていることか・・・・・それを理解するうえでも、髪の歴史を通覧してみる意義があるのではないだろうか。本書は、おもしろくて楽しい読み物にもなっている。文献的裏付けがあり、図版もさまざまに引用されていて、参考になる。
 この章には、美しい髪を手に入れるためには、どんなことでもしたという人びとの行動を文献から発見してきている。いつの時代も人のこころは同じなんだ。努力のしかた、方向はことなるのだが、心理傾向は一緒ということか。

 第4章では、髪の長いことが、日常生活で何も自ら手を出さないですむ立場、身分の高さを示していたということだと説いている。清少納言が髪の短いことについて、ハッキリと断言しているそうな。「髪が短いことが醜いとするのと同時に、身分の低い女性の髪は短くしておかなければならないことを意味している」と著者は読み取っている。
 働く女性は髪が短いのだ。活動的であるには、やはりそれは合理的だもの。だけど、平安時代感覚では、身分が低いことの象徴でもある。
 
 第5章では、武家社会に時代が移る。合戦中心に時代が動いていけば、当然髪の処置が重要になる。結髪が認められるようになるのは、合理性の追求では必然か。
 「笄そのものは、もともとは頭を掻く物だった」という一文、その説明を読み、目から鱗でもあった。髪に関わる小道具の来歴などもみていくと、楽しくて興味がつきない。まさに蘊蓄話である。

 第6章以降から、興味深いあるいはおもしろいと感じた説明文をいくつか、ご紹介しよう。関心を抱かれたら、本書を手に取り、具体的に読み進めていただくとよい。引用箇所の理解促進のため、一部要約も付記しておこう。

 第6章から
*喜田川守貞による『守貞謾稿』には、天保期(1830年~1844年)の髪形として、未婚女性は島田髷、既婚女性は京や大坂では両輪髷、江戸では丸髷が正式とされていたとしるされている。 p71
  →付記:島田髷については、女歌舞伎役者の島田花吉説、東海道の嶋田宿からの連想説を紹介している。勝山髷は人名由来説が一般的だとか。人名由来の場合は、歌舞伎役者か遊女という共通点があるようだ。(p70-74)

*(出雲)阿国のはじめた歌舞伎も、煽情的な芸だった。 p75

 第7章から
*山東京山の『蜘蛛の糸巻』によると、明和期(1764年~1771年)に、山下金作という女形の歌舞伎役者が江戸深川に住んでいた。この女形の鬘付(かつらつけ)が、贔屓(ひいき)にしていた遊女の髪を役者のように結ってやった。その髪形が、あまりにも見事だったので、遊女の仲間も金銭を支払って、自分の髪も結わせた。それが繁盛したため、ついに鬘付をやめて髪結になったという。そして、この髪結の弟子に、甚吉という者がいて、さらに甚吉が女の弟子をとって遊女を結って回った。これが明和7(1770)年頃で、女髪結のはじまりとする。  p80

*文化10(1813)年に刊行された式亭三馬の滑稽本『浮世床』では、結髪の値段は32文となっている。この頃の下女の給金が日当50文だったといわれている。 p86
  →付記:徳川時代後期、最も安くて16文とある書にしるされているそうだ。(p87)

 第8章から
*討ち取られた首の髪を、櫛のみねでたたいたことから、現代においてもみねを髪にあてることは、忌み嫌われる。 p94

*うなじには、白粉が塗られた。その塗り方によって、二本足や三本足とよびわけられる。白粉によって、うなじの生え際が二本になっているものを、京や大坂では二本足とよび、江戸では一本足とよんだ。うなじの山形を、京や大坂では上から数え、江戸では下から数えたことが、数の違いとなった。  p100

*装飾品には、櫛、簪などがある。櫛は、髪を梳るための道具だ。それが、徳川時代中期以降、飾りとして用いられるようになる。 p100
  →付記:櫛は『古事記』にすでに記載があり、延喜式にその制作の記載があるとか。(p100)

