遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『まんが訳 酒呑童子絵巻』 大塚英志監修/山本忠宏編  ちくま新書

2021-02-02 17:55:24 | レビュー
 『酒呑童子絵巻』の部分図を写真や書籍で見たことがある。だが、絵巻全体を見たことがない。新書の表紙にまずこの名称を読み関心を引きつけられた。さらにその右肩を見ると「まんが訳」となっている。第一印象は、「何これ?」である。
 勿論、すぐに本を開いてペラペラと眺めて見た。各ページはまんがのコマ割り形式になっていて、四角あるいは楕円形の吹き出しがところどころにある。コマに描かれた絵自体は古そう・・・・。ああ、そうか。絵巻に描かれた絵を素材にして、「まんが」の形式に変換して、いわば絵巻形式を漫画形式にいわば翻訳するという試みなのか・・・・。これはおもしろそう、というわけで読んでみた。

 読後の感想は第一印象の「おもしろそう」を裏切らなかった。コマ割り形式のストーリーまんがに親しんでいる世代には、抵抗感なくかつての「絵巻物」として描かれた内容全体を手軽に知り楽しめること間違いなしである。古典の絵巻物世界にソフトランディングするのに役立つことだろう。

 今や絵巻物の実物は博物館や美術館での展示において、その絵巻の一部を鑑賞できるのがせいぜいで、絵巻全体を見るというのは特別展や特別企画以外ではなかなか機会がない。仮に絵巻全体が見られる場合でも、絵巻が横長に広げられた状態で見ることになる。絵に添えられた詞書は大概行書体・草書体のようで、残念ながら(少なくとも私には・・・・)判読できない。要所に解説文が添付され展示されている場合があるが、全体の理解には及ばない。まあ絵の表す意味をスポット的に一歩踏み込んで理解するのには役立つが。もう一点、絵巻は本来、絵巻物を左手で開けてつつ、右手で巻き取りながら、右から左に、詞書を読み直近に描かれた絵を眺めつつ時系列的に読み進めていくものだそうだ。博物館や美術館での展示品ではそんな楽しみ方は勿論できない。
 一方で、絵巻物のデジタル画像化が進み、各所で画像として鑑賞することが手軽にできるようになってきたという喜ばしい側面もある。画像はみられても解説面でのサポートは少ないように思う。
 そういう点でも、まんがのコマ割り形式の中にある吹き出しに、物語の内容が簡潔な説明文や会話文に翻案されて挿入されている。内容の理解という点では通常のまんがの吹き出しとほぼ同様である。
 この「まんが訳」では、絵巻の詞書をまず久留島元さんが語りの性質を損なわないように現代語訳されたという。さらに漫画のコマ割りの中に、「第三者による語りの形式」を使いながら、絵との対応関係を考慮し、文字量の削減や簡略化が加えられたそうだ。だが、この吹き出しの言葉と絵とを総合していけば、絵巻のストーリーが十分に理解できる。つまり、絵巻をまんがの形で楽しめて、かつ、古典として現存する絵巻の絵そのものの世界に即座にリンクして行くところに大きな特徴がある。絵巻の絵そのものを鑑賞できることにもなる。

 本書のタイトルは『酒呑童子絵巻』だが、本書には国際日本文化研究センター所蔵の絵巻3巻のまんが訳が収録されている。つまり、絵巻は『酒天童子繪巻』『道成寺縁起』『土蜘蛛草子』である。
 私は大江山の酒呑童子という形で「酒呑童子」の名称に親しんできたが、本書で、酒天童子、酒顚童子とも書かれるということを知った。その語源はわからないという。酒呑童子が伊吹山にも棲んでいたという設定の物語もあり、こちらは伊吹山系酒呑童子と呼ばれるとか。本書の『酒天童子繪巻』は、伊吹山系酒呑童子であり、伊吹山千丈ヶ岳に棲む鬼退治物語である。本書末尾に久留島元著「絵巻文化の成立と発展」という一文が収録されていて、読者には絵巻文化についての導入編として役に立つ。
 『道成寺縁起』は、上・中巻が「鐘巻由来」で、下巻が「髪長姫物語」というセットになっている。「鐘由来」では、約束を破った安珍を怒り狂う清姫が蛇の姿と成って追う。安珍が逃げ込んだ道成寺の鐘を蛇が取り巻き、炎を吐き焼き殺す。蛇と化した二人は、法華経法事の功徳で成仏するというストーリー。「髪長姫物語」は、道成寺の創建に関わる由来物語である。私はこちらの話を本書で初めて知った。道成寺は文武天皇の勅願寺である。
 国際日本文化研究センター所蔵の絵巻のタイトル『土蜘蛛草子』の蜘蛛という語句は漢字変換できない文字で記されている。ここに記した蜘蛛ではない。本書を開いてご確認いただきたい。絵巻本来のタイトル文字も私は初めて見る漢字だった。上記の『酒天童子繪巻』は、藤原保昌、源頼光と四天王(渡辺綱・坂田公時・碓井貞光・平手武)が活躍する話であるが、この『土蜘蛛草子』では、源頼光と渡辺綱が大きな蜘蛛の怪物を退治する。

