般若心経には関心を持っているので、題名と文庫本の表紙の写真に惹かれて、読んで見た。普通作家は写真家とのコラボで写真入りの本を出すことが多い。写真家の名前が載っていないので、ちょっと奇妙に感じたのだが、掲載写真はすべて著者の撮った写真だった。ネパールとチベットの風景や仏像、建物、人々と生活風景などを撮った写真が各ページに載っているといえる位に掲載されている。蒼空に屹立する雪山、燃え上がる天空に聳えたつ峰と黒くシルエットとなった山脈など、なかなかすばらしい写真が載っている。文庫本末尾に付された宮坂宥洪氏の解説を読み初めて知ったのだが、著者には「写真家」という肩書もあったのだ。ウィキペディアの「夢枕獏」項も初めてアクセスしたが、写真家の一項が記されていた。認識を新たにした。
奥書を読むと、本書は1995年10月に『聖玻璃の山』として早川書房から刊行された。2008年7月に小学館文庫として出版されたものである。
「あとがき」にこの作品ができた経緯が詳しく記されている。「あとがき」自体が一つの独立したエッセイのようなものでかなり長い。それ故に、本の出来上がる背景がよくわかり興味深い。その記述によれば、23歳の時に初めて海外に出て、ネパール・ヒマラヤをトレッキングして歩き、10年後に再びネパール・ヒマラヤに旅したという。その2度目のネパール・ヒマラヤ以来10年間に何度もネパールとチベット、つまりチベット仏教文化圏を訪れて撮りためた大量の写真があるという。その中から選択された写真がこの一冊にまとめられているのだ。一冊の写真集にまとめたかったという著者の気持ちが、幾度も現地に通う内にコンセプトとして般若心経と結びついて行ったという。現地を見聞し、現地で写真を撮りまくる著者の思いが、「『般若心経』という概念、あるいは思想、あるいは抽象、あるいは現象へと突きあたったのである」(p138)という。
そえがこのネパール・ヒマラヤの写真と般若心経のコラボレーション作品として結実したのだ。
般若心経に関わる本は数多く出版されている。手許にも何冊かあるが、それらを読み進めてきたとき、四季が変化する日本の自然風土をあたりまえに感じ、その環境の中で般若心経を受けとめて、諸行無常を感じ理解するというセンスである。インド、シルクロード、中国を経て日本に将来された過程で変容を経た上で、日本という仏教圏に将来された般若心経の概念、思想の受けとめである。
この本に掲載の写真を眺め、写真と併存する般若心経の経文の句を読んで、般若心経そのものをちがう感性で受けとめる見方があるのかもしれないとふと感じた。ヒマラヤの山を前提にした般若心経である。自然風土の違いが大きく人々の感性にも影響するのではないだろうかという思いである。日本に渡来した般若心経のルートを逆に途中まで遡った旅としてのネパール、チベットという現地の般若心経センス次元とのコラボがここにあると言えるのかも知れない。
本書は三部構成となっている。著者自身の言葉が詩句の形で要所要所に挿入されている。そこに、幾度もヒマラヤ周辺を旅した著者の般若心経があると感じる。
目次の前にこんな詩句が記されている。「答えよ 人の行為の 何が 不毛で 何が 不毛で ないのか 答えよ」と。
第1章は、262文字の「摩訶般若波羅蜜多心経」の経文(漢文)がルビ付きで写真とコラボしている。その経文の前後に、著者の詩句が記されている。前に記されているのが「ぼくはいつも 想っている 微かな背徳の 罪の 匂いの 赤のことを 想っている」という詩句だ。
第2章は、「摩訶般若波羅蜜多心経」の経文を読み下し文として載せている。この章も経文について一切説明・解説はない。前後に著者の詩句があり、壮大なヒマラヤの風景写真とのコラボでまとめられている。
著者は「あとがき」に次の文を記す。ここに、掲載された著者の詩句に反映された思いの原点があり、それが著者の般若心経への旅となったように感じている。
「彼の地の仏教は、日本のそれと違い、猥雑で、汚れていて、肉や血の香りがするばかりでなく、腐臭さえ漂ってくるようである。しかも、みごとに宗教として現役である。」(p139)
「チベットやネパールの仏教寺院の尊神は、大きく口を開き、怒り、歓喜して、女尊を抱いている。太い陽根で女尊を貫き、腰に人骨の飾りをぶらさげている。
二十年以上も前、初めてこれを見た時にはぶっ飛んだ。なんという仏教か。こういう仏教があったのか。」(p139)
