遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『シーソーモンスター』  伊坂幸太郎  中央公論新社

2021-02-14 12:50:57 | レビュー
 文芸誌『小説BOC』創刊にあたり「螺旋プロジェクト」という8人の作家による競作企画が仕掛けられた。日本を舞台に古代から未来までにわたり、8人の作家がある時代(時期)を担当し、「海族」と「山族」が対立するという状況をそれぞれが独自の物語として紡ぎ出すというおもしろい企画である。日頃読書対象にしている作家が8人の中に含まれていた作品を読んだことから、この「螺旋プロジェクト」を知り、時代の順序を前後しつつこの海族・山族の対立ストーリーを読み継いできた。
 そして、本書がその読み継ぐ最後の小説になる。歴史軸としては前後しているので、この「螺旋プロジェクト」の歴史軸での最後になる「未来」に相当する部分ではない。本書のタイトルは「シーソーモンスター」であるがここには2つの物語が収録されている。
 一つが「シーソーモンスター」で、このプロジェクトでの時代設定は昭和後期である。もう一つは「スピンモンスター」で、こちらの時代設定は「近未来」となっている。上記の通り、この2つのストーリーも当然ながら「海族」と「山族」の対立を扱うが、それぞれは全く独立した物語である。
 一方で、この2つのストーリーは、昭和後期を舞台とする「シーソーモンスター」のエンディングで、カタツムリをヒーローとする絵本の創作の始まりが語られ、「平成」の先の「近未来」において、無敵のカタツムリ「マイマイ」が活躍する『アイムマイマイ』という絵本がストーリーの背景に登場してくるという点で緩やかなつながりが組み込まれていておもしろい。一作家が2つの時代を担当したことからの試みなのかもしれない。とはいえ、この2つのストーリーは、独立した物語りとして読める。

 本書末尾には、見開き2ページで8人の作家が競作企画により紡ぎ出したそれぞれの物語に関連する「『螺旋』年表」が付いている。日本の歴史における史実とこのプロジェクトの下での物語の展開における事実とが年表としてまとめられている。これをみると、「シーソーモンスター」は「平成」時代の物語とは、1992年に「絵本『アイムマイマイ』『帝国のルール』流行」という一行で緩やかなリンキング・ポイントがある。他方、「スピンモンスター」は、2071年に「壁が建設される」ということで、「未来」の物語とのリンキング・ポイントが描き込まれている。

 それでは、収録された2つの物語を簡単に読書への誘いとしてご紹介してみよう。

「シーソーモンスター」
 「日米貿易摩擦が新聞を賑わせていますが、その一方で、我が家の嫁姑摩擦は巷間の噂になることもなく。」という冒頭文から始まる。「日米貿易摩擦」の一語で、1965年以後日米間の貿易収支が逆転してアメリカの対日貿易が恒常的に赤字となり、1972年の日米繊維交渉から始まり、鉄鋼・カラーテレビ、1980年代には農産物、さらに自動車に発展した貿易摩擦の時代をまずストーリーの背景に押さえている。つまり、このストーリーが昭和後期の物語であることを示している。おもしろいことに、このストーリーにはこれ以外年号などは一切出て来ない。
 この冒頭は製薬会社の営業社員である北山直人が四期上の綿貫さんに誘われて行った居酒屋で嫁姑問題の愚痴を語る場面なのだ。ありふれた嫁姑の諍い話。何、コレ!どんな話につながるの?といぶかしく思いながら、ちょっと我慢して読み進めると、後はこの嫁姑の対立の先を読みたくなるストーリーに転換して行く。それは意外な秘密が隠されていることによる。