 もう一点、重要なことに触れておこう。このまんが訳を読み始めてすぐに気づくことである。絵巻の絵自体が使われているというのは最初に触れた。その絵がコマ割りという形で様々に分割されてまんがとして流れを生み出して行く。絵巻の一つの絵のほぼ全体が載っているコマと、その絵の一部分図が巧妙に配置され、一人物をクローズアップする効果を出したり、しぐさや動きの表現に転じたりする。同じ絵が幾度か繰り返し使われている。同じ絵と思いつつ、自然とまんがの流れに沿って眺め、読み進めていけるところがおもしろい。
 この点、本来の漫画、類似でいえば劇画漫画のコマ割りによる描写とは大きく異なる。劇画漫画にはたぶん全く同じ描写のコマというのはあまりないだろう。絵巻の絵は場面が限定的で数が少ない。その限られた絵でまんが形式の動きを示す流れに変換するのだから当然と言えば当然の結果である。そこをごく自然な感じに見せるように転換する。「つまり、『同じ絵を使用しながら複数の行為を示さなければならない』という制限があるということだ」(p203)と記されている。読者はそこに工夫を見るおもしろさが加わってくる。ああ、絵のこの個所がこんな風に・・・・なるほど、と。
 本書末尾の2つめの文、編者の山本忠宏著「物語もつくらず絵も描かないまんが制作」に絵巻をまんが訳にシステム変換するしかけの種明かしが説明されている。実に興味深い。「その形式が属する時間や空間の認識/表現と形式を支えるシステムが異なる」(p202)のを承知の上で、まんが訳が行われた。その成果が本書である。
 まず、素直にこのまんが訳を読んでみる。そしてこの一文で種明かしを読む。その上で、再度まんが訳のコマ形式の構造・構成を意識して眺めてみると楽しみが増えることだろう。それがまた、博物館や美術館で展示された絵巻の絵の見方、細部にもこだわって鑑賞するという見方に一歩踏み込むトリガーとなるのではないか。絵巻というシステムの楽しみ方を深めることにもなる気がした。

 本書末尾の最後、3つめの文は監修者の大塚英志著「まんが・アニメの起源はなぜ、絵巻物ではないのか」である。まんが起源論に一石を投じている一文だ。著者の持論が展開されていて興味深い。著者はまんがやアニメーションの起源が中世の絵巻物にあるという説を俗説として否定している。
 まんがの起源と理論的背景に興味を持つ人には一読の価値があると思う。
 この一文の締め括りの文を最後にご紹介しておこう。
 「最後に、本書のような試みは誰にもできるわけではないことは記しておきたい。これは、まんがの表現法を正しく身につけることによって初めて可能なのである」(p222)。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
絵巻物データベース トップページ :「国際日本文化研究センター」
  一覧から絵巻を閲覧することができます。

酒呑童子  :ウィキペディア
酒典童子絵巻(しゅてんどうじえまき) :「京都国立博物館」
酒伝童子絵巻  :「サントリー博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)
酒呑童子絵巻 鬼退治のものがたり  :「根津美術館」
鬼を追いかけて[福知山]編  :「森の京都」
大江山 曲目解説  :「銕仙会 ~能と狂言~」
謡蹟めぐり 大江山 :「謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド」
道成寺 ホームページ
   「安珍と清姫の物語」「かみなが姫の物語」のページがあります。
京鹿子娘道成寺  歌舞伎演目案内  :「Kabuki」
【娘道成寺】「道成寺」聖なる伝説、俗なる伝説をめぐって  :「木ノ下歌舞伎」
紙本著色土蜘蛛草紙   :「文化遺産オンライン」
土蜘蛛草紙絵巻 :「東京国立博物館 画像検索」
土蜘蛛草紙 目次  :「書肆・翻訳 七里のブーツ」
土蜘蛛  能演目事典 :「the能.com」

まんが訳 酒呑童子繪巻  :「Comic Walker]

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