現地に触れた著者の感性と思いは、第2章の経文の前に記された詩句の中で「荒野 荒野 おれの心 自由で淋しいぞ」「十億年 待つというなら 待っていろ」と叫ばせる。経文の後は、「二億年続く 悦びはなし 二億年続く 哀しみもなし」で始まり、「エロスの仏の お前の顔に 太い精液を かけてやりたし」という詩句の終わりとなる。
たぶん、日本国内に居るだけでは、般若心経からの感性の発露としてこんな詩句が湧くことはなかったのではなかろうか。少なくとも、私はこの著者の詩句にぶっ飛んでいる。
第3章は、何と「摩訶般若波羅蜜多心経」が戯曲になっているのだ。そして「あなありがたやほとけのおしえちえのマントラ」とルビがふられている。歌舞伎の演目名称にふられるルビの感覚である。この説明、実に的確にこのお経の名称の意味を説明しているのだから楽しい。「ゴータマ・シッダールタ・原案 玄奘三蔵・訳 夢枕獏・脚本」という記載も実に楽しい。「ゴータマ・シッダールタ・原案」という表現が楽しい。
なぜ著者は般若心経を戯曲化したのか? その経緯は「あとがき」に著者が詳しく触れている。本文をお読みいただくとなるほどと思われるだろう。
戯曲自体は実質21ページほどのもの。冒頭に宮沢賢治が登場し、舞台を去り、本舞台が演じられる。そして最後に再び宮沢賢治が登場してこの劇は終わる。本舞台の劇は舎利子と観自在菩薩の対話が中心になり、浄瑠璃語りが間奏に入る形である。
この第3章の戯曲ページの間に併存するのは主に仏像の写真である。実にいいコラボである。その仏像の形象、造形は図像学的には共通するのだろうが、日本のそれと外形上は大きな隔たりがある。私にはエキゾチックであるが、現地ではあたりまえのものなのだ。実にいい。
舞台に登場した宮沢賢治が語り始める。「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です。・・・・」
このセリフ・・・・そう、宮沢賢治『春と修羅』という詩集の「序」冒頭の詩句である。
「あとがき」に著者は記す。
「今でもチベット文化圏では、仏教の教えを仮面劇のかたちで、皆の前で演じている。それを思えば、『般若心経』をここで戯曲にするというのは、当然なされてよい試みである。」(p160)と。
この戯曲、舞台で演じられるのを観劇しみたい!
本書のタイトルは『聖玻璃の山』である。宮沢賢治の心象スケッチ『春と阿修羅』は「序」から始まる詩集だが、その中の「春と阿修羅」と題する詩の、
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
という詩句部分に「聖玻璃」が出てくる。ここから取られている語なのだろう。「玻璃」は辞書を引くと「(1)水晶、(2)ガラス」(日本語大辞典・講談社)を意味する。仏典では七宝の一つとして出てくるので、水晶を意味している。「ヒマラヤ」はサンスクリット語では「雪の住みか」を意味するという。聖玻璃の山は、一方で「ヒマラヤ」という山そのものを暗喩しているのだろうか。
本書のページを適当に開き、般若心経の経文のフレーズを読み、併存する写真を眺める、戯曲のフレーズを読み前後のページに掲載の写真を眺める、そして、想いを広げる・・・そんな読み方もある気がした。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書からの波紋で、いくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
『春と修羅』 宮沢賢治 :「青空文庫」
ヒマラヤ山脈 :ウィキペディア
ヒマラヤの画像加藤忠一ホームページ ヒマラヤ巡礼写真館
[YouTubeより]
チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra)
ヒーリング般若心経 Heart Sutra (サンスクリット/梵語/Sanskrit) by N.M.Todo
般若波羅密多心経 (梵音) Prajna Paramita Hrdaya Sutram (Sanskrit) Bat Nha Tam Kinh
般若心経 Heart Sutra ~サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング
大本山永平寺/雲水さんの般若心経
癒しの響き 般若心経・太鼓
法楽太鼓 2 「般若心経~諸真言」 東谷寺 (真言宗豊山派)
般若心経 日本語 字幕付き ベートーベンの歓喜の歌に般若心経をのせて
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ
般若心経 天台寺門宗 音声
