遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

「だれも知らなかった<百人一首>」 吉海直人  春秋社

2012-01-30 10:43:47 | レビュー
 大型書店に行くと、百人一首の本がいろいろ沢山並んでいる。ここでもほんの一部だが、ご紹介したように文庫版だけでも結構ある。この本(2008年1月刊)も現在は同じタイトルでちくま文庫(2011年10月刊)の一冊になっている。本書は百人一首の和歌解釈本ではなく、百人一首の成立そのもの、百人一首の理解のしかたなど、百人一首文化に焦点をあてて論じている。そういう意味で、一般読者向けとしては百人一首本の中では毛色の変わった本である。著者はいう。研究者の書いた本があるが専門的な色合いが強いと一般読者は理解が難しくて敬遠する。その結果、通常は和歌解釈として、「中味は縮小再生産が繰り返されている」と。
 冷泉家の秘蔵書物が公開されたり、「異本百人一首」の存在が発見されたりする中で、百人一首の研究は進展しているそうだ。本書は、2008年1月出版されたものだが、「はじめに」のところで、著者は「これが現在の百人一首研究の最先端です」と堂々と記している。2012年時点で手に取ってみて、最先端かどうかは素人には評価できないが、百人一首に関わる様々な視点から、一般読者向きに噛みくだいて解りやすく論じてくれているのはありがたい。百人一首研究という視点からの最新の状況を知り、百人一首の背景をより深く理解することで、和歌の解釈と鑑賞に広がりを加えることができて有益な本だ。

 本書は三部構成になっている。視点がいろいろあっておもしろい提示になっている。
 第一部 「小倉百人一首」とはなにか
 第二部 百人一首のひろがり
 第三部 今も昔も百首に始まる

 第一部から興味深く関心を抱いた点を要約して印象も付記してみよう。
*百人一首の誕生日は1235年5月27日に決定。定家の『明月記』にその記載があるようで、それを引用して、安藤為章が百人一首が宇都宮蓮生撰・定家染筆説を論じた(1702年)とか。だが非定家の証拠として引用された『明月記』が、今では定家撰の一等資料として活用されているというのだから、おもしろい。様々な写本その他の発見・累積があり、その成果が実っているのだろう。本書で経緯が理解できる。

*『百人秀歌』は宮内庁書陵部蔵の写本を有吉保氏が発見・報告された。しかし、定家自筆の『明月記』には、『百人秀歌』に関連する肝心の部分が欠落しているとか。自筆証拠がなければ、冷泉家が従来の二条流のいう百人一首起源説に反論できにくかったのでは、と著者はいう。
 『百人秀歌』の発見で、『百人一首』の成立問題がかえってややこしくなったというのが、おもしろい。興味をそそられる。『百人秀歌』には101首掲載されていて、『百人一首』とは97首が一致する。不一致の部分が重要な論点になっている。著者は「百人一首は秘される歌集だったのです」(p13)と記す。なるほどな・・・・とその推測が理解できる。
 定家没後、分派した冷泉家と二条家との絡みで、『百人秀歌』が重要な位置づけになりそうだ。

*「百人一首は単なる秀歌撰ではなく、和歌で綴った平安朝の歴史ということ」(p50)の認識が必要だと著者はいう。

*本書で、「異本百人一首」の存在とその意義について、後記する同著者の本よりも具体的にその内容を知ることができた。なんと平成2年にその存在が明らかになったそうだ。そして、今では50本以上の伝存が確認されているとか。著者は、本阿弥光悦の古活字本百人一首(元和頃刊)が「異本百人一首」であり、それがきちんと『百人秀歌』の配列を踏襲しているという自説を本書に記す。『百人秀歌』の伝存はわずか3本でそれも秘蔵されていて、一方その配列は、「異本百人一首」でオープンになっていたというのは、楽しいところだ。通行の百人一首と配列の違いを当時は誰も気にしなかったのだろうか。
 著者は「異本百人一首」の存在について、「今後間違いなく重要性を増してくる資料だと思っています」と予測している。