 営業社員直人が担当病院における不正事実を発見することで彼自身が窮地に追い込まれる状況へとストーリーが徐々に進展していく。直人は歴史ある大きなO病院のO先生に気に入られる。O病院は息子夫婦に実権が譲られていた。O病院との取引関係を綿貫さんが築いてきたのだが、そのO病院との取引関係を直人が任せられたのである。良い得意先を譲られたと喜んでいた直人は、若院長を接待する過程で若院長の言動を理解していき、O病院の内情を推測できるようになる。病院経営で不正が行われていることに気づいていく。それが直人を窮地に追い込んで行くことになる。この直人を窮地から救い出すために嫁と姑が互いに協力するというストーリーに展開していく。
 嫁・宮子と義母・セツの協力関係ができるまでの紆余曲折がコミカルなタッチで描かれて行く。そのプロセスに、保険の営業社員・石黒市夫が関わってくる。セツの留守に家を訪ねてきた石黒は、セツに保険の話を聞いてもらっていたと宮子に言う。初対面の宮子と話をしたのを切っ掛けに石黒は宮子に「あなた、目、蒼いんですね」と語りかける。
 石黒は海族と山族の対立の話、この二族間では相性が合わないことを宮子に語る。二人の相性が悪いのは、宮子が海族、セツは耳が大きい山族だからと言う。石黒はいわば一種の媒介人の役割を果たす。その後要所要所で宮子の前に現れるてくる。

 ならば、セツの息子・直人と宮子はなぜ結ばれたのか?もちろん、ストーリーの最初に二人のなれ初めがエピソード風に盛り込まれている。そして、直人と宮子の間でなぜ相性問題が起こらなかったかの理由が明らかになっていく。
 一方、宮子とセツには意外な共通点があることがわかることに。そして、直人救出という事態へと場面を急転換させていく。フィクションとして奇想天外の要素を含みおもしろい。それにしても宮子はタフだ。
 最後に絵本がどういう風に絡んでいるかをお楽しみに。 


「スピンモンスター」
 冒頭で主人公水戸直正が絶対に思い出したくない場面についてこう語る。「高速道路の自動走行自体は僕が生まれる前から行われていたが、五百キロ以上の距離が完全自動で走行できるようになり、自動走行の決定版と銘打たれた白の新型ミューズを購入したこともあって、父がやたら乗り気だったのだ」。この長い一文で、これが近未来という時点の物語だとわかる。こちらのストーリーもまた日付などが出て来ない。
 ただ一箇所、次の文が出てくる。「重要な情報ほどデジタルからアナログへ、内緒のやり取りは電子メールではなく手書きの手紙へ、と世の流れが変わったのは、2032年の大停電がきっかけと言われている。」(p203)つまり、このストーリーは2032年よりも未来時点の物語なのだ。さらに、「デジタルもアナログも万能ではない。一長一短あり、使い分けていくべきだ、という風潮はここ十年で浸透した」(p205)という社会状況が時代背景となる。
 水戸直正は手書きのメッセージを人力で運ぶ仕事、運搬人を仕事としている。この水戸が運搬の仕事で新札幌駅に行くために新東北新幹線に乗車していたのだが、奇妙な事件に巻き込まれていくというストーリーが始まって行く。
 新幹線内のトイレから出て、自分の座席に戻ろうとしたとき、水戸にとっては天敵とも言える檜山景虎が同じ列車の後方車両に乗っているのに気づいた。小学校の夏休み、青森へ冒頭の白の新型ミューズで家族旅行に行き、同型の黒のミューズとの間で交通事故が発生する。家族で生き残ったのは直正だけ。相手の黒のミューズも同様に生き残ったのは同学年の檜山景虎だけだった。そして、偶然にも二人は総合学校時代に同じ学校に通うことになった。だが総合学校時代には互いに極力避け合い通すことに苦労する関係だった。全く相性が良くない相手なのだ。
 水戸が座席に戻ると、通路側に乗客が居た。先ほどまで空席だったのだ。その乗客から水戸は突然に宛先も差出人も書かれていない封筒を「あとでこれを読んでください」と渡される。その封筒はまだ一般発売されていないもの、セキュリティレベルが高く、センサーに把握されないタイプのものだった。その乗客は、水戸が運搬人だと知っていた。水戸の「どこに」にという問いかけに対し、「昨日の日本に」と答え、水戸がさらに問う余裕を与えず前の車両方向へ消えたのだ。その直後、警察組織の捜査員が水戸の前に「パスカ、見せてもらえますか」と声をかけてきた。捜査員の後に檜山が続いていた。さらにその直後、緊急停止のアナウンスが流れる。