 第9章から
*渡辺鼎は、野口英世の手を治した医師として有名で、石川暎作は記者でアダム・スミスの『国富論』の翻訳者として知られる。ともに福島県耶麻郡西会津町出身のふたりが婦人束髪会を結成し、女性の結髪に対する改良の提唱をはじめた。  p112
 →付記:従来の結髪法が、不便窮屈で苦痛、不潔汚穢で健康上有害、結髪代が高くかかり不経済と論じ、新しい束髪を提唱したという。『束髪案内』を出版したとか。(p112)
*明治4(1871)年、岩倉具視を特命全権大使とし、・・・総勢170名で構成された使節団が、アメリカやヨーロッパを歴訪する。・・・11月12日の出航のとき、岩倉具視ただひとりが、着物姿で髷を結っていた。岩倉具視は、髷は日本人の魂であると考え、落とすことを拒んでいたといわれている。 p120-121
 →付記:サンフランシスコで撮影された写真が掲載されている。中央で岩倉具視一人が和服・髷の姿である。木戸孝允、伊藤博文、大久保利通などが洋装・断髪の姿で一緒に写っている。その岩倉もシカゴに着いた頃に断髪したようだ。洋装・断髪の写真も載っている。その断髪の事情が記されていて、おもしろい。(p120-123)

 第11章から
*18世紀、フランス貴族の女性の髪は、前髪を高くし、飾りをつけて巨大化していた。マリー・アントワネットの髪結だったレオナール・オーティエは、新しい髪形を次々と考案した。 p152

*髪を大きく結うことができることと、経済的地位の高さは関連している。それは自らの手で結うのではなく、髪結の手に委ねる必要があるからだ。そして、他者よりも自分の方が注目されたい、かわいくなりたいと競争が働く。  p152

*髪を盛り、頭にボリュームを与えることは、顔を小さく華奢にみせる効果もある。顔が小さいと、かわいくみえるからだ。 p153
 →付記:著者はもちろん、その理由にも言及している。なるほどと思う。(p153-154)

 著者は髪の長さや髪形、装飾品について語っている。しかし、なぜか黒髪から髪を染めることへの変遷、その心理や価値観については言及していない。今後の研究テーマということなのだろうか。
 いずれにしても、「黒髪」の日本史を通覧すると興味深いものだ。


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髪に絡んで関心を広げてみた。本書を離れるかもしれないが、検索結果を一覧にしておきたい。インターネットで結構情報が集まるものだ。おもしろい。

髪形 世界大百科事典 第2版の解説 :「コトバンク」
日本髪 :ウィキペディア
日本髪の基礎知識  :「*ステキ日本髪*本館」
日本髪の髪型の各部名称 :「日本髪かつら覚書」(株式会社辰巳商会)
  日本髪かつら豆知識 
日本髪の歴史
日本髪資料館 :「京都観光Navi」
  「日本髪の変遷を通して、女性の歴史に触れる」:「伊藤久右衛門」
日本髪を結うこと自体に必要な最初の準備 :「もものかんばせ 日本髪日和」
成人式・卒業式で日本髪 :「もものかんばせ 日本髪日和」

髪結い :ウィキペディア
史料室 歴史編 :「ZENRINREN」
 近代理容篇、髪結職篇、外国篇の3つの歴史篇としてまとめられている。参考になる。
床屋の歴史 :「理容室検索ナビ」

岩倉使節団 :ウィキペディア
 この項に、岩倉具視の髷の写真が掲載されていることを見つけました。
散髪脱刀令 :ウィキペディア
 この項に、岩倉具視の洋装・断髪姿の写真が掲載されています。髷姿も!
ちょんまげから見る文明開化 太田健二氏  pdfファイル

婦人束髪会 :「国立国会図書館デジタル化資料」
べっ甲商、小間物商に打撃を与えた「大日本婦人束髪図解」:「ジュエリー文化資料」
自由なヘアスタイルのはじまり~大正時代-髪型編Ⅰ~ :「ポーラ文化研究所」
自由なヘアスタイルのはじまり~大正時代-髪型編Ⅱ~ :「ポーラ文化研究所」

ヘアスタイル HAIR STYLE INDEX :「Beauty-Box.jp」
ヘアスタイルをさがす :「ら・し・さ Rasysa」

マリー・アントワネット物語展 :「Internet Museum」
ガリア服を着た王妃マリー・アントワネット: From Wikipedia, the free encyclopedia

Hairstyle : From Wikipedia, the free encyclopedia
List of hairstyles : From Wikipedia, the free encyclopedia


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