チベット仏教 :ウィキペディア
チベット仏教の特色 :「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」
チベット仏教の歴史と特色 :「チベット仏教ゲルク派宗学研究室」
チベット仏教普及協会 ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
奥書を読むと、本書は1995年10月に『聖玻璃の山』として早川書房から刊行された。2008年7月に小学館文庫として出版されたものである。
「あとがき」にこの作品ができた経緯が詳しく記されている。「あとがき」自体が一つの独立したエッセイのようなものでかなり長い。それ故に、本の出来上がる背景がよくわかり興味深い。その記述によれば、23歳の時に初めて海外に出て、ネパール・ヒマラヤをトレッキングして歩き、10年後に再びネパール・ヒマラヤに旅したという。その2度目のネパール・ヒマラヤ以来10年間に何度もネパールとチベット、つまりチベット仏教文化圏を訪れて撮りためた大量の写真があるという。その中から選択された写真がこの一冊にまとめられているのだ。一冊の写真集にまとめたかったという著者の気持ちが、幾度も現地に通う内にコンセプトとして般若心経と結びついて行ったという。現地を見聞し、現地で写真を撮りまくる著者の思いが、「『般若心経』という概念、あるいは思想、あるいは抽象、あるいは現象へと突きあたったのである」(p138)という。
そえがこのネパール・ヒマラヤの写真と般若心経のコラボレーション作品として結実したのだ。
般若心経に関わる本は数多く出版されている。手許にも何冊かあるが、それらを読み進めてきたとき、四季が変化する日本の自然風土をあたりまえに感じ、その環境の中で般若心経を受けとめて、諸行無常を感じ理解するというセンスである。インド、シルクロード、中国を経て日本に将来された過程で変容を経た上で、日本という仏教圏に将来された般若心経の概念、思想の受けとめである。
この本に掲載の写真を眺め、写真と併存する般若心経の経文の句を読んで、般若心経そのものをちがう感性で受けとめる見方があるのかもしれないとふと感じた。ヒマラヤの山を前提にした般若心経である。自然風土の違いが大きく人々の感性にも影響するのではないだろうかという思いである。日本に渡来した般若心経のルートを逆に途中まで遡った旅としてのネパール、チベットという現地の般若心経センス次元とのコラボがここにあると言えるのかも知れない。
本書は三部構成となっている。著者自身の言葉が詩句の形で要所要所に挿入されている。そこに、幾度もヒマラヤ周辺を旅した著者の般若心経があると感じる。
目次の前にこんな詩句が記されている。「答えよ 人の行為の 何が 不毛で 何が 不毛で ないのか 答えよ」と。
第1章は、262文字の「摩訶般若波羅蜜多心経」の経文(漢文)がルビ付きで写真とコラボしている。その経文の前後に、著者の詩句が記されている。前に記されているのが「ぼくはいつも 想っている 微かな背徳の 罪の 匂いの 赤のことを 想っている」という詩句だ。
第2章は、「摩訶般若波羅蜜多心経」の経文を読み下し文として載せている。この章も経文について一切説明・解説はない。前後に著者の詩句があり、壮大なヒマラヤの風景写真とのコラボでまとめられている。
著者は「あとがき」に次の文を記す。ここに、掲載された著者の詩句に反映された思いの原点があり、それが著者の般若心経への旅となったように感じている。
「彼の地の仏教は、日本のそれと違い、猥雑で、汚れていて、肉や血の香りがするばかりでなく、腐臭さえ漂ってくるようである。しかも、みごとに宗教として現役である。」(p139)
「チベットやネパールの仏教寺院の尊神は、大きく口を開き、怒り、歓喜して、女尊を抱いている。太い陽根で女尊を貫き、腰に人骨の飾りをぶらさげている。
二十年以上も前、初めてこれを見た時にはぶっ飛んだ。なんという仏教か。こういう仏教があったのか。」(p139)
現地に触れた著者の感性と思いは、第2章の経文の前に記された詩句の中で「荒野 荒野 おれの心 自由で淋しいぞ」「十億年 待つというなら 待っていろ」と叫ばせる。経文の後は、「二億年続く 悦びはなし 二億年続く 哀しみもなし」で始まり、「エロスの仏の お前の顔に 太い精液を かけてやりたし」という詩句の終わりとなる。
たぶん、日本国内に居るだけでは、般若心経からの感性の発露としてこんな詩句が湧くことはなかったのではなかろうか。少なくとも、私はこの著者の詩句にぶっ飛んでいる。