*定家は勅撰八代集から秀歌撰『八代抄』を編んでいる。百人一首はこの『八代抄』と92首が一致するので、間接的にここから抽出したと研究者は考えているようだ。

*百人一首は「編」であって「作」ではない。単純なアンソロジーではなく、また歌語の用法も含めて、必ずしも伝統を重んじた歌集ではなかったという。著者は、百人一首としては「撰者定家の解釈こそが求められるべきなのです。それでこそ百人一首という作品の研究になるのではないでしょうか」(p64)という立場に立つ。
  → 著者は『百人一首の新考察 定家の撰者意識を探る』(世界思想社)を出版
    更に『百人一首の新研究-定家の再解釈論-』(和泉書院)の改訂相補版に

*和歌の言葉の類似について、織田、林両氏の謎解き本には無理がある述べ、一方著者は本歌と本歌取り歌の両方が百人一首に存在するとして、「百人一首内本歌取り」と定義し、説明を加えている。撰者定家が本歌取りと再解釈により取り入れた可能性も考えられている。ここは興味の深まるところだ。(p66~76)

 第二部は、冒頭に連歌師・宗祇の存在感について考察されている。宗祇は二条家が途絶え、二条流正当の血脈とみなされていた東常縁より古今伝授を受け、文明3年(1471)に百人一首の伝授を受けた人物である。文明10年(1478)に弟子の宗長に百人一首の講釈聞書を伝授しており、この記録が百人一首の伝授記録の初出だとか。この伝授と小倉色紙が権威付けに使われたようだ。著者は「宗祇に関しては、百人一首を八代集のエッセンスとして、二条流歌道のバイブルとした功績を認めないわけにはいきません」といいながら、胡散臭さがつきまとう事実を指摘している。このあたり、いつの世も権威付けに何かを利用するという手法を繰り返しているようで、おもしろい。宗祇という人物、なかなかのしたたかさを持ち合わせていたのだと思う。
 そして、歌仙絵、歌かるたに言及されていく。興味深い点をいくつか抽出要約してみる。
*百人一首の場合、障子に貼るための色紙と歌仙絵は二枚一組でセットなのに、小倉色紙は何枚か伝存しているが、歌仙絵が一枚も残っていないという奇妙さがあるとのこと。また、百人一首には鎌倉時代に遡る遺品が伝わっていないとのこと。

*歌仙絵の代表は、角倉素庵(了以の長男)筆により、元和頃(1625~1623)に刊行された百人一首絵入版本が元となり、そこから類型化が始まったとそうだ。意外と新しいということが驚き。素庵本の絵は、当時の官職、身分と歌仙の衣装や描かれているものに整合性がない部分もあるとか。著者は具体的に事例で説明している。このあたり、現代の時代劇に時代考証があやしげなものがあるのに通じるような気がする。江戸時代から見ればやはり平安時代は古き昔でもあり、まして身分制の時代、公家と町人は別世界でもあったのだろう。そんな気がしてくる。

*近世初期成立とされる「伝道勝法親王筆百人一首歌かるた」(長方形)が現存最古の歌かるただという。西洋のカルタは賭博用(禁制)であったことから、上流階級の間では「かるた」という言葉を口にすることすら忌避したそうだ。上句札、下句札のセットについて、「当初はゲーム用ではなく、和歌の暗記カードまたは単なる鑑賞用だったのかもしれません」(p97)と著者は推測している。