 手渡された封筒には、水戸へのメッセージともう一つの封筒が入っていた。あの乗客の旧友、中尊寺敦に手紙を届けてほしいという依頼なのだ。二人の間ではかつてγモコのメンバーがまたなくなった時、仙台杜市の青葉山、青葉城の政宗像の前で会おうという約束がされていたと言う。水戸はそれだけの情報で、その手紙を相手に渡さねばならなくなる。半信半疑で青葉山に向かった水戸は中尊寺と出逢えたのだが、その手紙のメッセージはたった二行の文。その謎解きに関わり水戸は中尊寺と行動を共にする羽目になっていく。
 情報化社会の極度の発展が監視社会を構築していた。中尊寺はジャマーを自作していて、彼の存在と行動は防犯カメラやセンサーに記録が残らないという。水戸は託された手紙を運搬し中尊寺に渡すという行為が原因となり、なぜか檜山を含む捜査員から追跡される対象の一人になっていく。
 中尊寺が水戸から手紙を受け取った時点で、中尊寺はニュース記事を検索した。そして、人工知能「ウェレカセリ」開発責任者寺島テラオが新東北新幹線の高架から落ちて死亡したという記事を見つける。あの乗客が人工知能の第一人者と言うべき研究者だったのだ。

 事故死したとされる寺島が中尊寺に送った手紙は「君の言う通りだった オッペルと象」という縦書きの二行の文だけ。寺島が中尊寺に託した願いが何なのか。ここから中尊寺の謎解きのための行動が監視網をかいくぐりながら始まって行く。水戸はそれに同行せざるをえなくなる。それは檜山らから追われる立場になることでもあった。
 中尊寺の謎解き行動のプロセスは、結果的に絵本『アイムマイマイ』の作家を登場させる。絵本作家せつみやこと会うことができた水戸は、せつみやこから海族と山族の話を聞くことになる。水戸の目が蒼いのは海族であり、檜山の耳が大きいのは彼が山族であることを示すと。絵本作家の家を訪ねたことで、謎解きを完遂するために中尊寺と水戸は東京へと導かれて行くことになる。その過程で絵本作家の息子・北山由衣人が中尊寺・水戸とコンタクトを取ってくる。北山は中尊寺と水戸に部分的に協力する関係となる。
 寺島の願いは、中尊寺の最後の決断と行動に委ねられていくことになる。檜山の存在を常に意識しながら巻き込まれていく水戸はどうなるのか。
 寺島が中尊寺に託した願いは何か。檜山と対立する水戸はどうなっていくのか。それがこのストーリーである。

 このストーリーは、人間が記憶を合理化する側面があるということと、人工知能「ウェレカセリ」の存在と情報化社会の近未来が内蔵する問題点を浮き彫りにすることという2つのテーマを海族と山族の対立というテーマの中に織り込んだものである。謎解きプロセスの行動が興味深い。近未来社会の状況想定がおもしろい。
 最後にこのストーリーのテーマに関係する文をいくつか抽出しご紹介しておこう。
*海側が勝つ歴史もあれば、山側が勝つ世界もある。どっちも両方あるんだよ。
 未来も過去もひとつではなく、全部一緒に存在しているんだよ。   p390-391
*もしかするとあれも、僕は都合の良いように、記憶を加工していたのではないか。
 自分が覚えていることを信じていれば大丈夫。  p392-393
*争いが起きないことには何も進まない、ってことを。  p395
*生き物は、遺伝子が生きながらえるための乗り物に過ぎないとは、昔から言われているだろ。それと同じように、僕は、対立を繰り返すための乗り物だったんだ。  p416
*自分の行動は、ウェレセカリの敷いたレールの上じゃねえかって。
 人工知能ってのは、人には理解できない一手を打ってくる。
 ただ、人の感情までは完璧にコントロールできねえんだよ。   p423
*境界線ができれば、対立が起こる。対立しはじめれば、後はどんなことでも対立する原因になる。絵本作家が言っていたように、対立するために対立していく。  p424
*対立する者同士でも、相手のことを知ろうとすることはできる。いや、相手のことを知ろうとすることは大事なことだ。対立していると、相手のことは歪んでしか見えなくなるらしいからな。  p427

 ご一読ありがとうございます。
「螺旋」プロジェクトに関連する次の小説の読後印象をまとめています。
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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