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『孟子』巻第八離婁章句下 百十三節

2018-05-15 10:03:45 | 四書解読
百十三節

昔、逢蒙は弓を名人の羿に学んだが、その奥義を極めつくして、もはや天下で私より弓の優れた人物は羿しかいない、と思った。そこで羿を殺してしまった。孟子はこの言い伝えを評して言った。
「羿にも罪がある。」
すると公明儀が言った。
「羿には殆ど罪はないようだ。」
「それはただ輕いだけです。輕いからと言ってどうしておちどがないと言えましょうか。嘗て鄭の国が子濯孺子に命じて衛の国を攻めさせました。衛では庾公之斯に命じて之を追い払わせたのですが、その際、子濯孺子は突然に病の発作を起こし、『今日は急に病が起こり、弓を引くことが出来ない。恐らく死ぬだろう。』と言って、従者に、『私を追いかけてくる者は誰か。』と尋ねました。従者が、『庾公之斯でございます。』と答えると、子濯孺子は、『私は助かったぞ。』と言ったので、その従者は、『庾公之斯は衛の弓の名人です、それなのにあなたさまは助かったぞと言われましたが、それはどういうことでございますか。』と尋ねました。子濯孺子は言いました、『庾公之斯は弓を尹公之他に教わった。尹公之他は私の門人だ。あの尹公之は心の正しい人だ。その彼が選んで門人としたのだから、庾公之斯もきっと心の正しい人に違いない。』やがて庾公之斯が追い付いてきて、子濯孺子を見て言いました、『あなたはどうして弓を取らないのか。』子濯孺子は言いました、『今日、突然病に罹り、弓を取ることが出来ないのだ。』庾公之斯は、『私は弓を尹公之他に学び、尹公之他はあなたに学んだ。そうして受け継がれたあなたの弓道を以て、あなたを傷つけることは私には耐えられません。だからと言って、今日の事は、君命によるものなので、私の私情で止めるわけにはいきません。』と言い、矢を取り、乗っている車の車輪にたたきつけて矢じりを外し、礼に法り四本の矢を放ってから、軍を返したということでございます。羿も庾公之斯のような心の正しい人を弟子にすれば、殺されることはなかった。人柄を見抜けなかった羿にも罪があるのです。」

逢蒙學射於羿。盡羿之道、思天下惟羿為愈己。於是殺羿。孟子曰、是亦羿有罪焉。公明儀曰、宜若無罪焉。曰、薄乎云爾。惡得無罪。鄭人使子濯孺子侵衛。衛使庾公之斯追之。子濯孺子曰、今日我疾作、不可以執弓。吾死矣夫。問其僕曰、追我者誰也。其僕曰、庾公之斯也。曰、吾生矣。其僕曰、庾公之斯、衛之善射者也。夫子曰吾生、何謂也。曰、庾公之斯學射於尹公之他。尹公之他學射於我。夫尹公之他,端人也。其取友必端矣。庾公之斯至、曰、夫子何為不執弓。曰、今日我疾作、不可以執弓。曰、小人學射於尹公之他。尹公之他學射於夫子。我不忍以夫子之道反害夫子。雖然、今日之事、君事也。我不敢廢。抽矢叩輪、去其金、發乘矢而後反。

逄蒙、射を羿に學ぶ。羿の道を盡くし、思えらく、天下惟だ羿のみ己に愈れりと為すと。是に於て羿を殺せり。孟子曰く、「是れ亦た羿も罪有り。」公明儀曰く、「宜ど罪無きが若し。」曰く、「薄しと云うのみ。惡んぞ罪無きを得ん。鄭人、子濯孺子をして衛を侵さしむ。衛、庾公之斯をして之を追わしむ。子濯孺子曰く、『今日、我が疾作り、以て弓を執る可からず。吾死なんかな。』其の僕に問いて曰く、『我を追う者は誰ぞや。』其の僕曰く、『庾公之斯なり。』曰く、『吾れ生きん。』其の僕曰く、『庾公之斯は、衛の射を善くする者なり。夫子曰く、吾れ生きんと。何の謂ぞや。』曰く、『庾公之斯は射を尹公之他に學ぶ。尹公之他は射を我に學ぶ。夫れ尹公之他は、端人なり。其の友を取ること必ず端ならん。』庾公之斯至りて曰く、『夫子何為れぞ弓を執らざる。』曰く、『今日、我疾作り、以て弓を執る可からず。』曰く、『小人は射を尹公之他に學び、尹公之他は射を夫子に學ぶ。我、夫子の道を以て、反って夫子を害するに忍びず。然りと雖も、今日の事は、君の事なり。我敢て廢せず。』矢を抽き輪に叩き,其の金を去り、乘矢を發して而る後に反れり。」

<語釈>
○「公明儀」、四十七節に既出、魯の賢人、孟子より年長者である。○「端人」、高注:端人は心を用うるに、邪辟せず。心の正しい人のこと。○「乘矢」、趙注:乘は四なり。四本の矢。

<解説>
この節は、公明儀との問答なのか、それとも公明儀の言葉にたいする評論なのか、意見の分かれる所である。私は問答であり、且つ公明儀が年長者であるという理解の下に言葉を選び通釈した。
内容的には難しい点はないが、任命した人間が悪事を働けば、任命した本人も罪があるということだ。

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