第3章は、何と「摩訶般若波羅蜜多心経」が戯曲になっているのだ。そして「あなありがたやほとけのおしえちえのマントラ」とルビがふられている。歌舞伎の演目名称にふられるルビの感覚である。この説明、実に的確にこのお経の名称の意味を説明しているのだから楽しい。「ゴータマ・シッダールタ・原案 玄奘三蔵・訳 夢枕獏・脚本」という記載も実に楽しい。「ゴータマ・シッダールタ・原案」という表現が楽しい。
なぜ著者は般若心経を戯曲化したのか? その経緯は「あとがき」に著者が詳しく触れている。本文をお読みいただくとなるほどと思われるだろう。
戯曲自体は実質21ページほどのもの。冒頭に宮沢賢治が登場し、舞台を去り、本舞台が演じられる。そして最後に再び宮沢賢治が登場してこの劇は終わる。本舞台の劇は舎利子と観自在菩薩の対話が中心になり、浄瑠璃語りが間奏に入る形である。
この第3章の戯曲ページの間に併存するのは主に仏像の写真である。実にいいコラボである。その仏像の形象、造形は図像学的には共通するのだろうが、日本のそれと外形上は大きな隔たりがある。私にはエキゾチックであるが、現地ではあたりまえのものなのだ。実にいい。
舞台に登場した宮沢賢治が語り始める。「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です。・・・・」
このセリフ・・・・そう、宮沢賢治『春と修羅』という詩集の「序」冒頭の詩句である。
「あとがき」に著者は記す。
「今でもチベット文化圏では、仏教の教えを仮面劇のかたちで、皆の前で演じている。それを思えば、『般若心経』をここで戯曲にするというのは、当然なされてよい試みである。」(p160)と。
この戯曲、舞台で演じられるのを観劇しみたい!
本書のタイトルは『聖玻璃の山』である。宮沢賢治の心象スケッチ『春と阿修羅』は「序」から始まる詩集だが、その中の「春と阿修羅」と題する詩の、
砕ける雲の眼路(めぢ)をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
という詩句部分に「聖玻璃」が出てくる。ここから取られている語なのだろう。「玻璃」は辞書を引くと「(1)水晶、(2)ガラス」(日本語大辞典・講談社)を意味する。仏典では七宝の一つとして出てくるので、水晶を意味している。「ヒマラヤ」はサンスクリット語では「雪の住みか」を意味するという。聖玻璃の山は、一方で「ヒマラヤ」という山そのものを暗喩しているのだろうか。
本書のページを適当に開き、般若心経の経文のフレーズを読み、併存する写真を眺める、戯曲のフレーズを読み前後のページに掲載の写真を眺める、そして、想いを広げる・・・そんな読み方もある気がした。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書からの波紋で、いくつかネット検索した。一覧にしておきたい。
『春と修羅』 宮沢賢治 :「青空文庫」
ヒマラヤ山脈 :ウィキペディア
ヒマラヤの画像加藤忠一ホームページ ヒマラヤ巡礼写真館
[YouTubeより]
チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra)
ヒーリング般若心経 Heart Sutra (サンスクリット/梵語/Sanskrit) by N.M.Todo
般若波羅密多心経 (梵音) Prajna Paramita Hrdaya Sutram (Sanskrit) Bat Nha Tam Kinh
般若心経 Heart Sutra ~サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング
大本山永平寺/雲水さんの般若心経
癒しの響き 般若心経・太鼓
法楽太鼓 2 「般若心経~諸真言」 東谷寺 (真言宗豊山派)
般若心経 日本語 字幕付き ベートーベンの歓喜の歌に般若心経をのせて
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ
般若心経 天台寺門宗 音声
チベット仏教 :ウィキペディア
チベット仏教の特色 :「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」
チベット仏教の歴史と特色 :「チベット仏教ゲルク派宗学研究室」
チベット仏教普及協会 ホームページ
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)