*現存する最も豪華なかるたは尾形光琳作の「光琳かるた」(宝永頃成立)だとか。どこかで、実物を見てみたいものだ。

*上句に下句を加えて一首そのままの読札が登場したのは、何と幕末頃の改良考案だったというのを本書で初めて知った次第。こんなことをご存じだっただろうか。

*俊成が「源氏見ざる歌読みは遺恨のことなり」と述べたことを、「定家はさらに発展させて『源氏物語』を歌人必須の書にまで高め、『源氏物語』を本説とする歌をたくさん詠じています。」(p126)と著者は記す。そして上坂信男氏が百人一首の中に『源氏物語』の世界が投影されていると力説される点を著者は本書で祖述し、その展開を図っている。
 19章を読み、『源氏物語』を読むことが、定家の撰歌意識を解釈する上で重要なのだと認識することになった。積ん読本になっているのを繙かねば・・・・・
20章では、百人一首が浮世絵の中に如何に取り込まれたかが詳述されている。浮世絵展を過去いくつか見ているが、百人一首に関連したものを見た記憶が無い。豊国、二世豊国、北斎、国芳、広重など様々な絵師がてがけていたようだ。実物を一度見て見たい。浮世絵からこんなことも見えてくるようだ。
 
*「歌を完全に暗記していない庶民の間では、上句札では下句まで読み上げられないので、添本と称される小形の絵入版本を用いて、下句まで読み上げていたことが絵によってわかります。つまり上句札はほとんど使用されていなかったらしいのです。」(p144)

 この第二部の後半にある以下の章は、著者の蘊蓄と考証が展開されていてそれぞれ独立章として、かなりおもしろい話の満載になっている。読んで楽しんでいただくのが一番と思う。章題だけ列挙しておこう。
 15 持統天皇は<看板娘>、 16 <穴無し小町>の伝説、 17 崇徳院の畳の謎
 18 式子内親王への愛執  21 川柳・狂歌を豊かにした百人一首

 第三部は「今も昔も百首に始まる」という標題である。ここが一番読みやすくて、肩の凝らない読み物と言えそうだ。話材がバラエティに富んでいて、百人一首雑学豆知識とも言えそうな切り口となっている。ちょっと軽めの蘊蓄話として役立ちそうなおもしろさがある。中味は読んで楽しむのが一番というところ。章タイトルの紹介で、どんな話材か類推できるだろう。その考証は幅広く詳細に行われていると感じている。
 22 競技かるた百周年、 23 異種百人一首について、 24 翻訳された百人一首
 25 近代文学と百人一首 26 宝塚少女歌劇団の「百人一首名」
 27 百人一首はおいしい 28 猫の戻るまじない歌  29 「小倉山莊」と「時雨亭」 
 30 百人一首の歌碑建立

 この第三部、著者の言うとおり、どの章から読み始めても問題なし。まさにお好み次第、百人百色の選び順ができる。まあ、私は素直に章の順番通りに読んだのだが・・・

 この第三部で特に印象に残るのは、次の文章などである。
 「百人一首の視点は、原作者の立場とは異なり、京都からは見えない天の香具山や富士山を幻視しているのです。これこそまさに、編者定家による百人一首の再解釈(平安朝文学化)でした。」(p209)
 そして、第18章の脚注の一つ。それは、式子内親王の生年について、上横手雅敬氏がある断簡の裏書を発見され、そこから久安5年生まれであることが確定したということ。こういう発見があると、様々に関連事項の解釈に波及していくことになるのだろうという点だ。百人一首での解説のしかたにも波及することだろう。

 一つ補足しておきたい。著者は1998年12月つまり本書の9年前に、『百人一首への招待』(ちくま新書)を上梓している。こちらの本は、
  序章 百人一首の基礎知識     第1章 百人一首成立の謎 
  第2章 百人一首成立以降      第3章 百人一首の副産物
  第4章 百人一首の撰歌意識を探る  第5章 百人一首の味わいかた
という構成になっている。こちらをかなり前に一読していたのだが、本書を新鮮な気持ちで一読した。今対比的に見て見ると、本書の方が読みやすくなっていると思う。
 ねらいとしているところは同じ方向だが、『招待』と本書では、成立の謎、成立以降に関してのアプローチの仕方が少し違っている。また9年の研究成果が累積されての本書発行という点が考証対象の資料の広がりなどからもうかがえる。本書には、一首毎の和歌の味わいかたには触れていない。『招待』の章で代替できるということであろう。一方、『招待』にはない「勅撰集別百首配列」が本書の巻末に掲載されている。こういう点からも両書は、研究の進展経緯を含めて相互補完の書となっているようだ。

ご一読、ありがとうございます。


 [付記」ちょっと関心があって、単行本と文庫本を対比してみた。

 いくつかの異動があるので、ついでに紹介しておこう。
1)冒頭のカラー写真が全面的に差し替えられた。
 ”「小倉百人一首」の百人と百首”から、様々なものに(貝覆・歌貝、肉筆かるた、一枚刷り、双六、小倉色紙、歌仙絵など)
2)章の題名が多少変更された
3)”「かるた」としての百人一首の誕生”(第14章)が、「歌かるたの誕生」(第14章)と「百人一首かるたの一人勝ち」(第15章)と分化した。単行本の章の末尾の5段落分がよりわかりやすく書き加えられて一章が追加された。
 (単行本本文からの削除箇所があるかどうかは未確認である。第1章を対比したかぎりではそのままだった。)
4)本文中の写真は、かなりの差し替えがなされている。同じ事項での絵柄の差し替えが主である。一部加除もあった。詳細は煩雑になるので触れない。
5)単行本の巻末に、「勅撰集別百首配列」と「小倉百人一首一覧(通常配列)」が掲載されていた。文庫本の巻末は、「百人一首一覧-現代語訳付」に変更されている。
 (この現代語訳が定家の撰歌意識の立場での訳出なのかどうかは確認していない。)

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本書を読んで、関連項目をネット検索してみた。

藤原定家   :ウィキペディア

百人一首   :ウィキペディア
小倉百人一首 :「やまとうた」水垣久氏のウェブサイト
百人一首 第123回 常設展示(平成14年12月2日(月)~平成15年1月31日(金))
 :国立国会図書館の説明資料
百人秀歌   :ウィキペディア
百人秀歌   :水垣久氏のサイト ← 全首掲載
小倉色紙 藤原定家筆  :五島美術館
小倉色紙 「たかさこの」:香雪美術館

明月記    :ウィキペディア
明月記. 建仁元-嘉禎元年 / [藤原定家] [撰] ::早稲田大学図書館 公開
明月記. 正治元-寛喜二年 / [藤原定家] [撰]  :早稲田大学図書館 公開

御子左家(みこひだりけ):ウィキペディア
冷泉家(れいぜいけ) :ウィキペディア
冷泉家時雨亭文庫   :ウィキペディア
二条派  :ウィキペディア
京極派  :ウィキペディア

東 常縁(とう つねより):ウィキペディア
宗祇   :ウィキペディア


「女早学問」上巻   :Googleブックス
画像19~20ページに「百人一首」の記述あり ←第一部冒頭で引用の版本

光琳かるた 復刻版の一部が見られます。

模写光琳かるた :小林鳥園氏


豊国国芳東錦絵「百人一首絵抄シリーズ」  :「錦絵館」サイトから
百人一首うばが絵解            :「錦絵館」サイトから
小倉擬百人一首シリーズ :「錦絵館」サイトから

一人静 ホームページから
小倉擬百人一首「権中納言定家」広重と豊国、国芳の浮世絵
小倉擬百人一首「順徳院」広重と豊国、国芳の浮世絵
小倉擬百人一首「後鳥羽院」広重と豊国、国芳の浮世絵
小倉擬百人一首「正三位家隆」広重と豊国、国芳の浮世絵
小倉擬百人一首「入道前太政大臣」広重と豊国、国芳の浮世絵
小倉擬百人一首「前大僧正慈円」広重と豊国、国芳の浮世絵

小倉色紙風 双六

上方絵「濃紅葉小倉色紙」 :甲南女子学園「ギャラリー」サイトから
  春好とあし国の合作 役者絵;大阪中の芝居上演


時雨殿 ホームページ → 2012.3.17(土)リユーアル・オープン だとか。

競技かるた     :ウィキペディア
全日本かるた協会  :ウィキペディア
全日本かるた協会 ホームページ
TOSS五色百人一首協会 ホームページ

[番外]
現代の歌仙絵師と自称される 千絵崇石氏のホームページ
百人一首説明解釈  百人一首と歌仙絵が閲覧できます。


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